第三話
「いやぁ、悪い悪い」
ぎゃはははと、下品かつ騒々しい笑い声と一緒に降ってきたのは、褐色の肌をした黒髪の女性だった。
「……」
この人、木の上から降ってきたけど何メートルあったんだろう、足痛くないのかなとか、緊張し過ぎてそろそろリアの思考が関係無いところへ現実逃避を始めた。
「怖がらせて悪かった。あたしは敵じゃないよ。あとコイツもお前を喰ったりしない」
褐色の女は、その細く引き締まった両手いっぱいで、抱きつくように黒狼を撫でる。
「あたしはナナで、コイツはガルム」
「殺さない……の?」
リアの心臓は未だ一時も、穏やかな鼓動を刻めないでいる。
「そうするつもりだったけど、そうしないことにしたから姿を見せた。よく考えたらこんなガキがあいつらなワケないな」
「え?」
ナナは整った自分の鼻を指さした。
「分かるんだよ。ニオイでな」
でもさぁ、とナナは視線を動かす。見る先はいつからなのか、立ったまま気絶している少年。
「コイツは臭いな。何だか良くないニオイがする。どうする、ガルム?」
問われた黒狼は何も言わずに地に伏したまま、尻尾を一振りした。
リアの頬に嫌な汗が流れる。やっぱり、危険だ。この人達。
「おいおい、コイツ、気失ってんのに短剣放さねぇぞ」
それを取り上げてどうするの。ユウノを傷付けないで。
リアは今にも叫び出しそうだった。
ここで自分が間違った言動をしてみろ。ユウノは最悪、殺される。何もしなくっても、恐らく理不尽に淘汰される儚い命。守らなければ、自分が。
「その子を……」
「お?」
「ユウノを殺すなら私があなた達を」
「リア!わっ、うわぁあああ……っ」
ばたんと倒れる。一瞬、目を覚ましたユウノは、無傷のリアを見て安堵した瞬間に、黒狼とスレンダーな褐色を眼に映して再び意識を手放し倒れた。
もう、その手には何も握られていなかった。
「何だ?今の間抜けな声……ぎゃははっ」
「あの……」
「分かった分かった。このガキもただのガキだ。人畜無害でしたっと」
ナナもすっかり毒気を抜かれてしまったようだ。
あなたの方が間抜けな笑い方ですよと、リアは喉まで出かかった言葉を何とか飲み込んだ。
やっと心臓が平常運転だ。
―――
「まただ。また僕ってば……」
「いい夢見れた?」
「ううん……全然」
黒髪の女ナナと黒狼ガルムの一人と一匹と別れた後しばらくして、ユウノがパチリと瞼を開いた。
その間は、リアがずっと近くで目を放さなかったのだろう。起きた瞬間、目と目が合った。
「ごめん。僕がリアのこと守らなきゃいけないのに」
「私はビビりのユウノが余計なことしなくって助かったよ。スムーズに撃退できたから」
本当は、間接的にだがビビりのユウノに助けられたなんてリアは言わない。自分も心底ビビっていたから。
「やっぱり、リアはすごいね」
ユウノが屈託なく笑う。
「当たり前だよ。もっと誉めなさい」
「すごい。すごい!すごいよリア!」
「も、もういいよ。十分、分かったから」
時々、調子が狂う。ユウノがまっすぐすぎて。今も、赤くなったリアの顔に気が付いているのかいないのか。とにかく。
「良かった……」
「リア?どうしたの?」
無意識に、抱きしめる腕に力が入る。本当に、無事で良かった。
リアは夜が好きだった。この静けさは誰にも奪えない。少年の息遣いだけが聞こえる。
「リア……大丈夫?」
確か、ユウノと初めて会ったのもこんな静かな夜だったと思い出す。
「帰ろう」
「うん」
―――
「なぁ、気付いてたか?さっきのガキ、ガルムと“同じ”なんだ」
木々の合間を縫う影、それにまたがるように乗っている女が口を開いた。
黒狼から明確な返事は無い。
「あり得ないよな、普通、人間に召喚印は……」
まぁいいかと、彼女は静かに笑う。
「近いうちにまた分かることか。今夜はいい星だ」
影はそのまま、音も立てずに森の深くへ消えていった。