第十二話
目が覚めて、気付けば朝になっていた
テレビの後ろの方の薄い黄緑色のカーテンのすきまから光が届いていて眩しい
いつの間にか、鳥のさえずりまで聞こえてくる
世間では空も晴れ渡って、いい日に違いない
まだ眠たい目をこすり、いままで寝ていたソファから手をついて立ち上がろうとすると、その瞬間に貧血のようなめまいと何か鈍器のようなもので頭を殴られたかのようなひどい頭痛が走った
立ち上がったはいいものの、そのままどうすることもできず頭に手をあてながらソファのひじ掛けをもう一方の手で持ち、重い体を支えた
しばらくそうしていると、まだ頭痛はしているけれどめまいはなくなってきたようなので家具にかわりがわりに手をかけながら四〜五メートル先の台所を目指した
たった四〜五メートルの距離だというのに、体がなかなか言う事を聞かない
こんな風に思ったのはさすがにいままで生きてきたうちで一度もないだろう
ふらつきながら、しきりに痛む自分の頭をさすり、やっとありついたコップ一杯の水を一気に飲み干す
少しは楽になったが、さっきから頭の痛さに目が開かない
こんな二日酔いはひさしぶりだった
いや、もしかするとここまでは初めてかもしれない
台所の銀色に光った流し台に俺の顔が映っている
そのときの俺の顔は、痛みに歪んだうえにデフォルメされたうえに一段と歪んでいて酷かった
その顔に背を向けるように後ろ手に流し台にしがみつき、体ごともたれる
そうやって部屋を見て見れば、目の前のテーブルの上にビールの空き缶が二本とも潰された形で転がっている
遠巻きなので見間違いかもしれなかったが、目を細めて見ると少し先のソファの付近にも一〜二本あるようだった
そのままの状態で少し考えてみる
俺は酒はどちらかと言えば強い方だ
よく会社の付き合いで飲み潰れて帰ってきたときもあったが、ここまで二日酔いがひどかったことはなかった
さっき見つけた三〜四本のビールではそんなに酔うはずはないし、少なくともこうはならないはずだ
部屋の中を探せばもっと出手くるのかもしれない
しかし、これはおそらく何軒か行ったな・・・
今更の後悔に自然とため息が出た
何か覚えていることはないだろうか
とっさに昨日の記憶をさぐってみることにした
確か、昨日は由実子と昼過ぎに一緒に出かけたはずだ
それで山中とか言う男に会って・・・
冷静に話すはずが、つい大声になってしまって何度か怒鳴ったような気がする
そうしているうちに最終的に由実子はあの男を選んだ・・・
俺はそれを聞いて、そのままあの店を出て・・・
それからの記憶が全く無い
おそらくは昼間から何軒か続けて飲み歩いてその後、家に帰ってきてからも冷蔵庫を探ってビールを見つけて飲んだんだろう
そのうちに寝てしまって、朝になったというところか
それにしても、これ程の頭痛とは一体どれだけ飲んだのか
頭の痛さだけでない理由も加わって、痛みを増した頭を抱えた
思い出したことはあるが、今ではそこまでの実感もない
すると、突然けたたましい電話のベルが耳を打った
その音にまたもや痛みが増して何故か呼吸数が上がってくる
いつまでも鳴り止む様子のない耳障りな呼び鈴が二日酔いの頭に与える衝撃は驚く程大きい
小さな呻き声をいくらか上げながら、ついさっきソファから台所へ来たように、今度はテレビの隣にある電話のおかれている小さい台のところまで行く
家具づたいに、やはりふらつく足取りで
結構時間はかかったが、やっと電話のあるところまでたどり着いた
もう最後はほふく前進のような格好だった
電話がかかってきてからというもの、何度呼び鈴が鳴ったか分からないくらいだが、相手は今だに電話を一度も切らないままに待ってくれているようだ
それはすごくありがたいのだが、そのしつこさに近くで聞くとより一層大きくなったベルの音も加わってか少し、苛立ちもする
何か予感がしないでもなかったが、はやく電話を取らなければいけないという変な使命感のようなものにも後押しされて受話器を取った
「はい、岡田ですけども・・。」
「お前、何をしとるんだ!!」
半分も言い切らぬうちに怒鳴り声で言葉をさえぎられた
さっきの呼び鈴と同じくらいに頭に響く
しかし、その声を聞いて電話の相手が誰であるかはすぐに分かった
電話をとる前に感じた俺の少しの予感は見事に外れていた
「いつまでも電話を取らないもんだから、心配したじゃないか。」
さっそく、いつものように小言を言われる
部長は少しぶっきらぼうではあるが、根はなかなか部下思いの優しい人だ
だから日頃からも小言が多い
「おい、聞いてんのか?」
「・・あ、はい。すいません、聞いてます。」
「もう昼前だぞ。こんな時間まで仕事にも出ないで何しとるんだ。電話一本でも入れないと困るだろう。」
「すいません。」
最初よりも部長の声のトーンが少し下がった気がする
それよりもさっきの言葉を聞いて、もう昼前なのかと思った
仕事へ行くどころではなかったといえばそうだが、不覚というか何と言うか仕事のことをすっかり忘れてしまっていた
「ちょっとですね・・。」
声を濁す
正直に二日酔いで休んだと言うには少し気が引けた
「どうした?何か調子でも悪いのか。」
「はぁ。実は二日酔いがひどくてですね・・。」
聞かれたので、もう素直に言ってしまうことにした
どうせ今の状態ではいい言い訳も考えつかなかっただろう
「二日酔い?」
すっとんきょうに驚いた声が返ってくる
無理もないといえば確かにそうだ
「自分でもよく覚えてないんですけど、起きたらすごい二日酔いで・・。」
「何の自棄酒か知らんが、次の日が仕事だってのに自分で覚えてない程飲むやつがあるか馬鹿野郎。本当に仕方のないやつだな・・。」
まだぶつぶつと何やら聞こえる
「すいません・・。」
つい、電話の前で頭を下げる
「さっきからすいません、すいませんって謝ってばかりいるな。腰の低い人間になっちまうだろ。・・・まぁ、今日は休め。まだ小林の商談はもう少し先の予定だし、全然間に合うだろう。」
謝ってばかりいると腰の低い人間になってしまうというのは、入社してからよく聞く部長の決まり文句だった
それと、小林というのは俺が会社に入って初めてといっていい程の大きな会社との商談を任せてもらった小林商事のことである
小さな商談はたびたび行っているうちの会社のお得意様だが今度計画している事業についての商談はいままでにないくらいの大きな規模となるようだ
まだ勝負をかけるのは早い段階にある
商談を任せられたといっても、グループのメンバーに部長が何故か俺を推薦をしてくれ、ただ一員になっているだけだがその役目はなかなか大きい
各部署に一名ずつしかいないそうだ
「はい、ありがとうございます。」
本当に部長にはいつまでも頭が上がらない
感謝の念で一杯だった
「ちゃんと休んで、あしたは朝一番に会社に来いよ。わかってるな?」
俺の言葉を聞いてなのか、少しだけ部長の声も明るくなったようだ
「はい、分かってます。」
「じゃあ、あしたな。」
「はい。では、失礼致します。」
安心した気持ちで、静かに受話器を置いた