第十九話
幸人は仕事に集中しはじめたのだろうか
自分のデスクの椅子に座り始め、黙々と何かをしている
そんな背中を見ながら、タバコの本数を重ねた
時計を見ると、七時四十分あたりを指していた
普通に出勤するなら、まだ四十〜五十分は誰も来ないだろう
気持ちも落ち着いてきたところで、幸人は椅子をくるりと半回転させてこちらを見た
ぱっと目が合う
「岡田さん、よく吸いますね。そんなヘビーでした?」
「いやいや、なんとなくだよ。」
いつからかデスクの上にあった缶コーヒーの缶にタバコを無意識のうちに詰めていたようで、今見てみると、缶から溢れそうだった
自分で吸っておいて、幸人が言うのも無理はないだろうと思って苦笑が漏れた
「タバコは体に悪いんですから、そんなに吸っちゃダメですよ。」
幸人は全くタバコを吸わない
元々、健康志向のようだ
俺もそんなに吸う方でもないが、やはり落ち着かないときはいつの間にか吸ってしまっている癖がある
家でもほとんど吸ったことは無い
外へ出で吸うのも何なので、ほとんどは会社で疲れたときなんかが多かった
「そうだな。お前が副流煙で病気にでもなったら俺が困るからな。すまん、すまん。」
少し冗談めかした
この言葉を由実子にも言った覚えがあった
また、どうしてこんなにいろいろと思い出してしまうのかと後悔をしてしまうが、おかしいところは何もない
三年間もずっと一緒ならば、すでに家族のようなものだ
家族が一人居なくなってしまったのと同じ
そう言い聞かせてみた
由実子のことを思うのも、自然なことだ
変に悩まないことにしようじゃないか
自分の背中を押すように椅子から立ち上がった
「どっか行くんですか?タバコのことならそんなに気ぃ使わなくていいですよ。」
幸人は自分のせいだと思い、そう言ったのだろう
「いや、もうタバコはいいよ。ちょうど一箱空いたところだし、これ捨てに行ってくる。」
吸殻が一杯に詰まったコーヒーの空き缶を持ち上げた
「あ、そうですか。」
軽い返事だった
部署の扉を開け、トイレのゴミ箱にでも捨てておこうかと思いつく
部署内のゴミ箱に捨てたのでは他の社員が嫌がるだろうし、トイレならばタバコを吸う人も多いのでその臭いに紛れるのではないかと思ってのことだ
三階の隅にあるトイレへ行く
縦に廊下が真っ直ぐ並んでいて、その両隣にそれぞれの部署の扉がある
その突き当たりがトイレになっている
薄いピンクの絨毯が敷き詰められていて、なかなか金の使われている社内だ
廊下のところどころの空いた場所には意味の分からない絵が飾ってある
誰が選んだのか知らないが、どれもこれも人間が描かれている田舎の風景なんて普通の絵ではない
芸術と呼ぶべきか何というべきか、いろんな色が使われている複雑な絵ばかりだ
かと思いきや、たまには白黒だけの絵なんかもある
思わず、中学や高校の美術で少しだけ習った覚えのあるピカソを思い出した
看板の絵もよく分からないが、あれはあれでいい味を出しているというような気もしていた
あれも同じ趣味からきているのかと不思議と納得がいった
今までじっくりと見たことがあまりなかったが、じっくり見ても癒されるようなものではない
絵を見るうちに内心よく分からない気持ちになって、トイレに着いていた
おもむろに入っていく
誰もいなかったのでさっさとゴミ箱に捨てて、ついでに用をたして出た
帰る途中に時計を見ると七時ちょうどになりかけていた
また意味の分からない絵たちに見送られて、部署へ戻った
部屋へ入ると、相変わらず幸人は仕事をしていた