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俺の人生は、そんなにトントン拍子に物事を好転させたことが無い。
それが解かっているだけに、何処かで人を疑って生きて来た気がする。
目の前に見つけた石を見つめ、躓く前に取り除けようと蹴飛ばすと犬に当たって追いかけられる。
よく話しかけてきてくれたクラスの女子に、勇気を持って告白したら、その娘の好きな人は実は俺の親友でしたという落ちがあったり。
道に飛び出た子猫を避けようと車のハンドルを強引に切ると、そこには自転車に乗る学生が居て、焦りに逆ハンドルを切るとスピンし、そのまま後続の車に衝突される。
先輩の合コンの誘いに嬉々と参加し、人数合わせにもならない雑用係をさせられたり。
思い出すだけで碌でもないとは思いつつも、それらですらまだこれまでの人生の一部でしかないことを思うと、気分を暗澹とさせるのだが。
可能な限りに備えれば備えるだけ、それを信用しきれずに。
気軽に付き合える人間が出来れば出来るだけ、それを信頼しきれずに。
それがどれだけ疲れる生き方かは身をもって知っているが、しかし止めることができない。
今回もそんな自分の身構えが、きっと功を奏したのかもしれないが、やはり自分の人生はそうなるべくしてなったのだな、とまた暗く意識が沈む思いがした。
宮崎の男性が東京の男の下へと歩み寄るのを見て、もはや隠す気も無く露骨にその関係を見せ付けるのを、込上げる怒りを視線に乗せ、それでも態度は変えずに見遣る。
そして、それに併せる様に此方に近づいてくる沖縄の少年に警戒の色を見せつつも、その動向を注視しつつ、即応できるように言葉を探る。
「二対二ということか。まぁ、東京と神奈川が分かれたのは、観客としては楽しめるだろう」
東京の男の言葉に、それでも腑に落ちないものを感じつつ沖縄の少年を見る。
今の言葉を信じるならば、この少年はあちらの息が掛かっていないということになる。それは、厭くまでもその言葉を信じるならば、だが。
疑うべきは、とここで即座に少年へ矛先を向けるには状況が厳しすぎる。
少年の注意は厭くまでも東京と宮崎に向けられ、此方を警戒するそぶりは見せない。
信じるべきか? という思いが思考を掠めるのだが。
先程青森の、あの何処か頼りなさ気で、会う度に人を小馬鹿に扱うような態度を取っていたが、実際はただのお気楽でいい加減なお人好しでしかない、皮肉気な笑みをよく見せていた青年を思い出す。
その青年に、この少年が手を下したその場面を。
それでも彼我の距離が近づくにつれ、そんな俺の心情を他所に、東京と宮崎は攻勢を開始せんとばかりに口火を切る。
それに反応するように、俺と少年も迎撃の姿勢を取り
「宮崎は僕が、東京を頼んでも?」
という言葉を聞く。それに眉を顰め、少年を見ると。
真剣な眼差しを此方に向けたまま、それでも揺ぎ無い意思を伺わせる表情のままに口を動かしていた。その口から声は発せられることは無かったが、その口の動きから推察する言葉は、たったの三文字だけ。
い・お・う?
読み取れた口の動きから思考をフル回転させ、その意味を探る。それが答えに辿りつく前、耳に入ってきたのは東京の男の声にその思考は遮られ。
反射的に翻した体は東京の男に向けられ、それに併せて意識の全てを集中するように耳を、眼を、そして思考の全てを其の男の一挙手一投足に固定する。
「レインボーブリッジ」
膠着状態を向かえた四名の選手を見、今の内に敗者を退避させて置こうと身を乗り出す。
流れを見る限りで、優先させるべきはあの女性の方かと、先ずは其方からと両の脚に魔力を込めると移動の準備を開始し、タイミングを見計らう。
転移に近い高速移動を終え、女性の側に立つと同時、その右手を女性の肩に置き、その姿を闘技場の端へと転移させる。その後即座にその場を離れ。闘技場内に漂う空気を乱すことなく一人の選手を安全圏へと避難させる。
次はと視線を転じ、今年の選手のなかでは良く話をしていたなと思いだしながらも、その青年の姿を視認し、そちらへ移動するべく準備を始める。こちらは『楽園』の少年が離れ始めていたため、それ程急ぐことも無いかと思いつつ、その青年の側まで移動すると、静かに声を掛ける。
「残念だったな。まぁ、『予選の英雄』が本戦へと進んだのだ。それだけでも快挙だろう」
言葉を掛けるが、返答があったとしてもそれは敗者が口に出来る只一言であるだけに、それを口にするのを待つことをせず、自分らしくもなかったなと自嘲気味に溜息を零しつつ右手を動かす。
それが急に止まったのは、返答があったからだった。
「巻き込みそうなので離れていてください」
最初、何を言われたのか解らなかった。いや、頭ではその内容を認識してはいるが、その言葉を発しているということが理解できなかった。
ふと背後で声が聞こえた。余裕のある、それでいて高圧的なまでの『最強都市』の攻撃だろう。
そこにいる四人には、最早此方へ対する警戒も、興味を失ったかのように一欠けらさえ向けられていない。それもそうだろうと思いつつも、それこそがこの青年の狙いで在るということを悟ると、未だその役目を果たすことなく中途で止まったままの其の腕が震えるように動くのを止めることが出来なかった。
どの位の時間そうしていたのだろう。背後に聞こえる様々な音色、声音、足音に未だ意識は向けられずに、只時間の経過を無為に過ごし。そして意識をはっきりと取り戻したのは一人の声によってであった。
「ぎゃふん」
ハッとし、振り返った先で見られる光景は、こちらに背を見せ攻勢を誇る『最強都市』と、それに食らいつくように攻勢で対する『双璧』の二人。その奥に見える『楽園』の少年と、その少年と対峙し、頽れる男性。
其の瞬間、その少年と眼が合った。
その少年の視線は、此方を捉えた後、未だその場に蹲る足元の青年に向けられると、軽く頷く様な仕草をみせ、其の注意を『最強都市』へと向けた。
沖縄と宮崎の二人が其の勝敗を決し、その勝者たる沖縄の少年は此方を軽く見た後、其の意識を東京へと向ける。
現状の構図としては、東京対神奈川と沖縄の二対一になった訳なのだが、それを見ても相変わらず余裕の態度を崩すことなく、其の上何処か不敵に、口元に笑みまで見せてさえいるこの男に、その時ふと視界に入ったその背後の光景に、ゴクリと息を呑んだ。
『い・お・う』
その見えた光景と、先ほどの少年の言葉が結びつこうとしてグルグルと駆け巡る。そして導かれたその答えに、込上げる笑みを抑えるのに最大限の努力を払うことになった。
偽装
見るからに目の前の男は、後ろに対する警戒をしていない。それは予定通りではあるのだが、まさかあのような不測の事態でここまで上手く立ち回っていたのかと思うと、それがここまで予定通りの反応になるとはと思うと、それまでの怒りが薄れ、次第に笑みが込上げて来そうになる。
しかし、それを見せては不味いと、表に出すべきではないという警鐘を鳴らす思考に、其の変化を悟られまいと出来る限り自然に、警戒しているというように視線を少年へと向け、落ち着いたところでまた、此方に意識を向けさせるべく視線に威圧感を出来るだけ籠めて、東京の男を睨み付ける。
「怖いね、おぉ怖い怖い。そんなに睨まれないで貰いたいね」
「何が怖い怖いだ。どっから見ても余裕綽々な態度じゃねぇか」
「フヒヒ。サーセン」
視界の左端では、蹲る宮崎の男性に、あの魔法使いの人が手を触れ、退避させるべくその場から消えるのを眼にし、それにちらと意識を向けた後、また視線を戻す。
口ではあの様なことを言いつつも、まるで態度を変えない其の男。その背後へと。
先程までと同じように蹲り、未だその場に居る其の青年に。
其の顔を上げ膝を抱えていた其の右手がゆっくりと持ち上げられて、狙い定めるように東京の男へと向けられるのを捕らえると、自然に口元に笑みが浮かび。
「よぉ、東京。始める前に聞いておきたいんだけどよ。お前は優勝したら何を狙ってんだ?」
「フヒヒ。決まってるじゃないか。俺様専用専属メイドを所望する!」
「・・・・・・頭は大丈夫ですか?」
「フフン、これ以上無い程に冴え渡っている」
「もういい、それ以上言うな・・・・・・」
まぁまぁ、そう言わずにとでも言うように、両手を前に困ったような表情を見せるその東京の男に、沖縄の少年は、まるで『駄目な大人だ。こういう大人には絶対にならないようにしよう』とでも言うように、呆れた表情を浮かべている。
「では聞こう。そういう神奈川は優勝したら何を望んでいるのかを」
「フフン、決まっているじゃないか。綺麗で可愛くて素敵で家庭的で尚且つ性格も良く笑顔の似合う俺に優しい彼女が出来ますように、と」
それも捨てがたいと頷く東京。まるで汚物を見るように冷たい視線を向けてくれる沖縄。
「成程。しかし、勝者は一人。互いに見る素敵な夢は勝つことで得られる高尚なる願い。ならばやることは一つ。意地のぶつけ合いに他ならないということだ」
「そう、勝者は一人。だが、結果は見えている。教えてやろうか? それはな、お前はここで脱落だということだよ」
何を馬鹿なとでも言いたげに眼を細めつつも口元に笑みを浮かべた東京の男は、其処で其の表情をぴたりと静止させると、次いで耳にした二つの足音に勢い振り返り、振り上げられたそれを見。
「何と言う孔明の・・・・・・ぎゃふん」
其の言葉も終わらぬ間。未だ呆れた表情のままに、しかしその光景から眼を逸らさず、眼を離せないで居る沖縄の少年に右手を向けると、すらりと出てきた其の言葉を口にし、音を乗せる。
「八景島シーパラダイス」
ビクリと肩を震わせ、此方を見るその少年は、その言葉の向けられた先が自分であることを目視で確認し、目の前まで迫る白いイルカの姿に反撃する余裕が無いことを悟ると、悔しそうに表情を歪める。
そして、其の口から零れるのは敗者として決定付けるたった一言の言葉。
それを耳にし、視線を転じる先に見えるものを確認する。
先程までの余裕の態度が見るも無残な、膝を抱え、蹲る男のその向こう。
相変わらず何処か頼りなさ気で、会う度に人を小馬鹿に扱うような、そんな何時もの態度を取って皮肉気な笑みを浮かべた、そんな青年の立ち上がったその姿を。
そんなその青年の姿を見て、俺は何故か嬉しそうに顔が綻ぶのを感じていた。