第八話
おっさんの呻き声で目が覚めた。
視界がはっきりしてくると、窓から路上に寝ている酔っ払いが見えた。
くんくんと、香ばしい香りが朝一番の嗅覚を刺激した。
下でユウノが料理でもしているのだろうか。そもそも、昨夜ちゃんと帰ってきているのか。
一階に降りると、やっぱりユウノがいた。
リアは木製のボロ椅子にちょこんと座っている彼に寄っていく。こちらの接近に気付いたユウノが気まずそうに笑う。その笑顔にとりあえず、一発。
「痛いよっ!そんなに本気で叩くことある!?」
「こっちがどんだけ心配したか……っ」
「ごめんなさい……」
ユウノが低い背丈をさらに縮めて頭を下げている。
声が震えていたし、目には涙が溜まっていたのが見えた。これは、ずるい。
「いいよ。いつものことだし」
リアは何でもなさそうに言う。しかし、彼の姿が見られただけで心底ホッとしていた。ユウノはリアにとって唯一の家族だからだ。
ぽんぽんと、手を叩く音がする。調理場からだ。
「仲直りは終わった?ほら、お食べ」
出てきたのは、鶏肉を軽く炙り、香辛料で味付けしたもの。材料は昨日ユウノが買ってきたものだ。
「あ、はい……」
リアは一瞬、さも自然に料理をしていた第三者に動揺した。
しかし、格好が変わっているだけで、昨日自分が連れてきた旅人エリスだとすぐに気付いた。
「どうしたの。毒なんか入ってないよ」
「すみません、美人だなぁって……」
泥だらけだった服は洗った後に外で日干しにされていて、エリス自身の白い素肌にも一切の汚れがなかった。
今はリアの普段着の白いワンピースを着ている。
「あはは。嬉しいこと言ってくれるねぇ」
リアは意識せずに言葉が口をついて出た。
エリスのからかうような、いたずらっぽい笑顔に目を奪われかけた。
これ以上この口が余計なことを言わないようにと、とりあえず鶏肉を突っ込んでおく。うん、美味しい。
ふと横を見やると、ユウノが口をへの字に結んで硬直していた。
「おーい、ユウノくん。早く食べないと冷めちゃうよ」
エリスが耳元で囁くようにユウノに言った。途端にユウノは耳まで一気に真っ赤になった。
「それともユウノくんのお口は、こんなのじゃ満足できない……かな?」
「ひっ!違います!」
リアはぼうっと二人のやり取りを見つめていた。真っ赤なユウノ。愉しそうなエリス。
気付けば席を立っていた。家を出てすぐそこの澄んだ川から、バケツに水をいっぱい汲む。リアの目は濁っていた。
振り返ると、起きてすぐに見つけた酔っ払いがまだ倒れていた。
「うわぁぁ……仕事だぁぁ……」とか呟いている。リアはためらいなく酔っ払いに水をぶちまけた。
「ひゃん!」
良い年したおっさんが情けない声を上げるのを、リアは冷たい目をして見ていた。
「八つ当たりしてごめんなさい。ところで、あなたの仕事は地面とチューすることですか?」
「働いてきます!すみません!」
酔っ払いの後ろ姿を、リアは歪んだ光を宿した目で見送っていた。
「リア、大丈夫かい?」
エリスの心配そうな声に、リアはにこりと笑顔で答えた。
「もう体調は良いみたいですね、エリスさん」
「うん。でもねリア、きっとさっきのおじさん、風邪引くよ。あと笑顔が怖い」
「リア!チューなんてしてないよ!?」
ユウノの意味不明な発言が不快だったので、もう一発叩いておいた。
全く、何をしているんだか。リアは痛みに悶絶するユウノを引きずって家の中へ入っていった。
二人の背中を苦笑いで見ているその時だった。エリスが、自分に時間がないことを思い出したのは。
村に数体放っていた使い魔が、まとめて殺された。それらは、自分が動けない間の役を担っていたのに。
使い魔をそれと見抜き、ほぼ一瞬のうちに全滅させる。こんな芸当ができるものが、この村にいただろうか。
「帝都か」
エリスは忌々しそうに呟いた。
これほどの使い手なら、使い魔の死体から召喚印を読み、最悪こちらの居場所を特定されるだろう。
そうなれば一緒にいるこの子達も……。
「エリスさん、何か言いましたか?」
リアがきょとんとした目でこちらを見ていた。
「ううん。ちょっと用事を思い出したんだ」
「用事?」
使い魔は死んだ。しかし、決して犬死にではない。探しものはもう見つかった。
「ねぇ、リア」
「はい?」
最早ここにいる意味はなくなった。だが、せっかくならもう少し一緒にいたかったのに。
「例えば僕がさ、密猟者なんかよりもすんごーく悪い大悪人だったらどうする?」
「エリスさんが?」
「その人の一番大事なものを奪っちゃうんだ。例えば、ユウノくんのファーストキスとか」
「は!?あっ……」
直後、リアの夕陽のような目は閉じられ、彼女の身体がすっと、その場に倒れた。家の中ではユウノも同じく意識を失っていた。
「ごめんね」
エリスは小さく、それだけ呟いた。
改めて、意識を失ったユウノに視線を落とす。
「……まさか、そんなわけ無いよね」
躊躇いを消し去るように首を振ると、彼女はその場を立ち去っていった。