六時間目
下校途中。校門の近くで見知った顔が手を振っていた。ツインテールの髪が揺れている。
どう見ても、その子は真琴に手を振っているようだった。
「中村さ~ん」
やっぱり。真琴は一緒に下校していた美咲と顔を見合わせる。
彼女がまた、何の用だろう?
「宇佐美さん、やっほ。どうしたの?」
宇佐美佳奈子。彼女は先日、真琴にチョコの作り方を教わった。
結局誰にあげるのかを真琴は聞かなかったが、イケメン男子の上杉とキスしている現場をユキが目撃したことから、チョコも彼にあげるために手ほどきを受けたのだろうと思っていた。
「こないだはありがとう。あのね、カナ、中村さんに相談したいことがあって……」
佳奈子はそういって、真琴の隣にいる美咲に視線をやった。
美咲は最初きょとんとしていたが、彼女の意を悟ったようで、
「――あ、うん、わかった。じゃあマコっちゃん、私先に帰るね」
「美咲、ごめんね」
「ありがとう椎名さん~」
佳奈子はにこにこ笑いながら、ひとりで帰る美咲の背に手を振った。
「……で、相談ってなに?」
ちょっとキツめの声になった声になったことを自分でも驚く。佳奈子は不安そうな顔になって、
「中村さん、怒ってる…?」と上目遣いで聞いてきた。
「怒ってないよ」
「そっか、よかったあ。えっとね、歩きながら話すね」
とことこと通学路を歩く。
隣にいるのはいつも美咲なので、佳奈子が隣だとなんか不自然に感じた。
「中村さんて、朝野くんと付き合ってるんだよね?」
唐突な質問に真琴はつまづきそうになった。
「ナイナイ」
手をぱたぱた振って否定する。
「そうなの?」
「そうよ。誰から聞いたか知らないけど、あたし誰とも付き合ってないし」
驚いた様子の佳奈子に頷くと、彼女はホッとしたように胸をなでおろした。
「よかったあ。カナね、中村さんが相手じゃ絶対敵わないと思ってたから」
「敵わないって?」
「やだなあ。朝野くんのこと。もうすぐバレンタインでしょ?」
「え……宇佐美さんて――」
上杉くんと付き合ってるんじゃないの?という台詞を飲み込んだ。
「なあに?」
「なんでもない。宇佐美さんて、アイツにチョコあげるの?」
「うん」
はにかみながら佳奈子は頷いた。
「どうしてまた?」
思わず尋ねてしまっていた。
だが加奈子はとくに気にしたふうもなく真琴の質問に答えた。
「カナね、朝野くんに助けてもらったことがあるの」
「ふんふん」
「カナ、駅前のスイミングスクールに通ってるんだけど、その帰りに中学生の人に絡まれちゃったの。そこに通りかかった朝野くんがカナのこと、助けてくれたの」
「ぜ、全然イメージが沸かない……」
加奈子は王子様に恋する少女のようにキラキラした瞳で語ったのだった。
「アイツ、そんなにケンカ強かったっけ?」
「ううん。朝野くん手を出さなかった。『その子を離せ。おれのことは好きなだけ殴っていいから』って言ってくれて」
「へえ……」
ちょっと見直した。そんな男らしい一面があったなんて。
「それで、そのあとはどうなったの?」
「カナは逃がしてもらえたんだけど、朝野くんホントに好きなだけ殴られてた」
真琴はまたつまづきそうになった。
そういえばいつだったか、夕吾がフルボッコ状態で登校してきたことがあった。どうしたのと聞いても「アイアムアヒーロー」としか答えてくれなかったが、たぶん、それが加奈子を守った名誉の負傷だったのだろう。アイツらしいといえば、アイツらしいか。
「まったく……」
なんでか分からないけど口元がほころぶ。加奈子は怪訝そうな顔をした。
「どうしたの?」
「ううん、なんでも。宇佐美さんからチョコもらったらアイツきっと喜ぶよ。がんばってね」
「うん!」
加奈子の笑顔はくやしいくらいに可愛くて、まぶしくて、真琴はうつむいてしまった。
***
夜。
真琴はベッドから美咲に電話を掛けた。今日のことを謝り、ことのてん末を伝えると、
『そうだったんだ~。それで、マコっちゃんはバレンタインどうするの?』
『どうするのって、どうもしないけど』
電話のむこうで大きなため息が聞こえた。
『朝野くん、かわいそう』
『それ、どういう意味よ』
ちょっとムッとして聞き返す。
『朝野くん、マコっちゃんのチョコ楽しみにしてるんだよ』
『あのさ、誤解してるみたいだからこの際ハッキリいっておくけど、あたしはアイツのことなんか別になんとも思ってないから』
『なんとも?じゃあ、どうしてそんなにムキになるの?』
『ッ……気分悪いから切る。おやすみ』
親友との通話を強引に終える。
(美咲のばか。なによ、人の気も知らないで……)
お気に入りのウサギを手元にたぐり寄せ、ぎゅっと抱いた。
ケンカをすると、いつもならすぐに美咲から「ごめんね」ってメールが届く。
だけどこの夜は結局、いつまで待ってもメールは来なかった。