第十三話
さて、今日は休みになった
安心感というのか部長に対しての罪悪感というのか、少しすっきりしない気もする
休みにはなったが、この一日何をして過ごせばいいというのか
安心したのはいいものの、あらためて考えてみると何も考えが浮かばない
頭がこう痛んでは何もする気が起きないし、最もすることもないので仕方が無い
電話台の前に座りこんだまま、あまり頭も働かずにぼーっと部屋の中を見まわす
とりあえず、客観的に見て今の自分が惨めだということは分かる
「どうしようか・・。」
なんとなくわざと声に出して言ってみたりするが、何も変わるはずがない
壁に掛かった時計を見てみたら、部長が電話で言っていた通り昼前で、もう十一時半を過ぎていた
こんなときだというのに、昼前と実感してか腹が空いてきたようだ
息を大袈裟に吐いてみて、電話台を支えに立ち上がる
ふらふらと台所の方まで行く
さすがにもう三回目だからなのか、心持ち行くスピードが上がったような気がする
台所についたついでに、またコップ一杯の水を一気に飲み干した
水が食道を伝って胃に流れていくのが分かる
すると、水が戻ってきそうになってその瞬間の嫌な胃酸の味で余計に嫌な気持ちがした
空腹は感じられるのだが、食べ物を買ってきたり作ったりするという意欲が全くない
その前にいままでは由実子が全て飯の支度をしてくれていたから俺はいつでもそれを食べるだけだった
今日から自分で作らないといけないと考えても、途方に暮れるばかりだ
とりあえず、台所のそばの冷蔵庫の中を探ってみる
ちょうど食材が無くなった頃なのか、あまり中に入っていなかった
さすがにもうビールは一本も見えなかった
何かすぐに食べられるようなものはないかと探してみたが、野菜や肉や魚がパックに生のまま入っているだけで期待に答えるようなものは何も無いようだ
由実子は料理が得意だったから、レトルトやインスタントのようなものを必要としなかった
それに健康思考も少しあったようだからもちろん買ってきているはずもない
一人暮らしを始めた頃には、毎日が即席の食べ物だったけれど、そういえばいつからかカップラーメンですら食べたことがない
・・もうこれ以上は考えるのも動くのもつらい
ふらふらと歩いて一気に飛び込むつもりが、やや控えめにソファの上になだれ込んだ
体の全てを預けているかのようにぐったりと力を抜く
時間は少し経ったはずなのに、頭の痛みはなかなか消えない
それに、何故か嫌な吐き気もする
荒くなった息をどうにか抑えようと仰向けになってゆっくりとした呼吸を心がけた
ようやく落ち着いたところでまた空腹が襲う
どうしてこんなときにこんなにも腹が空くのかと自分が嫌になる
腹が空いたといっても、言えばすぐに作ってくれる人はもういないのだし、今の状態ではどうしようもない
由実子のことをふとかえりみて、いままでのありがたみが心にぐさっと太い針を突き刺されたかのように痛く響いた
それをはじまりとしてか、起きてからもそんなに考えていなかったことや思いが溢れ出す
いままでの出会いや思い出が走馬灯のように鮮やかに蘇り、今でも由実子の顔や姿がありありと目の前に浮かぶ
また、あしたにでも普通の顔をして帰ってくるのではないかというようなことさえ考えてしまう
もしそんなことがあったなら、俺は何もかも許してしまってすぐに由実子を招き入れるのではないかと思う
一人でいるということがここまで辛いことなのか
そう実感するのにも、正確にはたった一日もかかっていない
由実子を愛していていつも一緒に居たからこそ、気付かないことは実は大きかった
浮気をしていると告げられたときに感じた心の穴よりも、今こうやっているときの方が明らかに心に空いてしまった穴は大きくなっている
虚しさが胸をよぎる
昨日の由実子が泣いていた場面までもがリアルに思い出され、わざと顔を歪めた
どうしてあのときにもう一度聞くことができなかったのだろう
由実子は当然、俺を選んでくれるものと思って少しも疑わなかった
それゆえにそのショックが大きすぎたのだろう
聞き返したとしても、どうにもならなかったのではないか
段々とマイナスな思考になってきている
ただ、間違いなく言えることは
由実子は一人を選んだ
俺ではなくあの男のことを選んだ
つまり、山中は由実子に愛されているが俺はもう由実子には何とも思われていないのだ
いままで毎日、由実子と当たり前に顔を合わせて生活をしてきて俺は由実子の変化に何一つ気付かなかった
信頼関係は少しも変わっていないと思っていたが、今思えばその信頼も俺だけのものだったのかもしれない
もう、何が嘘でどれが本当だったかなんてことはどうでもいい気がした
山中と話したときのように、一方的な片思いも続けられない
本当は今にもすがりつきたいような気持ちもあったが、愛されてもいないのに追いかけるのはどうかと思えば、その気持ちも少しずつ薄らいでしまう
もうこの家に帰ってはこないのだ
いつも見ていた笑顔を見ることもできない
あの笑顔は嘘だったのかもしれないが、俺にはどうしてもそうは思えない
二人とも愛していた
今では過去形だが、今となってはその言葉をかたく信じていたいと思った
思い始めると、もう止まらない
いつからか泣いたこともなかったけれど、感傷的になったからなのか思いと同時に涙が溢れ出す
ソファの上に仰向けになったまま、流れてゆく涙を乱暴に腕で何度も何度も拭った
泣くのを止めようとしてわざと大きくついたため息が震える
自分は仕方のない人間だとあらためて感じた
由実子を取り戻すことはできない
泣いても仕方がないけれど、どうしてもおさまらなかった
もう子供ではないのだからと言い聞かせても
しばらく何度も思い返しては無理をして天井を睨んだ
そうそうすぐに忘れられるものではない
あのまま山中が由実子の前に現れることがなかったなら、多分俺たちはそう遠くない時期に結婚していただろうから