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目の前の地面に現れた魔方円が徐々にその直径を増し始め、其れに伴って零れるように立ち上る淡い光がその光輝も増しだした時、何かを形作るようにその光は規則性を持って移動を始め、その形が五芒星だと認識できたときには、それは城壁の如き高さに隆起しだし、其の全容を知ることができなくなった。
そしてその頂点の位置となる五箇所の先端部分には、砲門と見受けられる物騒な形状の櫓が現れ、その周囲には堀があり、そしてそこは水路と化し、より一層そこへの近接を困難にしようという意図が見受けられた。
そこまでを目視で確認し終え、対処を考えるべく思考に沈もうとした僕だったが、其の砲口が僕のいる位置へと動くのを捕らえた瞬間、脳内に響く警鐘に従って走り出すと同時に叫んでいた。
流石に、というしかないけど、やはり知名度で考えると北海道の熊さんに、泣きたくなるほど僕は押されていた。
熊さんの言葉ひとつに対し、此方は一つ応えた所で、其の魔法を相殺することは叶わず、減衰するのが精々、それが直線的な物であれば、そのまま走り回って逃げているという誰がどう見ても情けない光景。
「おいおい、どーした? 先刻までの威勢はよぉ、えぇ坊主?」
其の声に懸命に酸素を取り込もうと荒い息を付き、膝に手を当てうな垂れるように視線を地に落としていた僕は顔を上げてみると、憎らしいほどニヤニヤと笑っている表情とぶつかった。
手札はまだある。けれど、ここでは使えない。
そう割り切って相対しようにも、目の前に居る熊さんはそんな余裕を持って挑める相手では無いことが嫌というほど思い知らされる。しかし、ここでその手札を切ることは、例え熊さんに勝ったとしても、そこまでにしかならない。
込上げてくるような考えは、何故僕の出身地はこんな、という思考。
しかし、それを納得することも、そんな言い訳に逃げる自分を許すことも、今はするべきではない。最悪ここで手札を全て晒したとしても、僕は『予選』の英雄という汚名を返上するべきだ。
できる、できないは後回し、今はやることを考えるのみ・・・・・・よし。青森県大好き。
自己暗示のように大好きと繰り返し、呼吸が落ち着いた所で気がついた。相変わらず熊さんはニヤニヤしているが、そういえば今まで動きがなかった。
「ようやく考えが纏まったって感じだな。それで、何とかなりそうなのか?」
「まぁ、猶予をくれたことには感謝しますよ。何とかなる以前に差が在り過ぎて、思考の迷路って感じ」
「感謝しなくてもいいぜ? 時間の経過ってのは平等だ。坊主のやってるのを見て何考えてるかわかっちまったしな。けどよ、そんな余裕、どこまで残せるかな?」
ですよねぇ、と小さく呟き、大げさな仕草で溜息をする。
ここまでは順調。そんな感想を顔には出さないように考える。ここからどうなるかというところだ。
最初から知名度の高い手札をぶつけ合うには相手が悪いのは百も承知。それを回避するにはどうするべきか。同盟を組むという話をしてから考え続けたのはそこだった。
予定通りの結果になったとき、其の先の打開策が欲しい。まともにぶつれば結果は見えている。ではまともにぶつからないようにするにはどうするべきか?相手の油断や隙を作り出すこと。それができれば一番だろうが、それに近い状況を作るだけでもできれば儲け程度の賭けになるかもしれないけれど。
今の熊さんの言葉通り、先を見越して、本戦に残ったときを考えて、知名度の高い手札を控えてくれれば、可能性はあるかも知れない。今までとは逆の状況。その状況になったとき、熊さんが走り回るという光景は想像出来ない。
次の一言で全てが分かる。そんな思いを胸秘め、僕はゆっくりと体勢を整え始めた。
そして、僕の耳が次に捉えた言葉はこんな感じだった。
「ちまちまやるのは好きじゃねぇな。派手にいこうぜ?」
それは、今まで眼にしたどんな魔法より、僕の心に突き刺さった。淡く夢想した顛末は、夢のままに霞んで消えた。想定した結果は、相手の性格を考えると有り得る結果なだけに、僕は自分の考えの甘さに歯噛みし、これから先の展開を厳しく手直しする。
「《函館》五稜郭」
其の言葉に僕は、瞬時に五芒星を模った史跡を思い浮かべる。それと同時に土方歳三の名前を思い浮かべた時点で、それは既に威圧感を伴うほどの形容を現していて、僕はゴクリと喉を鳴らした。
まずい。あれは戦時に作られたものだ。防衛だけの魔法とは思えない。それにあそこに僕は、一度行ったことがある。あそこには何が展示されていた?そこまで考えたときに、それが視界の中で動くのが見えた。ゆっくりとした動きながらに、その口先が追いかけるのは僕の居る位置。
気がついた時には走り始め、恐怖を振り払うように叫び声を上げていた。しかし、そんな僕の移動にも、流れるような滑らかな動きでその砲口は追尾していた。
もはや避けることは不可能、猶予も無い。惜しむべき状況は、当の昔に決別したはずだ。そして視線をそこに現れた要塞に向けて、熊さんの姿が見えないことに気が付き、更に自分へと追い討ちを掛けられた思いに駆られる。
対処、だけではまた後手に回る。打開策はそれほど多くは無い。其の中でも最善の一手は。
「青函トンネル」
狭くて暗いな、というのが最初に思い浮かんだ感想。そして、直後に届く轟音に、紙一重で助かったのだと肝を冷やす。
その後も立て続けに三度鳴り響いた轟音に、僕は見えるわけも無いのだけれど、崩れやしないかと上を見遣る。目に付いたのは只の黒い土のような天井。
僕が今いるここは、たぶん地下だろう。何メートルか先には上方から光が漏れており、其処までの道には明かりが一つしか灯っていない。道幅も新幹線が通れるほど広くも無く、ぎりぎりで猫車が通れるかどうか。通路の天井までの高さも、二メートルもないだろう、あっても百八十センチくらいだと思われる。走るにしても姿勢を抑えないと頭を擦りそうで怖い。
急いで移動するべきだとは思いつつも、それでいいのか?と考えてしまう。
地上の様子が解らない。
五稜郭はまだ其処にあるのか?
熊さんはその内にいるんだろうか?
この先に見える光は出口で合っているのか?
それは何処に繋がっているのか?
止め処なく湧き上がる思考に、まるで逃げ腰な考えだなと溜息を吐くと、意を決して走り出す。青函トンネルなのだ、出口がは函館だろう、と。
光を抜けると、五稜郭の輪郭が霞んで消えていくのが見えた。そして、威圧感のある大柄な体躯をした人物の背中。その右腕が持ち上げられると、ガシガシと音がしそうなほど荒々しく頭を掻き出した。
「目標の消失、で効果切れか」
「あぁ、そんな感じだったんだ、先刻のは」
返事を期待した言葉ではなかったのだろう、呟くように洩れ聞こえた言葉に僕が返答すると、右腕の動きがピタリと止まり、次いでのっそりと音がしそうな動作で此方を振り向いた。
「そうなんだよ。聞いてくれよ、先刻の奴なんだがよ、目標が認識できる限りの砲撃継続って奴なんだよ。これはもう決まったと思ったんだが、思っただけにこうあっさりと終わっちまうとな」
其の言葉にゾッとするも、浮かんでくるのは苦笑だけだった。確かに聞く限りなんでそんな凶悪な、とは思うのだけれど、こう、しょんぼりと肩を落とすように意気消沈している熊さんを見ると、其れを見れただけで何か先程聞いた脅威が薄れていく気がする。
とはいえ、だ。まだ勝負はついていない。このままどんまい、と言って別れる事の出来る相手ではない以上、次の行動を始めなくてはいけない。
何を切るべきか、と自分の手札を頭の中に思い描く。できるだけ攻勢な印象を持つのはどれだろうか、と考えながら。
「さて、それじゃあ次は僕の番ということにさせてもらいまして」
そんな風に声を掛けたのは、未だ本調子には見えない、少し翳りが見える熊さんに、先刻の猶予時間に対する礼の意味も込めて。其の意図を察したかは解らないけれど、少し嬉しそうに口元を笑ませて、フン、という音が聞こえた気がするほど大きく鼻から息を吐き出すと、鷹揚に頷いてくれた。
其の光景は、特に僕の印象に残っていた。優しそうな、それでいてふてぶてしい。余裕があるように見える悠然と佇む巨躯。
そんな印象を湛えた姿は、次の一言を発した後、ついに見ることが出来なくなったのだから。
「霊場 恐山」
腰の辺りまでを覆う深い白。霧状に漂い、視界を塞ぐそれは、独特な臭気を放っている。
それと共に僕の右手には簡易なお堂が現れる。木造のどこか貫禄のある、古めかしくも妖しい雰囲気。
現れたその光景に、激しい違和感を覚えながらも、これが名前だけの知名度という物か、と変に納得していた。なんというか、一度現地に行ってみればいいよ、と言いたい様な。
知覚した効果は、対象の精神干渉。トラウマを刺激する幻覚。右手に現れた建物にはイタコさんが居るらしい。まぁ、ここまで来たら後はなるようになれだ。
お堂の正面にある格子目の観音開き戸が開け放たれると、そこから出てきたのは年若い女性。高校生だろうか、セーラー服姿だった。と次いで二十歳前後の女性、其の後にはそれよりもやや年上と見られる女性。 ・・・・・・なんだろう?イタコっぽくもないし、この人たちが口寄せすんの?
まさかそれはないだろう、とは思いつつも、チラリと熊さんの方を見ると、僕は驚いた。
あんぐりと口を開け、一人、また一人と視線を移していくにつれ、其の表情から血の気が引いていく。どうにも三人の女性に心当たりがあるようで、その心当たりというのにも良い印象はないらしい。
現れた時と同じ歩調で其の距離を詰めていく女性たちに、熊さんが後退りをし始めていた。何だろう、これだけ効果があるという事は、これは期待できるんじゃないか?
そして其の距離が互いに手を伸ばせば届く距離に達した時、その内の一人が口を開く。
「■■■君って、ひどいよね。乗馬体験の時、お馬さんって怖がりなの知ってるくせ、私が乗ったお馬さんを大声で驚かせたりしてさ。おかげさまで見てよこれ。右肩脱臼しちゃったの」
「ち、違う。知らなかったんだ! 少し驚かそうとしただけなんだ!まさかあんな事になるとは思ってなかったんだ!!」
あぁ、それで沼から出る時。まぁ、確かにお馬さんだけじゃなくて、熊さんがいきなり現れた上驚かそうとしたとか、僕でも吃驚して腰を抜かしそうだ。
「ねぇ、お兄ちゃん。私、結婚断られたの。彼ね、死にたくないって言ってるの。何でだろうね。ねぇ、お兄ちゃん」
「わざとじゃないんだ!事故だったんだよ! 確かに嫌ってはいたけど、でも俺は駅まで送っていこうかと思ってただけなんだ! 雨のせいで視界が悪かったんだ!!」
なんか、どんどんと話の行く先が人生を左右しそうな流れになってきてないかなぁ。これ、聞いちゃっていいのかと誰かに大声で問いたい。さすがに僕も居た堪れなくなってくる。
「■■■君。どうしよう? できちゃったみたい」
「黙れ!詐欺師め!! 先輩面して近づいて来やがって! それが嘘だってことは知ってるんだ!!」
だめだ、これ以上聞けない!そんな悲鳴を僕の心が叫んでいた。
当事者では無い物の、いやこの光景を引き出したのは自分であるのだから当事者かもしれないけれど。とにかく今はそれどころじゃない。僕に出来るのはこの悲劇を終わらせることだけだ。
「《三沢》空軍」
其の言葉の後に僕の背後に何かが存在を主張するように現れ始める。それを認識し、対象を意識したと同時にそれは動き出し、僕の上空から一息に滑空を開始すると、吸い込まれるように熊さん目掛けて突き進んでいった。
その黒光りする機体は熊さんの巨躯へとぶつかるとど同時、霞むように消えていく。
唸る様なエンジン音の変わりに、「ぎゃふん」という言葉を置き土産に。
北海道にてホテルに泊まった朝、受付のお姉さんに何処か景色の良い場所は無いですか?と尋ねたことがあるんですが、その時の返答で聞いた場所は「摩周湖」という場所でした。
ありがとうございます、行ってみます、と言って意気揚々と出かけようとした時、私の歩みを止めたのは、その隣に立つ受付の青年の言葉でした。
「普段は霧が掛かっていて見ることが出来ないとして有名です。言い伝えではその湖を見ると結婚が出来なくなる、といわれる位、その湖を覆う霧は晴れないことで有名です。もし見られなくても、そういう物だと思っていただければ」
そして、辿りついた場所には、大自然の只中にある見事な湖の水面が見えました。其の景色の美しさに喜ぶ反面、何故か涙が込み上がりそうになりました。
北海道、また行きたい。
作中、諸地方の名称、人名、特徴を使用し、それを不愉快に思われた方もいらっしゃるかと思います。遅れての通知であり、申し訳有りません。
これにて予選Bは終了です。
残りの予選は、ダイジェストとして書くかも、という感じです。