第二話
「起きなさーーーい!」
「うわっ!?」
突然の背後からの大声に、寝起きの少年は心臓を縮めて肩をびくりと跳ね上げた。
「日が暮れても帰って来ないで、どこに行ったかと思ったら、また倒れるまでこんなことして……」
腰に手を当てて、呆れたような目で少年に視線を落とす彼女は、少年の幼馴染みであり、姉のような存在であるリア。
こうして彼女が日暮れに迎えに来ることは、ここ最近の日課だった。
「リア……ごめん、謝るから大声出さないでよ……」
「謝る、謝るって、もうこれで何回目?元気なのは良いけど、あんたは周りに心配かけすぎなの!」
「ごめん……」
夕暮れの朱色と同じ髪の色の少女リアは、目の前の少年に呆れつつも、また、彼の無事に安堵し溜め息を吐いた。
「ホントに、次回からは気を付けるから……」
「頑張るのは構わないけど、あんまり無理しないでよ、ユウノ」
両手を合わせてペコペコと頭を下げるユウノに、リアも毒気を抜かれてしまったようだった。それ以上は彼女も何も言わなかった。
日はすっかり暮れていて、影が深みを増していく。
辺りの大木はユウノが打ち付けた銅製の短剣のせいで、所々に傷が付いている。
帰路。先を歩く少年は不意に振り返って、にっこりと微笑んだ。
リアはこれを見る度に頬がかゆくなるような気がした。つい、視線をそらす。
「でもリアが来てくれて良かった。一人じゃ怖くて帰れなかったよ」
「馬鹿なの?」
リアは驚いて、丸くした目をユウノに向ける。
「リア、どうしたの?そんな顔して……僕、何か変なこと言った?」
「はぁ……。ううん、何でもないよ。早く帰ろう」
純粋というか、後先考えないというか、もはや何も言えない。こんなやり取りもリアにはもう慣れたものだ。
歩く二人の足元を、影が色濃く包んでいった。
夜は獣が動き出す。
―――
最初に目につくのは、その、巨大な牙だった。乳白色のそれは、嘗て数多の獲物の外殻を屠ったのか、ところどころに小さな傷がある。
全身を美しい黒毛で覆った獣は、夜闇と相まって、まさに影そのものであった。こんなモノが気配もなく飛び出してきたらまず考えるのは、逃げることでも戦うことでもなく、次の瞬間の自分の姿だろう。
真っ赤なオブジェの乱立である。少年少女も例外はなく、刹那で牙と爪に引き裂かれるだろう。
「あ、が……っ」
声が出ない。喉が、心臓が、頭が痛い。パニックと自覚することすら難しい。少女は少年に向かって手を伸ばす。お願いだから逃げて、と。
しかし、少年は動かない。
獣が飛ぶ。それは残像すら置き去りにするような動作。
少女はただ、目を覆った。
それと出会ってしまったのは、不運としか言いようがなかった。事前に大人達から知らされていた、危険区域には近づいていないし、そもそもこんな獣がいることさえ二人は知らなかった。
夜道を歩いて数分、いつも通りの帰路になるはずだった道は、枯れ枝を踏み折る音と共に、別世界へと変貌した。
眼前に突如現れた獣は、体長は2メートル程だが、その体長には明らかに不釣り合いな巨大な牙が特徴的だ。それだけで危険度、獰猛性が伺い知れるほどに……。
少女リアは、自分がまだ生きていることを確認して、両手をゆっくりと顔から放した。
ユウノは?
彼は、短剣を握り締めたまま震えていた。黒狼の、すぐ隣で。
「止まれ、ガルム」
立ったまま汗だくで目の焦点さえ虚ろになってきたユウノに、黒狼が自慢の牙の一撃を振りかざすところで、低い声が響いた。
リアには全ての映像がコマ送りのように見えていた。
「これがモンスターだと思ったのか?お前は、えぇ?」
それは低い、少し掠れた女の声。叱るような、また、諭すような口調で夜の森に響く。
「何?大陸の“向こう側”の連中に見えた?バカ、あいつらは肌が白いんだよ。それで見分けて……」
まるで何かに驚いたように声が止む。
「確かに白いな……。おい、お前ら“向こう側”か?」
「ち、違います!」
必死なリアの返答で黒狼がスッと地に伏した。
「嘘はついてないな」