第十話
目の前には、洒落た感じの店構えをしている喫茶店「カトウ」がある
建物自体はログハウス調になっていて、まわりも色とりどりの花が飾られていて華やかな雰囲気だった
店の前には深い緑色をしたアウディだけが止まっている
その車を見て、由実子は
「あ、もう来てるわ。」
とその車に指をさし、声を上げた
まさか、その男がアウディに乗っているとは・・
由実子は見慣れているのか普通の反応をしたが、俺にとっては見ることも少ない高級車だ
少し嫌な予感がした
由実子が先で、俺が次に店内へ入ると、ゆったりとした洋楽が流れていていい雰囲気だった
しかし、今はそれどころではない
由実子の浮気相手というのが一体、どんな男なのか
変に頭が熱い
この店内に本人がいると思えば、いてもたってもいられなかった
俺と由実子が入ってきたのに気付いてか
「いらっしゃいませ。」
という店主らしい白ひげの生えた年配と思える老人が迎えた
小柄で、何か不思議な雰囲気がしている
「岡田和利さまと、吉村由実子さまですか?」
名前を呼ばれて驚いた
どうして、俺たちの名前を知っているのだろうか、というか何故呼ばれたのか
「あ、はい。そうですけど。」
理解が出来ていないままとりあえず、返事をすれば
「そうですか、お待ちしておりました。わたくしはタナベカツユキと申します」
と言い、深々と頭を下げた
待っていたということは、男が待ち合わせの際に俺と由実子の名前を伝えていたのだろうか
そういうことだろう
「オーナーのヤマナカ様がお待ちでいらっしゃいます。どうぞ、こちらへ。」
はやくもタナベという店主らしい男は手を向こう側へ差し出す
名前を呼ばれたことの次に、オーナーと聞いて驚いた
この店全てが由実子の浮気相手のものだったとは
どうりでアウディに乗っている訳だ
なんとなく納得がいったが、何故か握った拳に汗をかいていた
店内はよく分からないので、店の奥の方へ案内されるままに二人してついていった
一番奥のところへ案内された
そこがこの店の中で一番広いところのようだ
「ここでございます。お上がりくださいませ。」
右手で示された
喫茶店だというのに、その一角には畳が敷かれていて木目の大きな一枚ものの足の低いテーブルが置かれている
くつろげる座敷といったところだろうか
その畳の上のテーブルの前に腰掛けている一人の男がいる
その男が、俺と由実子に向かってこう言った
「さぁ、上がってください。よく来てくれましたね。」
笑顔が眩しかった
しかし、その笑顔が由実子に向けられているものと知って怒りが沸いた
とりあえず、二人とも座敷へ上がった
俺と由実子は隣同士に座る
ヤマナカとかいう男が俺の目の前になっている
そういえば、さっきから由実子は一言も口に出していなかった
会釈さえもない
心配してそちらを向いてみれば、特に緊張しているという風には感じられなかった
ヤマナカはきちっと姿勢を正しながら正座をしている
何故かスーツだったが、わざわざスーツを選んで着てきたのだろうか
歳は、俺よりも少し上で二十七〜八くらいに見える
そんなに太っているという様子もなく、座っているので身長は分からないが中肉中背といったところだろう
顔はそんなによくもなければ悪くもない
右手の手首にはさりげなくブレスレットがされ、金持ちという匂いがしている
もっと年上かとも思ったが、このくらいの歳で喫茶店の経営をしているのには驚いた
親からの財産や何かなのかもしれないが、俺はきっとこんな風にはなれないだろう
驚いたものの、敵意をこめた眼差しはやめない
その代わりなのか何なのかさき程までの緊張はいつの間にか消えていた
「始めまして、岡田和利さんですね?わたしは山中直樹です。」
握手を求められた
しかし、はっきりと断った
ずっとこんなところに居たくはないと思ったので、あいさつもしないままで話を切り出すことにした
単刀直入に言う
「あの、山中さんは由実子と付き合っておられるんですか?」
「はい。わたしはそう思っていますが、由実子さんに確かめてもらえば分かると思います。」
山中は仕事の話のようにてきぱきとした話し方で、早くも由実子に話を振った
なるべく、由実子を入れたくなかったのでそのまま続けた
「由実子には、もう一人付き合っている人がいるということで聞いています。」
「じゃあ、そういうことですね。」
山中は落ち着いた態度で話す
それがなんとなく癪に障って嫌な気分だった
店の雰囲気とこの男の雰囲気に少し飲み込まれそうな自分にも腹が立つ
「山中さんは、由実子にはすでに付き合っている男がいるということを知っていらしたんですよね?」
「ええ。」
「それなら、浮気になってしまうじゃないですか。どうしてそんなことをしたんです?」
「それは、由実子さんを愛していたからです。男が他に居たっていいと思った。いつかは振り向いてくれるんじゃないかと思ってたんです。」
さらっと愛しているという言葉が出た
隣に座っている由実子の顔は見れなかった
「それで、本当に由実子はあなたと付き合ってしまったと。」
「はい。」
「なたは、愛する人にもう一人あなたの他に愛する男が居てもいいと思いますか?」
「どうでしょうね・・。それは、やっぱりわたし一人だけを愛していて欲しいと思いますけど、どうしても無理なのだとしたら構いません。その人と一緒にいられるのなら何があっても我慢できると思いますから。」
山中は凛とした態度で言う
その山中の迷いのない答え方にどんどん苛立ってくる
「じゃあ、あなたは由実子とはこのままでいいと?」
「由実子さんが決めてくれればいいと思っています。わたしのことを愛していると言ってくれるのなら誰がいようと一緒に居たいと思います。」
「由実子が好きでないと言えば、すぐにでも諦めるんですか?」
「そうですね。辛いですが、わたしだけが好きでいたとしても迷惑になるだけでしょうから・・。」
本当に辛そうな顔をする
確かにそうだ
俺も同じことを思う
由実子が好きではないと言えば、辛いが身を引くしかないだろうという考えだ
山中と俺の考えはそんなにも違っていないのではないか
「俺も、それは山中さんと同じ意見です。由実子が好きでないというのなら潔く諦めようと思っています。でも、俺は由実子に俺じゃない他の男がいるのは嫌なんです。だから、山中さんが由実子と付き合っているというのも耐えられないんです。」
とりあえず、今の気持ちはなるべく冷静にちゃんと言えただろう
山中は、うんうんと頷きながら俺の話を聞いていた
「耐えられないというのも分かります。しかし、愛しているならその人の幸せを思えるのが一番じゃないですか?」
いままで聞いていたばかりだった山中から大人の意見が出てきた
少し考える部分があったが、一生懸命に反発する
「そうでしょうか?愛していても自分のことは考えるものだと思いますけど。恋愛だって、自分のことも考えていないと体も精神的にも持たないじゃないですか。相手のことだけを考えて自分を犠牲にすることは実際には出来ないと思いますけど。」
「まぁね・・。」
山中は考えるように腕を組みなおす
そのひとつひとつの動作を見逃さまいとじっと睨みつける
何だか、この三人で話していても平行線になりそうな予感がする・・
「でも、きっと今すぐにどうしようなんてことは出来ないと思いますよ。ねぇ、由実子さん?」
由実子は話しかけられて、少しビクッと反応したが
「え、ええ・・。」
とそっけない返事をしただけだった
・・・・・
沈黙が流れる
早くも話すことがなくなってしまった
元々、この状況で話すことがなくなるというのもおかしいだろう
本当に由実子はこんな男が好きなのだろうか?
そんな疑問も浮かび上がってくる
話し合いがようやく始まった。俺はまだ今のところ、平静を保てているはずだ。しかし、山中は思ったよりも厄介な男のようだ・・。
この後、果たして由実子はどんな決断を下すのか。