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前編

 

「――美桜(みお)


あたしを呼ぶ幼馴染の声は、まだソプラノだ。


「先輩を呼び捨てにしない」


そう言って歩き出したあたしの横に、真新しい学生服を着た(れん)が並ぶ。


「誕生日は、ひと月しか違わないだろ」

「そのひと月の間には、易々(やすやす)とは越えられぬ

 深い深い川が流れているのだよ、蓮クン。

 現にアンタは中一で、あたしは中二」


美桜は三月生まれで、蓮は四月生まれなのだ。


「そんなの、十年経てば誤差だし」

「そういうセリフは、十年経ってから言いなよ」


相変わらずの減らず口に、あたしは思わず笑ってしまった。

ローティーンにおける学年ひとつの差は、結構大きいものだ。


「たかが中二のくせに」

「それをついこの間までランドセル背負ってたアンタが言うとは、

 片腹痛いわ」


そう茶化すと、蓮は思いの外真剣な表情で、あたしを見た。


「美桜のことなんか、あっという間に追い越してみせる」


それは、フィジカルな意味でなのかな。

小学生の時に成長分を全部使い果たしたらしく、

百六十二センチのあたしの身長は、中学に入ってから殆ど伸びていない。

それでも、隣を歩く蓮より五センチは高いのだけれど。


「ほぉーお」


あたしは幼馴染の気安さで、

蓮の茶色い猫っ毛をかき回しながらにっこりと笑った。


「それは、もうちょいおっきくなってから言ってみようか……いたっ」


不意に強い力で手首を掴まれて、声が尖る。


「なにするのよ」

「そっちこそ、なにするんだよ」


足を止め、その手を振りほどこうとして、あたしは息を呑んだ。


「……蓮。手、が」

「手?」


不機嫌そうに眉を顰めこちらを睨む目は、やっぱりあたしの少し下にあって。

着慣れない大きめの学生服の中では、細身の身体が泳いでいて。

それは、いつもの蓮であったのだけれど。

今、あたしを掴んでいるその手は、関節がゴツゴツと目立ち筋張っていて。

まるで、知らない誰かのもののように、見えた。


「なんでも、ない」


どういうわけだか、心臓が大きく音をたてた。

慌てて手を引き抜いて拳にし、胸元に押し当てる。


「美桜は、俺のポテンシャルを侮っていると思う」


蓮は、あたしが乱した髪を手ぐしで整えながらそう言うと、

通りの先に見えた友人たちの元へと走り去っていった。

あたしはその後ろ姿を、暫くぼんやりと見送って――

それから、はっと我に返った。


「――やだもう」


蓮は、蓮でしかない。

三軒隣に住む、ひとつ年下で幼馴染の。


 * * *


「ただいまー」


午後練を終えた夏休みの夕刻、

うだるような暑さから逃げるように玄関ドアを開けると、

やけに大きなスニーカーが目に入った。

誰の物かは、言わずもがな。

あたしはその横に立って、自分のものと見比べてみる。


「……馬鹿の大足ってか」


それからスニーカーを脱ぎ、ラケットバッグを担いだままリビングに向かった。


「暑い。疲れた。死ぬ」

「お帰り。うわぁ、埃っぽい。

 シャワー浴びてさっぱりしてらっしゃい。

 蓮君がトウモロコシをお裾分けで持ってきてくれたの。

 今、茹ででいるところだから」


母の声にかぶって、蓮の掠れたような声がする。


「おう、美桜。すげぇ、黒いな」


まるで自分の家のように寛いだ蓮が、ダイニングテーブルに座っていた。

ソフトテニス部のあたしは、夏の日差しに焦げている。

対してバスケ部の蓮は、乙女には羨ましい白さだ。


「すごいでしょ。焼けて赤くなるどころか、最早紫外線を吸収する一方だよ」


母が差し出してくれた麦茶を有り難く一気飲みにした後、

そう言って、あたしはバスルームに向かった。

ざっとシャワーを浴びて、生き返った気分になる。

ノースリーブのコットンワンピースを着て、

背中の中ほどまである髪を、ヘアクリップで一纏めにした。


ダイニングに戻ると、蓮が既にトウモロコシにかぶりついている。


「アンタね。自分がお裾分けと称して持ってきてる物を、

 お裾分けした家の者より先に口にしているってどういうことよ」


蓮の向かいに座り、トウモロコシに手を伸ばしながらあたしは言った。


「細かいこと言うなよ。

 ところで美桜、そのシャツも脱いだ方がいいんじゃないか」


ええ、ええ、二の腕と首周りには、体操服の跡がしっかりついていますがね。


「脱げない靴下もはいているんだよ、あたしは」


自虐的に足首を見せると、蓮が「格好わるっ!」とケタケタと笑った。

掠れたり突然裏返ったり、声が出し難いのか咳払いしたりしている蓮に、

あたしは眉を顰める。


「なぁに? 風邪?」

「声変わりかな」


トウモロコシに齧りつこうとして、固まった。


「――え?」


声変わり。

確かにそういう時期なのかもしれないけれど、

目の前の蓮は、相変わらず中性的な幼い顔立ちのままで。

死ぬほどお腹が減って、馬鹿みたいに食べていると言う割には、

身長だってまだあたしの方が高いし、身体だって薄っぺらくて。

それなのに。

春先に「他人の手」のように見えたそれには、

今や、見慣れぬ筋肉質な腕が続いていて。

あたしよりもはるかに大きなスニーカーを、履いている。


突然、蓮が身に纏っている成長の兆しを意識させられて、

あたしは息苦しくなった。


「なんだよ」


蓮がトウモロコシを齧りながら、片方眉を上げる。

それはこっちのセリフだよ。

なんだっていうのよ、連のくせに。


「別に。――バスケ部、どう?」


あたしはそんな息苦しさをどうにかやりすごして、話題を変えた。


「新人戦では、ベンチ入りできると思う」

「ほんとに?」


小学校でミニバスをやっていた蓮は、

当時、地区選抜選手に選ばれたりもしていた。

あたしは何度かその試合を見たことがある。

小さい身体が、もの凄いスピードでゴール目指して斬り込んでいく。

身長のハンデを、スピードと反射神経と度胸で補う強気のプレイスタイル――


「試合、見に来てよ」

「え?」

「俺、頑張るから。美桜が見に来てくれるなら、もっと頑張れると思う」


そう言うと蓮は、「おばさん、ご馳走様!」と母に声をかけて席を立った。


「いや、出る気満々なのはいいけど……」


一年だし、そもそもまだベンチ入り出来るかさえわからないっていうのに。

蓮は昔から、こういった自信家なところがある。


「じゃあな」


勝手知ったる他人の家、といった感じで、蓮がリビングから出て行く。

その後ろ姿がやけに大人びて見えて、あたしはなんだか面白くなかった。


 * * *


「あれ、美桜」


二階の観客席からこっそり見るつもりでいたのに、

階段でうっかりクラスメイトに見つかってしまった。


「高木クン。そういえばキミはバスケ部の新部長だったね」

「おう! 見ろ、この栄光の4番を」

「うんうん、頑張ってくれたまえ。じゃ!」


片手をあげ通り過ぎようとすると、百七十を超える長身に前を塞がれた。


「俺たちの出番、次の次」

「うん、わかってる」

「応援しろよ?」

「もちろんだよ」


キミたちを応援する以外のなんのために、あたしがここに来ていると思うのさ。

高木クンはニヤリと笑う。


「ちげぇよ。俺を応援しろって言ってるんだよ」

「キミを含めた我が校のチーム(・・・・・・・)を応援させてもらうよ。

 確かバスケは団体競技だったと記憶してるんでね」


あたしは半眼になってそう返した。

まあ、ちょっとした言葉のじゃれ合いのようなものだ。

うちのクラスは男女とも仲が良くて、こんな風なやり取りも多い。


「ちっ。つれねぇな」

「はいはい」


それから高木クンは、今度は凄く爽やかな笑みを浮かべて胸を張った。


「今年のうちのチームは、強いんだぜ」

「よし、じゃあ、勝ってこい!」


あたしの活に、「うっし!」と答え、

クラスメイトは軽快な足取りで階段を降りて行く。

その後ろ姿を見送り、視線を上げると踊り場に蓮の姿があった。

実際に試合に出られるかどうかはわからないけれど、

夏に宣言していた通り、10番をつけベンチ入りを果たしている。


「蓮!」


別にアンタを応援しに来たわけじゃなくて、暇だったし、と

何となく言い訳めいたものを口にしようとしたのだけれど、

蓮は顔を強張らせて、あたしの横を無言で駆け降りていった。


「――なんなの?」


見に来てと言っておきながら、無視とか。

面白くない気分でその場に佇む。

だけどこのまま帰ろう、とは思わなかった。

蓮のためなんかじゃない。

折角ここまで足を運んだのだし、

そう、さっき高木クンにも、我が校のチームを応援するって約束したのだから。




ボールが床に強く叩きつけられる音。

シューズが床を蹴る音。

部員たちの応援と観客席からの声援。

体育館の中は、熱気で溢れている。

新人戦地区大会Cグループの決勝戦。

高木クンが「強いんだぜ」と胸を張った通り、

第一試合から順当に勝ち上がってきたうちのチームであるが、

ここにきて僅差でせめぎ合っている。

最終第四ピリオド。

蓮が、コートに入った。

開始早々、敵のパスをインターセプトし、

ボールを巧みに操りながら相手コートへと走り込んでいく。

周囲が歓声を上げる中、あたしは固唾を呑んでその姿を追う。

――と、蓮が吹っ飛ばされるのが見え、あたしは思わず席を立った。

ファウルのコールはかからない。

ミニバスの頃からそうだ。

結構ガタイの良いディフェンスにも、

蓮は怯むことなく強気で突っ込んでいくから、

見ている方は、気が気ではない。

上手く躱してシュートに持ち込むことも多かったけれど、

体格差から突っ込んだスピードのまま、

身体ごと吹っ飛ばされることだって同じくらい多かった、こんな風に。

それでも、ボールは直前にパスされ、ゲームは続行している。

蓮も立ち上がってゲームに戻った。

こちらが若干押す展開が続く。

試合時間が残り少なくなってきていることと、

決定的な得点差がつかないためか、

相手チームにラフプレイが目立つようになってきた。

再びボールをキープした蓮が、取り囲まれてプレッシャーを掛けられている。


「蓮ーっ! 抜けっ! 抜け―っ!」


思わず声を張り上げてしまった。

ここでポイントが入れば、圧倒的にこちらに有利な流れになる。

次の瞬間、ダンッ、とボールをつく音がして、蓮の身体が低く沈む。

ディフェンス二人を突破して小さな身体が、勢いよく走り出した。


「いけーっ!」


蓮の手から放たれたボールは、音を立てリングに吸い込まれていった。




――ピンポン。

インターフォンを覗いてみれば、映っているのはジャージ姿の蓮だ。


「――はい」

「俺」

「……」


あたしは、あの不愉快な態度を思い出して無言になった。

画面の中の蓮が、落ち着きなく視線を彷徨わせている。


「……美桜。ちょっと、いい?」


ため息を吐いて、あたしは玄関に向かった。

不機嫌丸出しでドアを開けると、俯き加減に立っていた蓮がいきなり切り出す。


「――その、ごめん」

「なにが」

「いやあの、勘違いしてて」

「勘違い?」

「“美桜”って呼んでたし、“俺を応援しろ”って聞こえて」

「誰が?」

「だからっ、高木先輩がっ!」


へ? あたしはきょとんとした。

なんで高木クン?


「俺、スタメンじゃないし、

 出られるかわからないのに美桜が見に来るわけないって思ってて」

「アンタ、“見に来て”って言ってたじゃない」

「そうなんだけどっ!」


蓮が髪をくしゃくしゃとかき乱す。


「美桜は、高木先輩を応援しに来たのかと」

「は!?」

「――でも、聞こえた」


すっと視線を上げた蓮が、あたしに向かって一歩踏み出してきた。

いつの間にか、視線の高さはあまり変わらなくなっていて。

まだ掠れたままの声は、僅かにトーンが低くなっていて。

柔らかだった頬の輪郭は、削げてシャープになっている。

蓮は蓮なのに、段々あたしの知っている蓮じゃなくなっていくようで……


「“蓮、抜け”って、美桜の声が聞こえた」


だけど、あたしの良く知っている照れくさそうな笑顔で、そう言うのだ。


 * * *


鼻歌混じりに玄関ドアを開け、門を抜けると、

あたしは三軒隣の家に向かって足を進めようとして――踏み止まった。

視線の先では、制服姿の女の子が、蓮に向かって紙袋を差し出している。

くるり、と、その光景に背を向け、あたしは家に駆け戻った。


「あら、早いわね。渡せたの?」

「ううん。お取込み中だったから、戻って来た」

「ふぅん。蓮君、モテるみたいだしねぇ」

「そうなの?」

「そうなのって、美桜。今更なの?」


母が呆れたように笑う。


「頭が良くて、優しくて、運動が出来て、ハンサム」

「誰のハナシよ?」


あたしは、ふん、と鼻を鳴らした。

毎年、当たり前のように蓮に渡していたバレンタインだけど……

ラッピングしたチョコブラウニーを手に、あたしはため息を吐く。


「本命チョコをいっぱい貰っているなら、

 こんな義理チョコいらないんじゃない?」

「美桜?」


自分自身の言葉に、何故か胸が、つきん、とした。

何か言いたげな母をその場に残して、あたしは二階の自分の部屋に戻る。

そして、塾の宿題に取り掛かった――のだが。


「こんなものを勉強机の上に置いているから、集中できないんだな」


先程から、ちっともはかどらない。

椅子に寄り掛かり、チョコブラウニーを目の前に掲げる。

父へのチョコも、友チョコも、蓮へのチョコも、全部同じもの、だ。

特別な何かをあげる誰かは、まだあたしの前に現れたことがない。

帰宅した父にこれを渡したら、

会社でどんなに立派なチョコを貰っていたとしても、

一人娘からの手作りだといって眦を下げるだろう。

友達同士の交換では、可愛い、美味しそう、と好評だった。

じゃあ、蓮は?

もう中学生になった蓮は、単なる幼馴染からの義理チョコを喜ぶのだろうか。


―――いっそ自分で食べちゃおうかな。


リボンに手を掛けたところで、母からの声が掛かった。


「美桜ー! ご飯よー!」

「はぁい」


勉強机の上にそれを置いたまま、あたしは部屋を出ようとして――……




「――美桜です」


夕闇の中、こちらを眩しく照らすインターフォンに向かってそう告げると、

家の中から、ダダダ、とすごい音がして、勢いよく玄関のドアが開いた。

スニーカーを中途半端にひっかけた蓮が、

つんのめりそうになりながらこちらにやってくる。


「なにやってんの、アンタ」


あたしは呆れながらそう言った。


「いやだってっ」


怒っているような、ほっとしたような、泣き出しそうな、

複雑な表情を浮かべている蓮は、あたしを少し上から見下ろした。

広くなった肩幅が、トレーナーの上からでもよくわかる。

それでも、身体は薄っぺらいままで。

筋肉の成長を待たずに、骨だけ先に成長してしまったんだな、

とあたしはぼんやり思った。


「ギシギシ音がしそう……」

「っは? なんの話?」


眉を顰めた蓮の声は、すっかり低くなってしまっている。

行動はまだまだ子供っぽいのに。


「別に。はいこれ」


あたしは、蓮にチョコブラウニーを突き出した。

そう、義理とはいえ、蓮のために用意した分だ。

あのまま自分の部屋の勉強机に置いておいたら、

よくわからない衝動に任せて、本当に自分で食べてしまいそうだった。


「……さんきゅ」


それを手にして、蓮は少し俯いた。


「今年は貰えないかと思った」

「そんなこと言って、たくさん貰ったんでしょ?」

「くれるっていう人もいたけど、受け取らなかった」

「は!? だってさっきここで」


蓮はムッとしながら、あたしの言葉を遮る。


「見てたのか? でも断った。

 よく知らない人から貰っても困るし、

 知っている人だったら、尚更その後が面倒くさいし」

「じゃあ、コレも面倒くさい枠なんじゃ……」


あたしが冗談交じりに手を伸ばすと、蓮は慌ててそれを背後に隠した。


「美桜は特別だ。

 美桜にとっては特別じゃないかもしれないけど」

「え!?」

「ほら、おばさんが呼んでるみたいだぞ」


振り返ると、母が門から顔を覗かせている。


「あ。ご飯呼ばれてたんだった。じゃあね」


あたしは蓮に背を向けて走り出した。

何が特別で何が特別じゃないのか、よくわからない、と思いながら。


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