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ちゃぽん――という水の跳ねる音と共に僕は両腕を湯船の中に降ろす。ふぃーっと深く息を吐き出すと、それと同時に幾らか疲れが吐き出されたような気もして、少しだけ幸せそうに微笑む。
手を伸ばして触れた、と思った次の瞬間には眼に映る景色のあまりの落差にしばし動くことができなかった。
耳に痛い程の喧騒が、今度は逆に不気味なまでの静寂となり、組み合わせ抽選の表示をしていたホログラフのような魔法を見やすくする為だと思われる、周囲の暗さに眼が慣れていたのに対し、この六畳程の個室にある篝火の様な照明が、急に目の前に現れた為、軽いパニックとなっていた。
それでもゆっくりとこの変化を飲み込むように気持ちを落ち着かせていく。段々と気持ちの揺れ幅が落ち着いて来たので、今度は体をほぐす様に軽く柔軟運動を開始する。手首をブラブラ、首をグルグル、腰をグイングインと、足首をブルンブルン、と。
ふぅ、と一つ深く息を吐き出した後、とりあえずはという感じでその部屋を眺め回してみた。やはり窓のような開口部は付いていないが、それほど大きくないドアが一つ。寝具は木製のシングルサイズ。照明は篝火の様な物がドアの脇に一つだけ。ほかにはベッドサイドに水差しらしいものと鉄製らしきグラス。それ以外には家具らしきものもなく、何も無い空間が広がっているだけ、という部屋だ。
うーん、まだそこまで眠いわけでもないし、どうしようかな?と考えて、やはり最初に眼が行ったのはドアだった。トイレかなんかだろうかな?とドアの方に足を向ける。取っ手に手をかけてみるが、やはりドアノブなどはなく、視線を目線の高さに移すと小さな閂の様な物が見える。それに手を掛け閂を外すと、ドアはキィッと小さな悲鳴を上げるだけで外側に開いていった。
ドアを開けた先にあったのは幅が二メートルもありそうな長い廊下。部屋から出て最初に目に付いたのがそれだった。そしてその廊下に接するようにずらりと並んだドアが見える。何かに似てるような?と僕が思案して、思いついたのはプレハブ住宅を横一列に並べたような光景。
そんな考えを振り払い、さてトイレ等はあるのかな?と僕がテクテク歩き始めると、突き当たりはT字路になっており、そこの壁には落書きがされていた。明らかにマジックで書かれた物が。
『← ♨ トイレ →』
「・・・・・・風呂、もあるのか」
←のすぐ脇に書かれている温泉マークに少々驚き、僕の口からそんな呟きが漏れた。黒いマジックによる落書き。きっと先代達による置き土産的な物なのだろう。其れを見た時何故か此処が異世界であるということを忘れたような暖かい気持ちが込上げた。ただの落書きなんだけど。あ、下の方に『落書き禁止』って書いてある。同じ黒のマジックで。
それでもこちらの風呂という物には好奇心が沸き、誘われるようにフラフラと其方に歩き始める。ドアが見え、其れに近づくにつれて水の流れるような音が微かに聞こえ始める。取っ手に手を掛け、閂は、と視線を移しても何も無く、押せばいいのかな?と押し込んでみたものの動かず、手前に?と引いてみたものの動かなかった。んん?と思い、試しに横に、と力を入れてみると、少し重い手ごたえと共に横にスライドしはじめた。
そうか・・・・・・引き戸ですかそうですか・・・・・・。
「おぉぅ」
目の前に広がる光景は、一言で言うなら絶景。どうもこの場所はそこそこ高い山の中に在るようで、視界の先は抜けるような夕闇と、深い樹海の光景が広がっていた。足元には石畳が広がり、左右にも石造りの壁が三メートル以上もの高さで並んでいる。その石畳のスペースだけでも軽く最初に居た部屋位の広さがあり、その中で湯気を上げている湯船は、例え50人が同時に入ったとしても足を伸ばして寛げるだけの広さが見て取れた。
「何やってんだ? おぉう!無駄に広ぇ風呂だなおい!」
そんな今までの感慨も情緒も木っ端微塵に吹き飛ばす大声に、大変迷惑そうな顔と視線を後ろに向けると、その表情も視線もバッサリ無視し、尚の事僕を押しのけて風呂の方へ誘われるように歩いていく青年が現れた。と、其の後ろに眼鏡の青年も。確か福島の人だっけ?
「こんばんわ。いやぁ、凄いですね、これは。トイレはあるのか、と思って歩いてたんですが。しかし、これ脱衣場とかはあるの? というより、混浴、なんだろうね」
挨拶に会釈とともトイレはあっちっぽいですねと軽く返し、其の後に続く言葉にはて?と周囲を見回す。あ、壁際に棚と籠がある。タオルとかもあるのかな?しかし、男女の仕切りは・・・・・・ないね。うん、微塵も無い。時間別に使えばいいのかしら?あらあら、どうすればいいのでしょう?
「さて、私は行きますね。少し惜しい気もしますが、まぁ、明日の予選後にでもまた来ればいいかな」
後半自問するようにそう呟いた。まぁ、この景色も素晴らしいけど、確かに規模がすごいからなぁ。日本にこんな広い露天風呂とかあるのかな?と僕が考えていると、眼鏡の青年は僕の後ろを困ったような顔で見ていて、それでは、と会釈を残してトイレの方へ歩いていった。トイレも共用とかなのかなぁ。後で覗いておこう。
「あれ?あいつ行っちゃったん?」
そんな言葉に振り返ると、既に裸体の好青年が居た。右腕にはそれまでその体を猥褻物陳列罪から護っていた衣服を抱き、どこか楽しそうな表情で「入らないで行くとは勿体無い」と呟いた。
そんな青年にこれみよがしに大きな溜息をプレゼントして、先ほど見かけた脱衣入れらしき棚の方を指差した。それを眼で追い、こちらにまた視線を戻すと、満面の笑みで頷いた後、其方のほうへスキップでもしそうな勢いで小走りし始めた。子供じゃあるまいし、と苦笑しつつ、僕もその後に続いた。せっかくだし入っていこう。
「しっかし、奇想天外、て感じだよな、ほんと。誰が最初に考えたんだろうな、こんなこと」
二人で独占するにはかなり広すぎる湯船の中で、色々な気疲れやら思考過多による頭の疲れを癒すべく無気力に体を投げ出していると、ぽつり、と呟くような其の言葉が聞こえてきた。
確かに、僕達は五回目、と言ってたっけ。だからまぁ、ある程度のことは説明してもらえたし、待遇にしても慣れているような感じで、こうしてみると概ね不満などもない。気になるようなところもある程度ではあるが説明も受けているし、こうしているくらいの自由もある。それでも、やはり最初のときは、と考えると、それはどーだったんだろうか?
「なぁ、大概さ、異世界召還とかって奴は救世主的な物語じゃねえ? 俺らの場合は娯楽らしいけど、当初の目的って、やっぱそんな感じだったんかね?」
何処か子供のような笑みを浮かべ、楽しそうに、嬉しそうにそんな言葉を紡いでいる其の青年に、僕としては困った顔を返すしか出来なかった。確かに、去年の予選の映像で見た光景、あれを軍事的に活用したとしたら、敵性勢力の無力化にはうってつけな気もする。それこそ各都道府県から一人づつ集まった人間が、一斉に魔法を放つとしたら、それは豪華絢爛な光景と共に・・・・・・そうか、聞こえてくるのは『ぎゃふん』という言葉か・・・・・・。締まらないなぁ。でもまぁ、無力化からの戦場の平定はできそうだな。
うーん、でも、確かに当初はその目的だったんじゃないのかなあ?そう考えると召還術式というのか?それだけは受け継がれていて、軍事利用はせずとも、娯楽には向いているのでは?と考えた誰かの手で異世界召還が復活したとか?
「まぁ、僕の考えだと、当初はそうだろうね。召還魔法、でいいのかな、それ自体は今回が五回目ではないだけかもね。今年で五回続いているからと言って、あおれはあくまでお祭りが。てことでしょ。それ以前に無かった訳ではない、かもしれない。それが遥か昔なのか、一回目で戦争が終わって、勿体無いから次の年からお祭り目的で第一回が開催されたのかも。もしくは其の一回目で戦争が終わって、そのまま第一回のお祭りがはじまったのか」
そんな僕の考えに、返事をするでもなくただ体を伸ばして聞いていた彼の青年は、それから暫くはそのまま声を発することも無く静かに考え込んでいるようだった。其の間も似たような内容のことを僕は適当に喋っていたんだけど、うーん、もう少し反論なり自論をこう・・・・・・。疲れた、この辺で話を締めよう。
その後の静かな数分も、再び入り口の引き戸が開く音で終わりを告げる。結構個室の外が気になって探検に出てる人が多いのかな?さて誰だろう、と視線を向けると、その人物の視線とばっちりぶつかった。
やはりというか、戸惑っていた。僕なんかかなり動揺してるんだし、それだけの変化に留めているだけ彼女のが肝が太いのか、人生経験が豊富なのか。というか、隣のこいつは何で無反応?あ、見てないだけですか。いや、もう少し気にしようぜ?そんなことを思いつつも、少し考えてから口を開く。
「もう少ししたら、出ますから。男と一緒だとゆっくり出来ないでしょ?」
「んー・・・・・・。いや、別にいいよ。どうせこの後もまた人が来たりしたら変わらないし。それだったら少ない時に入っちゃったほうがいいかな。早めに寝ておきたいし」
其の言葉は予想外だったため、すぐに返答できなかった。え、僕タオルも何も持って来てないんだぜ。どうしよう、と一生懸命言葉を探していたら、隣からチャポンという水音が聞こえる。何だどうした助け舟か?と隣に視線を移すと、其の青年は未だ相手に視線を向けるでもなくただ上を見上げたままに、右腕だけを持ち上げ、先ほど僕たちが衣服を仕舞い込んだ棚を指し示すように持ち上げていた。それは僕に対しての助け舟ではなく、あの女性に対しての反応だと理解して、それからおいこらちょっとまて、何勧めてんだよと軽い頭痛を覚えた。
女性はそれを見、それから視線を移すと軽く頷いた後其方へトテテと歩き始めた。なんだろう、追い詰められた、という気がするのは僕だけなんだろうか?あ、タオルを広げてる。本気だ。本気でこっちに来る気だ。
あーでもない、こーでもない、と考えながら、天を仰ぎ見たけれど・・・・・・。再び聞こえた水音に視線を移すと、無駄に広い湯船は、更に一人分の広さを失っていた。それでも未だに余裕はあったけれど。いや、逆に僕の心の余裕が一人分減った気がする。僕の心の広さは四畳半くらいだと思う。
「うーん。確かにそれが一番可能性高いかもね。でも毎年やるってことは、興行としても成功してるってことでしょ?主催が国王ってところから考えてもさ。確かに市民のガス抜きにもなるだろうけど、結局国益ってことじゃないの?」
先ほど僕達がしていた会話のことを話すと、それでは何故その祭を続けているのか?という内容に移行していた。考えてみると、何でだろう?という話ではあったのだけれど、そう言われてみると確かにしっくり来るものがあった。あの国王、なんか覇気とかそんなのは無かったけど、そう考えれば確かに一国の王としては捨てきれない選択だろう。あの闘技場に居た観衆だけでも、かなりの数だった。それも熱狂的なほどであったのだから、毎年のごとく期待して来ているのかもしれない。それこそ多少の入場料くらいは気にならないほどに。あの広さだと、丼勘定でも何万人という単位で収容できるだろう。一人500円だとしても・・・・・・。いや、僕が考えることじゃないか。
「それに一回目と三回目だっけ?その優勝者以外は報酬が魔法で如何こうできたんだし、国家としては丸儲けだったんじゃない?」
あぁ、そう考えると・・・・・・。あの魔法使いの人、苦労人ポジションだなぁ。家でも何か色々あるっぽいし。まぁ、確かに美形だし、能力も国家の頂点とかだし、難しそうな性格っぽいけど、パッと見だと渋いダンディーという印象もあるし。うーん、でもそー考えると?一回目の名誉の殿堂とか、金掛かってないだろうし、二回目も魔法で身体再生?を解決。三回目も爵位と居住権だけ、去年も魔法でモテ子ちゃん作成。
うわぁ、国王儲けてんなぁ・・・・・・・。いや、彼が苦労してるだけか?
「丸儲け、だねこれは。だとすると・・・・・・優勝の報酬の話の時、金でもなんでも好きなものを、と言わなかったのは・・・・・・考えすぎかな。でもまぁ、最後のあれは、何故か誘導っぽい気もするな」
「え?マジで?どういうことよそれ」
と、今まで反応の薄かった青年が、ここぞとばかりに反応を示した。いやね、もっと早く行動してよ、ほんとに。僕は対人会話スキルがかなり低レベルなんすよ。それも異性だと数倍下がるというほどに。兄弟みんな男、其の上男子高校卒業者の僕に今までこの状況を丸投げしてからに、こいつは。そんな気持ちの全てを視線に乗せて射竦めるように青年を睨んでみたものの、え、何?的な表情を浮かべられただけで、それより早く続きを話せ的な視線を返される。あぁ、胃が痛い。
「つまりさ、僕らは最後残ってたでしょ。その時、その三回目の優勝者があの人の家でメイドやってるって言ってたよね? そこからの入れ知恵も考えられるんじゃないかってこと。国益を絡ませないで報酬を掲示するには、何がいいかってことかな。それこそ似た理由であの人の家でメイドやってるんだろうし、それが報酬なら、と考えたのかもってこと」
その僕の言葉に神妙な面持ちでゆっくり数度頷いてる青年に、激しい違和感というか、似合わないから、という言葉をなんとか口に出すのを留めながら話続ける。対して正面にいる女性は考えるような表情で静かに聴き続けていた。あ、そういえばこの話の時は僕らしかいなかったっけ。この人はこの話が出る少し前に移動しちゃってたもんなぁ。
「だとしたら、あれか?分け前よこせ的な事言っても無駄ってことか?」
「無駄じゃないかもしれない、けど。こっちの通貨がどんな物かもわからないわよ。それに褒賞の授与が国王とその近辺の者だけがいる場所での謁見とかになると、煙に巻かれる可能性もあるしね。入場料云々は所詮私たちが個々で空想しただけでしょ。根拠というか証拠がないわね。迷惑そうな顔を拝んで終わりじゃない?」
「いや、それでもいいんじゃね?実際俺ら迷惑したんだし言うだけ言っといても。なぁ、そうだろ?あれ?そう、だよね?」
「え、あー、うん。そう、なの、かも、ね?」
「いやいや、そうじゃない?! 優勝したらってのはわかるけど、結局はあれだろ?当たると三億円貰えるって宝くじを買う気も無いのに勝手に財布から金を取って宝くじに変えちゃいました!的な話だろ?」
気がついた時にはそんな感じで僕を抜かした二人であーでもない、こーでもないと言葉の応酬を繰り広げていた。宝くじの話はどこか的を得ている気もするなぁ。当たるのは一人。買う気も無いのに財布の中身がすっからかん。ははは、笑えねえよほんと・・・・・・。
しかし、なんだろう、この二人の会話が続いている。傍目にも既に上下関係が見て取れるのも少し面白い。
片やこの青年を弄ぶようにニヤニヤとした表情で楽しそうに言葉を放つ美人な女性。対する青年は、見た目こそ好青年、ではあるが、性格的になんというかな三枚目的な少し残念な青年。年代的にもつりあっていそうで、この二人が結婚していると言われても違和感も無く頷くことができそうな雰囲気で。しかも話の内容が聞こえていない他人が見ると、明らかにお似合いの美カップル。
そう、遠目に見ているだけで内容を聞いていなければ。
「いやいや、それは関係ないだろう。第一なんで俺が将来禿げる事前提で優勝狙わなきゃいけないんだよ!」
「え?見た目?きっと禿げるから優勝したら死ぬまで禿げませんようにって言えばいいと思うよ」
「いやいや死ぬ前ははげてもいいよ!ぶっちゃけもう50くらいから禿げてもいいよ!それより若い時の思い出が大事だよ!」
「あー、モテそうに無いもんねぇ」
「やめてよ!解っても言葉にしないでよ!言葉の暴力だよそれ!」
「暴力じゃないよ。武力よ!私、暴力って嫌いなの」
「どう違うんだよ!いや確かに語感から負のイメージが抜けたけど!威圧感は変わんねえよ!」
「あっはっは」
うーん。なんというか、楽しいそうだ、というか傍目に見てるだけの僕も楽しいな、この光景は。なんか彼そのうち『ぎゃふん』とか言い出しそうだ。あぁ、なんて切羽詰まった顔で抗弁してんだろう。必死に言葉を探しては心に響いているような言葉に抗戦し、じりじりと押されている彼を見て
「二人は付き合っちゃえばいいんじゃない?」
と僕はその考えを頭の片隅に留めて、おけずに不意に口にしていた。
ぴたり、と風呂の中に飛び交っていた言葉の応酬が止まり、二つの視線が僕へ突き刺すように向けられた。あれ?やっちゃった?と居心地の悪い気持ちで体中から汗が出てきたように感じた。きっと長いこと湯船にいたからだろう。だといいなぁ。あぁ、胃が痛い。
「いや、あの、なんというか、楽しそうだったし? 傍目にはだけど」
そんな僕の搾り出すような言葉は、縋るような視線と共に、女性の方へ向けて吐き出していた。うん、きっとこの場を納めれるのは彼女だけだろう。それと同じようにどこか呆然としたままの青年も同じように視線を女性に向けている。そんなことあり得ないよね?的な視線を飛ばしているようだ。
其れに対して、其の女性は、何故かニヤニヤと意地の悪そうな笑みを浮かべて悪戯っぽく考え込むように人差し指を顎に乗せて、「そうだねぇ」と呟いていた。あぁ、なんだろう、自分のことではないけど、こうなった以上無関係でもいられないのにこの待たされている間というか、時間というか、空間というか。
「ちょっと聞いていいかな?こっちの世界の記憶って、戻ったときに残ってると思う?」
あいかわらずニヤニヤと意地悪っぽい笑みを浮かべたまま、そんな言葉を言うとやはり楽しそうな視線ではあったが、どこか挑むような雰囲気でその疑問を口にした。
対して、僕達は。
「え?普通に残ってんじゃねぇの?報酬とか貰えるんだし。確かに、あっちに戻っても一日寝た位の時間しか経ってないかもしれねぇけど、それで夢だと思うにしちゃこっちで五日も過ごすとなると、流石に忘れねぇんじゃねぇの?」
「・・・・・・いや、逆に五日分の記憶をあっちの一日で記憶に残せるものなのかってのも気になるね。残ってたとしてもうろ覚え程度に残る、とか?うーん、そう考えると、どっちとも言えないな」
「そんなもんかねぇ」
僕達は難しい顔をしたまま思い思いに考えを言葉にしていく。それをニヤニヤ笑いからニコニコという笑いに変えた女性が楽しそうに聞いている。それからも色々考えては見るものの、やはりどちらとも言えないような考えしかでてこなかった。
「確かに、こんな感じだとこっちで何か約束してもあんまり意味がねぇかもなぁ」
「そうなんだよねぇ。でもまぁ私は確定させる方法はある、と思うよ?優勝すればだけど」
「あぁ、成程。確かにそれだとできるかも。まぁ僕はどっちでもいいんだけどね。で?話を戻すけど、記憶が残るとしたらどーなの?」
空気が変わったのをこれ幸いと、再び先ほどの話題を掘り起こす。あ、ニヤニヤ笑いが僕にも伝染っちゃった。一瞬青年が僕の方へ殺気の篭った視線を投げかけてきたが、その時女性が体を動かした為に生じた水音にビクリと肩を揺らして視線を変える。
其の表情も死刑宣告を待つかのように少し顔から血の気を引かせたような、赤い数字でこれじゃだめだろう的な数字の書かれたテストを親に見つかったような、そんな表情に変えて。
それに対する彼女の返答はごくあっさりと紡がれ
「うん?私はいいよ?」
と可愛らしい仕草で微笑んでいた。おぉ、なんか奇跡な気がしてきた。先刻まではお似合いなんじゃとか思ってはいたものの、改めて考えてみるとやっぱ無理かな?とか遠慮も何もない考えだっただけに。
対してその返答を受けた青年は、あぁ、なんか現実として受け止めていないという顔だ。きっと僕と同じように軽くあしらわれると思っていたのだろう。あ、きょどってる。
そんな青年を他所に、うん、と伸びをした後、そろそろ寝るねー、とその女性は返事も待たずにそそくさと湯船を出て行った。其の表情はほんのり上気しているように見えたけど、はてそれは長湯の為か、今のやり取りに寄るものか。
引き戸が開かれ女性が出て行った後、相も変わらず呆然とどこを見ているのか定かでない視線で佇んでいる青年に、僕は軽く溜息を吐いた。何だかな、いや僕も同じこと言われたらそうなるかもしれないけど、そりゃ僕は女性に慣れてない・・・・・・こいつも同じなのかな?見た目いいのに、あ、性格か?
と、そこまで考えた辺りで流石にかなり長く湯船に浸かっていたことを思い出し、青年の肩を揺すると風呂を出るべく告げた。相変わらず反応は、あ、ちょっと動いた。うーん、なんでこういつもいつも僕の周りには面倒だけ残るんだろう・・・・・・。胃がやばい。
これ見よがしに大げさに溜息を吐きながら、その青年を強引に連行して着替えを済ませ、僕達は明日に備えて自分の部屋へ向けて歩き始めた。
いよいよ明日からか。色々考えてみたものの、結局ここまで来た以上、もうどうにもならないだろう。それならいっそ暗い考えは放置しよう。生き死にも関係ない、終われば戻れる。それだけわかれば十分だ。うん、それが解っているなら十分じゃないか。そうとなれば早めに寝よう。
明日からはきっと、今日よりもっと楽しい時間が待っているだろうと期待しながら。
次話から予選に入ります。作者は見聞の広いほうではないので『僕』の絡む予選と本戦だけにしようかな、というのが現状の考えです。
できればそのぅ、地元の情報とか、近隣のこういうのはこっちでは割と有名なんだぜ的な情報を教えて貰えれば助かります。
ちなみに『僕』は青森選手です。
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