第5章 答え合わせ
悪夢を見てから4日が経過した。今のところ、セレクターは発動していない。まぁ、ストーリーテラーの口ぶりからして、しばらくは発動しないんじゃないかと思っている。多分、今は僕が“始まりの代償”の答えを探している姿を見る方が楽しいんだろう。
そして、海月は今朝から僕たちの実家に帰っていた。本当ならセレクターのことが何もわかっていない以上、あまり離れたくなかったけど、今の状況から何かの改変に巻き込まれる可能性が低いこと、そして何より明日が月に一度の登校日らしく、昨日母さんから帰るよう連絡があったからだ。最初こそ、意地でも帰らないと駄々をこねていたけど、そこは海月の扱い方を心得ている母さんの方が上手だった。
「へー、そんなこと言っちゃうんだー。ふーん、そうなんだー。そっかそっかー。まぁ別にいいけどねー。パパも出張でいないしー、みーちゃんが喜ぶと思って一所懸命用意したチーズハンバーグを、ママに一人寂しく食べろって言うんだー。そうなんだー。よよよ。」
ここまで言われてしまうと、駄々をこねることに段々と罪悪感が芽生えてきたようで、結局言うことを聞いて渋々帰ることにしたようだった。まぁ、基本的に家族のことが大好きな子だし、たまには僕の分まで母さんの手料理を楽しんできてもらいたい。…………もう僕には、母さんの手料理の味も、匂いも、完全にはわからなくなってしまったから。
そんなことを考えながら講義を受けていたけど、案の定、考え事をしながら聞いても何も頭に入ってこなかった。まぁ、そんなことは正直どうでもいい。それよりも、今日僕は久しぶりに一人になったことで時間がある。だったら、この前から中々実行できなかったこと、ここのところ様子が変だった翔に話を聞こうと思っていた。これは僕の勘だけど、多分翔は何かを知ってしまって、それを隠している。それが何なのか、この機会を逃したらしばらく聞くことができないと思う。時計を見ると、講義が終わるまで残り二十分。僕は静かにその時を待っていた。
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「翔、この後時間ある?ちょっと聞きたいことがあるんだ。」
講義が終わって、僕はすぐに帰ろうとしていた翔に声をかけた。
「……………………あぁ、わかった。」
翔の反応は相変わらず間があったけど、とりあえず了解を得たことだし、僕達はある場所に移動した。翔と二人っきりで話をするならやっぱりここしかないよな。僕が右目の視力を失った場所、そして翔が僕を一人にしないと約束してくれたあの公園だ。そして僕達は、あの時話をしたベンチに隣合って座った。
「なぁ翔、何かあったんだろ?そろそろ教えてくれないか?お前が何を抱えてしまって、悩んでいるのか。」
「…………さすがにお前は気がつくか。長い付き合いだもんな。」
翔はさすがに僕が何を話そうとしているのか予想していたみたいだ。いつものメンバーの中で、僕と翔は一番長い付き合いだ。だからこそ、翔の態度に違和感を感じ、気がつくことができたんだと思う。本当はあの本を読み終えていて、何か重要な事実を知ってしまい、そして、もう一人で抱えることに限界が来ているんじゃないかって。
「…………最初に言っておく。確かに俺はお前の言うとおり、本当はあの本を全て読み終えている。それも一回や二回どころじゃない回数をだ。…………その上で俺は、お前だけじゃない、皆にも言わない方がいいんじゃないかと悩み続けている。それだけ救いようがなく、残酷な事実が書かれていた。はっきり言って聞いたら戻れなくなる。…………それでも、お前は聞きたいというのか?」
「…………覚悟はしているよ。それに、あの時ここで翔が言ったんじゃないか。何かあったら俺にも言えって。だから今度は、僕が、一人で抱え込みずきている翔の話を聞く番だ。」
僕の言葉を受け止めた翔は、悲痛な表情を浮かべながら静かに目を閉じ、握りしめた拳を額に押し付けながらゆっくりと息を吐く。
「そうか……………………そこまで言うなら、わかった。全て話す。あの本に何が書かれていたのかを。」
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翔が話してくれた内容は、確かに僕の現状と未来を表している凄惨で救いのない話だった。でも僕の心には不思議と動揺はなかった。多分、この前悪夢を見た時に、ストーリーテラーが出てきた段階である程度想像がついていたからかもしれない。
「まぁでも、例外はないって言うけどさ、前例がないってだけじゃん。先人がどれくらい代償を払ったのか知らないけど、これだけ代償を払ってる僕がまだピンピンしてるんだぜ?もしかしたら、僕がその前例になれるのかもしれないんだし、考えすぎなんだよ、きっと。」
少しでも翔の気を軽くしてやろうと思って出た言葉だったけど、そのお気楽とも言える言葉が翔の逆鱗に触れたらしい。翔は勢いよくベンチから立ち上がり、僕の胸ぐらを掴んで無理矢理立ち上がらせた。怒っているはずのその目には、深い悲しみの色が見える。
「ふざけるのも大概にしろ!ピンピンしている?前例になれるかもだと?バカも休み休み言え!」
「ご、ごめん…………そういうつもりで言ったわけじゃ…………」
僕の目を見て怒鳴っていた翔は、その姿勢のまま俯き、僕の言葉を遮ってなお言葉を続けていく。溢れ出した疑問をぶつけるように。
「なぁ、お前にこんなことを聞くのは間違っていると思ってる。だが、どうしてもわからない。理解ができない。お前の言葉を聞いて尚更そう思った。お前は今の話を聞いてもそうだし、代償でどんどん自身を削られていってる。いくら強い心を持ってる人だって限界があるし、ましてやお前はどちらかと言うと打たれ弱い人間だった。痛覚を失った時、お前はうつ状態に近くなったが、普通ならあの時点で発狂しててもおかしくないんだよ!お前は…………お前は何故正気でいられるんだ!?」
「僕は…………。」
確かに翔の言う通りだった。どちらかというと僕は打たれ弱いメンタルだし、翔の言うとおり普通ならもっと早い段階で発狂、精神崩壊しててもおかしくないかもしれない。現に、僕はもう右目が見えなく、痛覚もなく、味覚と嗅覚も鈍っている。オマケに最近では左手の存在感も失い、海月も巻き込んでしまった。僕の心が困難に立ち向かうために強くなった?いや、人間そんな直ぐに変わることはできない。それだけでは説明がつかないはず…………。
「でも翔、僕だって気持ちの面では結構いっぱいいっぱいだったよ?皆に支えられて僕も強くなれたから、ここまで持ちこたえてきたんじゃないのかな?」
「じゃあ何だ?だからお前は発狂しない、狂うことがないから何とかなるって言いたいのか?」
「狂うことが………………ない………………?」
ふと、悪夢でストーリーテラーの言った言葉を思い出した。“始まりの代償”、そしてセレクターを授かった時から。あの悪夢を見てから、魚の小骨のように喉に引っかかっていたものが取れたような気がした。あぁそうか…………だから“始まり”なんだ。そういうことだったのか。
「翔、そういうことだったんだ。やっとわかったよ。」
「なんの事だ?」
「実はさ、この前悪夢を見たんだ。セレクターのボードが夢の中に出てきてさ。でも、書かれている言葉には明確な意志と、そして悪意があった。」
翔が目を見開いて驚いており、胸ぐらを掴んでいた手から力が抜けていく。僕は言葉を続ける。
「そこでね、セレクターの力を持っている悪魔が、ボードを介して僕に伝えてきたんだ。僕は力を授かった時に“始まりの代償”を支払っている、その答えを自分で探せって。正直何も失った感覚がなかったし、初めての代償はくだらないことを叶え続けてきた蓄積の足のもつれだと思っていたから、今までサッパリだったんだけど、翔のおかげでやっとわかったよ。」
僕はフッと笑みを浮かべながら、でも眉は悲しい気持ちを抑えきれないように下がったまま、翔に答えを告げる。
「今までも、これからどうなるんだろうっていう恐怖や不安で無気力みたいになることがあった。さっき翔が言ったように、少しうつ状態にもなっていたんだと思う。でも、皆の支えがあったというのもあるけど、感情の一線を超えることはなかった。おや、違う…………超えることができなかったんだ。」
「お、お前………………何を言って」
「僕は……あの日、力を手に入れて気を失った時、あの時から…………狂えなくなった。“狂うという感覚”、それが僕の始まりの代償だったんだ。」
「あ………………あぁぁ……………………」
翔が膝から崩れ落ちる。やがて四つん這いの状態で声にならない声で慟哭し、血が出るほどの勢いで地面を殴った。僕はそれを眺めていることしかできなかった。薄暗い空から雪が降り始めた。
狂えない人間は自分の内面を説明することしかできない。




