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盛んに向けられるチラリチラリと伺うような視線に、せっつくような気配を探りつつも、繰り広げられる会話が少し面白かったのでその遣り取りが終わるまで待ってみようかなと考えてみたものの、そのチラ見の頻度がさらに増え、あからさまにこちらを見る機会が増えてきたのを見て取り、折角注意を引き付けるために話こんでいるようにみえてもそれじゃ駄目だろうと思いつつ、それを知って尚動こうとしない自分も強く言えたものでもないかと少しその考えに自重し、早速動きますかと僕は言葉を探す。
できるだけ速度がありそうで、尚且つ言葉短めがいいな、と。それでいて知名度がと考えて浮かんできた言葉は
「吉幾○」
現われたのは薄汚れた袢纏にもんぺ、長靴を履き、手に鍬を持つ、中肉中背の一人の姿。隣に牛をセットに並び、それは『おら東京さいぐだぁ~』という声と共に、その人影プラスアルファは東京の男へと疾り出す。
しかし、なぜこんなポップで奇抜な動きなんだろう?まぁ、ここにいる選手達の認識がこうなんだろう。
その迫り寄る足音に慌て振り返る男の向こう。やけにいい笑顔の青年がその右手をゆっくりと持ち上げ、その動きに気づいていない沖縄の少年へと向け、言葉を紡ぐ。
其の光景に、僕の中で何かがガラガラと崩れ落ちる音が聞こえた気がするけど、きっと気のせいだろう。いや、うんまぁ、気のせいじゃないんだけどね。
「よぉ。何だその無念そうな顔は。東京は目論見どおり落とせただろぉが」
くそぅ、こいつ何で僕がそんな顔になったのか知ってるくせに、さも不思議そうに言いやがって。
「ん?あぁ、そうか。沖縄の少年と一緒に俺とやり合おうとか考えてたとか?」
あぁ殺したい・・・・・・『とか?』って何だ『とか?』って。其の顔に渾身の右ストレートを繰り出せたらさぞすっきりするだろうけど、出来ないことを願ってもむなしいだけだ。でもあのニヤケ面だけはなんとかしないと精神衛生上よろしくない。それだけは何とかしてみようと、僕はその挑発に乗ることにした。
「まさか。それでも勝つ見込みが少ないし、違うことを考えていたに決まってるじゃないか」
いささか棒読み口調になってしまったけれど、別に負け惜しみを言いたくなかったからそうなった訳でもないという、いい訳っぽい思考を放り投げ、どう切り替えしてやろうかと考える。
「ただちょっとね。先刻口走ってた優勝したら云々ってやつが気になってね。ほら、前に三人で話してた時のこと覚えてる? いやぁ、あの時の浮かれっぷりは演技だったんだねぇ」
其の言葉にあからさまに動揺を見せる青年は、慌てふためく様にその闘技場の外周部、蹲る様に座る本戦の選手にして敗北後退避させられている一団の一人に視線を向け、それからこちらに向き直る。
何か人差し指を口元に当ててジェスチャーを送ってるっぽいけど、あれは何だろう? 気にしないでもいいかな。
「そ、そんな訳ないだろう、そんな。いや、お前こそ失礼じゃないか。先刻言った綺麗で可愛くて如何こうってのは彼女のことを言ったに決まってるだろ!」
そんな僕の無反応な態度にしどろもどろに言葉を発する。
それに対し、これくらいまだ序の口ですよ?と言わんばかりに僕は攻勢な構えを見せ、言葉を続ける。
「え?でも昨日あいつは性格が鬼だとか笑う悪魔だとか」
「ぎゃー!! それ以上言うな! いや、その、お、俺がそんなこと言う訳ないじゃないか!」
「彼女にね、何でこんな男でいいの?って聞いたらさ、欠伸の出るような恋愛はもうごめんだみたいなね、一緒にいると楽しいみたいなこと言ってたんだけどねぇ。そっか、まぁしょうがないよね」
「やめろ! 心に響くことを言うな! 違うんだよ! さっきの東京との会話は! あれは仕方なかったんだよ! あのノリで会話を続ける為に言っただけなんだよ!」
「その割スラスラ言葉出てたよね。ほんとの所、あれ本心でしょ?」
「黙れこの豚畜生!」
「じゃあ、優勝したら何を願うの?」
動揺が焦りに変わり、それを取り繕うように画策し、さらに畳み掛けられると情けない言い訳に逃げ、さらに逆切れまでしてくれた上に究極的な問いをぶつける。
予想通りに言葉に詰まったけれど、予想以上に面白い顔をみせてくれるその青年に、しかしその答えだけは予想できないだけに、何が出てくるかなと気楽に考えていた。当初の予定としては、こんな流れになるという考えはなかっただけに。
「そっ! それは、ほら、あれだよ、あの、前にも言っただろ、ほら!」
「いや、ほらとかあれとか言われても。あぁ、何だっけ、死ぬまで禿げませんように?」
「お前が禿げろっ! もういい! これ以上何も言うな!」
あぁ、ついに泣きそうな顔にまで落ち込んで。其の声ですら絞りだすように悲痛に響き、その声を聞く度に胃が軽くなるように感じる。
とはいえ。とはいえ、だよなぁ。多少相手の感情を揺さぶった程度で、勝率が上がるかといえば微妙なところ。暫くすれば落ち着きを取り戻すだろうし、短期勝負で押すのが一番かな?
「《横浜》ベイブリッジ」
「佞武多祭り」
二人の間に現われる光が、まるで折り重なるように絡み合い
「《湘南》海岸」
「《津軽》三味線」
二人の間に漂う音が、まるで重なるように絡み合い
「《横須賀》港」
「《大間》マグロ」
二人の間に風ガ渦巻き、嵐の様に鬩ぎあい
「芦ノ湖」
「《六ヶ所》原燃再処理工場」
二人の間に空いた距離に、割り込むように侵食しあい
「《鎌倉》大仏」
「《青森》林檎」
踊るように、謡うように、微笑むように、悲しむように、怒るように
「江ノ島」
「《弘前》桜祭り」
儚く、幻想的に、脆く、華やかに、深く、叙情的に、眩く、別世界のような
どれほどの時間、そうしていたのだろう。
知名度の高い言葉は費え、次第に派手さは下火になりつつあるけれど、それでもなお色褪せない矢次早は攻防による彩は僕の眼を魅了し、次を、次をと言葉を急かす。これを言ったら次はこれを、これは既に使えないから別な言葉を。溢れ出る言葉に後押しされ、それでも未だ終わりの見えないその攻防も、やはり予想通りの結果を迎え始めていた。
知名度の高さで劣る為、押され始めていた。あちらの一つの言葉をこちらは二つ、それは次第に簡潔な言葉を繋げてようやく間に合うという所まで来ており、それでもいまだ諦めきれずに。
気がつくと、僕は笑っていた。こんな苦境にあっても楽しいと思えている。
そして、そんな気持ちは僕だけではないらしく、対峙し共にこの景色を作り出しているあの青年もまた、僕と同じく楽しそうに、嬉しそうにその顔に笑みを浮かべていた。
出来るなら、このまま暫くこうしていたい。
しかし現実はやさしくは無い。
せめてもう暫くはこのままに。
出来ても数十秒が限界だろう。
勝ち負けよりも、むしろそれこそが気がかりであるかのようにそんな夢のような理想を求める思考、と冷静に現実を見る思考を同時に頭に描き、その数十秒という思考すら理想でしかなかったとでもいうように、目の前に迫るそれに、僕は込上げる寂寥感を押し殺し、それを誤魔化すように深く息を吐いた。
そして、僕の口から出た物は、今日二度目となる敗北を告げる言葉だった。
其の言葉は響き渡る歓声の豪雨に呑まれ、それに押し遣られるように膝から落ちる僕は、不思議と込上げてきた満足な気分を味わいつつ、その場に響く勝者を告げる大音量に賛同し、心の中であの青年に祝辞を送るように『おめでとう』と呟いていた。
改めて読み直したところ、重複している箇所が在った為修正しました。
読み返しって大事ですね…。