三角の鐘
嘔吐した、月曜日。
腕を切った、火曜日。
切った腕を抉った、水曜日。
頭を壁や柱に強打し続けた、木曜日。
首を切り裂き天井にぶら下げてみた、金曜日。
それでも生きてた、土曜日。
明日からどう死のうか考えた、日曜日。
一週間をとても有意義に生きている。
死ぬために毎日生きている。
それが有意義で可笑しくて、何度奇異の目で見られようとやめられない。
そして毎日煙草を肺に通す。
長い長い、自殺計画。
「死ぬのが怖くないの?」
「どうして死にたいの?」
そんなものの答えを持ち合わせているわけがない。
死ぬことのその先なんて私にはわかりやしない。
人は死ぬ。
いずれ死ぬ。
いつか死ぬ。
必ず死ぬ。
それだけしか知らない。
だからそれに対しての恐怖だって意味だって全くない。
だけど生きている。
だから生きることは知っている。
知った上でもういいから、だから死にたいだけ。
もういいんだ。
同じ毎日が来るだけ。
世界は簡単には終わらないし、都合よく自然災害はやってこない。
劇的な変化なんて有り得ない。
誰かと出会うことで少しだけ何かが変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。
博打の人生。
死んでみたい。
もうその先がなくてもいい。
あってもいい。
どちらにせよ、誰も語らない、語れない、その先を見てみたいだけ。
またなにも変化のない場所にいくなら、また禁忌をおかせばいい。
最初はそんなつもりなかった。
だけどある日誰かが私にこう言ったんだ。
何かを食べる度に便器にかぶり付いて全てを吐瀉物と言うゴミにしていく私に。
「それは自殺だよ」
なんて。
そんなつもりなかった。
そんなつもりなかった。
そんなつもりなかった。
そんなつもりなかった。
ただ吐き出していただけだった。
なにも言葉を紡げない口の最終手段の意思表示だとしか思っていなかった。
グロいのは嫌いだった。
血なんてもってのほか。
リスカもアムカもレグカも知らなかった。
なのに私は自殺に荷担していた。
そうしたらもうどうでもよくなってしまった。
それなら、死んでしまおうと思っただけ。
何十年と繰り返し果てる毎日をおはようからおやすみまで巡るくらいなら、次のステージに行こうだなんて。
何より麻痺していた自分の苦しみや痛覚に恐怖したんだもの。
嘔吐することなんて息をするのと変わらなかったのだもの。
何も、感じないの。
喉は焼けるように痛かったはずなのに、固形物が融解される前に食道を通り抜ける感覚は苦しかったはずなのに、涙は出ていたはずなのに、ごめんなさいと流されていく血と食べ物に罪悪感をもっていたはずなのに。
声すら出さずに、いつのまにか。
当たり前のように吐いていた自分が怖くなってしまったの。
だから、これ以上無駄な時間を潰すくらいなら
死んでしまおう。
生きるのは無駄だ。
今日は日曜日。
開けた窓からは木枯らしの匂いがする。
夏が終わったみたい。
格子付きの窓から見える空は何色にも見えない。
ずっとずっと枕カバーのしたに溜め込んできた、大量の錠剤。
400粒はあろうそれを、むしゃむしゃ
むしゃむしゃ。
むしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃむしゃ
汗ばむ額。
膨らむ胃袋。
遠くなる三半規管の微睡み。
明日は月曜日。
目覚めることのないように。
おやすみ。