一時間目
春。
入学式。
これから過ごす6年間の門出の日。
朝野夕吾は担任の先生から声をかけられた。
「それじゃ、間もなく入学式が始まりますからね~。となりの女の子と手をつないでね♪」
「うんっ」
素直に返事をした夕吾少年は、となりに並ぶ女の子をみた。
可憐だ…などとぴかぴかの1年生が思うわけもなかったが、事実花のような乙女であった。夕吾少年はもじもじしながら、
「手……つなご?」
と、上目遣いでいった。若干女の子のほうが背が高かったためもある。大の大人がそんなふうに発言したら通報モノだが、そこは小学1年生。心得たものである。いままでこの上目遣いで何人ものお姉さんを鼻血ブーさせてきた。夕吾少年には自信があったのだ。
予想通り、女の子はニッコリと微笑んだ。天使のような笑顔である。
(素敵な6年間になりそうだぜ)
そんな予感を感じさせる、まさしく運命の出会いと呼んでも過言ではあるまい。夕吾少年はそっと手を差し伸べ、エスコートを申し出る。そして彼女はいったのだ。
「ヤ」
夕吾少年の泣き声が盛大に響き渡る中、入学式は滞りなく執り行われた。
彼女は極めて澄まし顔であった。
***
それから月日は流れ。
夕吾は5年生になっていた。
そして、彼女もまた。
「夕吾、サッカーやりいこうぜ」
放課後の教室で、友達が夕吾に声をかけてきた。
「おー。今日こそ2組のやつらをギャフンと言わせ……ッハ!」
「邪魔よバカ。んなとこに突っ立ってたら」
通路で話していると、いつの間にか彼の背後に仁王立ちしている髪の長い、気の強そうな顔の女子の姿があった。
「真琴……お前の『バカ』は殺傷力が違うね」
そのまましばしハブとマングースのように睨み合うが、結局夕吾のほうが先に折れて教室を出て行った。背後からくすくす女子の笑い声が聞こえたが、彼はとくに気にもとめなかった。
「マコっちゃん、あれじゃ朝野くんがかわいそうだよ~」
「構うこたないわよあんなヤツ」
中村真琴はふん、と鼻を鳴らした。友達の椎名美咲はなぜかアイツの肩をもつ。べつにどうでもいいけど。
「美咲、それより早く集計済ませるわよ」
「リョーカイ」
ここ最近、女子の間で密かにブームになっていることがある。
クラスのカッコイイ男子のランキング投票だ。毎回トップ3は不動であったが、10位までは結構変動したりする。ランキングに入った男子には賞品が出るという、なかなか本格的なイベントだ。勿論高価なものじゃない。携帯ストラップとか、せいぜいそんな程度だ。賞品を買うためのお金は投票に参加する女子が払う決まりで、ひとり百円。集計は2ヶ月に1度。真琴たち5年1組の女子だけでなく、2組の女子とも提携を結んでいる。投票の集計とプレゼンテーターが真琴の仕事だった。ジャンケンで負けたのだ。ちなみに美咲は全く関係ないのだが、真琴に道連れにされたのだった。
「む…」
集計結果を紙に記していく真琴の手がぴたりと止まった。美咲は可笑しそうに笑う。
「朝野くん、初めてランクインしたね」
「ええと、同票で11位になっちゃったンジョベナくんにあたし投票してもいい?」
「ダメ。同票の場合は出席番号順って決めたでしょ?」
「……国際交流を深めていく意味でも、だめ?」
「ダメダメ。余計にダメでしょ」
不満たらたらな真琴をなだめ、諭すように美咲はいった。
「認めてあげなよ。朝野くん、最近ほんとにカッコイイもん。それに、優しいしね」
「なら、美咲が渡してよコレ…」
なんだかよく分からないキャラクターの携帯ストラップを美咲に押し付けようとするが、彼女は笑顔で首を振った。真琴はがっくりうなだれ、投票用紙を片付けた。
***
下校途中の楽しみといえば、やはり駄菓子屋さんでの買い食いだろう。
学校から家に帰る途中にあるので、これで買い食いするなというほうが無理な話しだ。
夕吾は常連さんだった。違いのわかる常連さんだった。
「おばあちゃん、なんだかこのあんこ玉しょっぱいんだけど」
「賞味期限きれてるからね」
夕吾は口からぶー!とあんこを吹いた。
「そんなもん置いとくなよ!ちょっと食べちゃったよ!」
「ひ~っひっひ」
うわーんと泣きながら夕吾は店を出た。まったく、今日は厄日としか言いようがない。しょっぱいあんこ玉食べてしまうわ、学校では真琴に睨まれるわ。
もう帰ってオンライン小説でも読むしかないと、歩き出したその時だ。
本日最大の試練が立ちはだかっていた。仁王立ちで。
「買い食い禁止よ。てかなんで泣いてるの?」
「うるさいな。男には色々あるんだ」
「よくわかんないけど……まあいいか」
いつものクセでつい身構えてしまう夕吾であったが、真琴は別に攻撃してくる様子もなく、カバンから小さな袋を取り出して彼に手渡した。
「あげる」
「?」
きょとんとする夕吾に真琴は面倒くさそうに説明を加えた。
「月ランの賞品よ。おめでと」
「おお、マジで!もらっていいの?」
「うん」
ひゃっほーいと喜ぶ彼が、どうもに面白くなかった。
「ねえ、知りたい?誰が投票したか」
「え!そ、そりゃ知りたいけど……」
本当はすべて匿名で投票されるので、誰が夕吾に投票したかなど知る由もない。だけど男子はそのことを知らないのである。
真琴はふふ、と微笑み夕吾に歩み寄った。入学式でみせたあの笑顔だ。彼は彼女にその笑顔をむけられると、どきどきしてしまう。
「あ、あの、その」
「ん……」
息のかかりそうな距離。いまは夕吾のほうが背が高い。真琴は甘い声を出し、とろんとした上目遣いで彼をみつめた。
「夕吾に投票したのは、あたし……」
「ツンデレキター!」
「でないことだけは確かね」
「うわーん!」
相当ショックだったらしく、夕吾は泣きながら走り去っていった。
真琴はしてやったりという顔をした。
(あースッキリした♪)
絶対いつか泣かしてやろう…夕吾はそう心に誓うのだった。