第3章 セレクター
アパートに帰った僕は余裕ぶっこいてうたた寝をしていた。目が覚めると、約束の19:00まで残り10分となっている。
「ヤバいヤバいヤバい!アパートから駅前までどう頑張っても20分はかかるぞ!」
翔が言っていたとおり、あのメッセージは確かにほとんど僕に向けてのもので間違いなかった。というかその通りすぎて、うたた寝する前の僕を全力で助走をつけてぶん殴りたい。
「さすがに店に着いてからセレクターを使ってもなんとも言えない違和感が残るし、何よりその状況に僕が合わせられる自信がないぞ!とりあえず店に向かって、着いたら明香里先輩に謝るしか……うん?」
多分遅刻することが嫌だと思ったからだろう。いつも通り頭の中にボードが出てきたが、今回の選択肢は何だかいつもと雰囲気が違う感じがした。
『以下の選択をし、理を変えますか?
A.18:30に目が覚めた世界
B.縺医ユ。隕九贏巍峨た世界』
何だ?Bの選択肢が文字化けしている?実質1択しか選べないじゃないか。とてもじゃないけど怖すぎてBなんか選べるわけがない。それよりも……
「理を変えるって、今までそんな表示のされ方なかったぞ……。」
違和感と共に若干の不気味さも感じながら、僕は恐る恐るAを選択する。その瞬間、僕はセレクターを手に入れた時のような強烈な目眩を覚えた。あの時とは違い意識を失うほどではないが、まるで世界がねじ曲がっていくような感覚が続く。視界がぐにゃりと曲がり続け、立ってるのもやっとになる。時間にして数秒程度だろうか。ようやく目眩がおさまった。
「ハァ……ハァ……一体、なんだったんだ?明らかに今までの感じと違ったぞ。」
わけがわからない。今までただの便利な力だと思っていたセレクターを、初めて恐ろしく感じたが、壁にかかっている時計を見た時目を疑った。
「……えっ?」
確かにさっき僕が起きた時、時計の針は18:50を過ぎていたはずだ。だけど今時計は18:30を示している。スマホも見てみたが、間違いなく今は18:30になっていた。
「……時が……戻った?絶対に遅刻をしない時間まで?そんな……バカな…………。」
ありえないと思いつつも、そもそもセレクター自体がありえないことじゃないかと思い直し、せっかく時間に猶予ができたんだとポジティブに思うことにし、カバンに財布を詰め込んで慌ててアパートを飛び出た。
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「ゼェゼェ…………ギリギリセーフ……。」
何とか19:00前に居酒屋 はなの舞に到着した。どうやら明香里先輩と翔は既に中に入ってるようで、先輩から『先に中にいるよ〜ᐕ)ノ早くしないとカケルっちと始めちゃうからね〜』とメッセージが来ていた。息を落ち着けてから店の扉を開けて、店員さんに席まで案内してもらう。
「おっ、きたきた!陽ちゃん!こっちこっち〜。」
個室の扉を開けると満面の笑みの明香里先輩が出迎えてくれた。かわいい。
招かれるままに僕は明香里先輩の隣に座って、対面には翔が一人で座っていた。
「まさかお前が遅れずに来るなんてなぁ。てっきり寝過ごして遅れると思ってたのに。」
「や、やだなぁ。そう毎回毎回寝過ごすわけないだろ〜。」
「うんうん、陽ちゃんが時間通りに来てくれてお姉さん嬉しいよ〜。うりうり〜。」
「ちょっ、先輩やめてくださいよ〜。犬じゃないんですから。」
先輩は嬉しそうに隣に座った僕の頭をワシャワシャと撫で始めた。かわいい。
「ハァ……はいはい、俺もいるんだからイチャつくのは2人っきりの時にしてください。」
完全にジト目になっている翔がそう呟いて、先輩は僕の頭から手をどけた。
「カケルっちがそう言うならしょうがない。陽ちゃんを愛でるのはまた今度にしようじゃないか。」
もっと先輩と触れ合いたかったけど、話が進まないから注文を取ることにする。
「とりあえず注文しましょうか!何飲みます?」
「私はとりあえず生で!」
「俺も生でいいかな。」
「はいよ!スイマセーン!生3つお願いしまーす!」
何はともあれ、せっかく間に合うことができたんだ。楽しい楽しい親睦会はこれからだぜ!
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ここで明香里先輩のことを少し紹介しておこうと思う。腰まで伸びたウェーブ掛かった黒髪、ガンギマったような目に取れないクマ(かわいい)。昔からオカルトが大好きみたいで、不思議な現象の話を耳にしたらすぐ飛びつくぐらいだ(かわいい)。ここまで聞くと典型的な、いわゆる地雷系の見た目を想像するだろうけど、意外にもメイクはナチュラル系だし、服装も黒いパーカーにジーパン姿がほとんどである(ギャップがかわいい)。性格や言動もどちらかと言うと陽キャ寄りで、オカ研唯一の後輩である僕たちのことはそれぞれ「陽ちゃん」と「カケルっち」と呼んでいる(かわいい)。月一で親睦会という名の飲み会を企画するが、先輩自身はそんなにお酒が強くなかったりする。つまりどういうことかと言うと、開始1時間で先輩はまぁまぁ出来上がっていた。
「えへへ〜。陽ちゃ〜ん、聞いてよ〜。この前ツチノコ見つけたと思ったら、ただのホースだったんだよ〜。」
「……これもいつもの事とはいえ、先輩、完全に出来上がったな。良かったな、陽太。いつも通り先輩が抱きついてくれて。」
そうなのだ。先輩は酔っ払ったらいつも僕に抱きついてくる、いわゆる抱きつき上戸なのだ。
「先輩、そんなに密着されると僕の心臓に悪いんでもっと抱きついてください!」
「お前も本音が全然隠しきれてないぞ。」
そうこうしているうちに、頼んでいた最後の料理が運ばれてきた。
「あっ、ほら先輩。先輩が頼んだ酢豚が来ましたよ。」
「んん〜?ホントだ〜。えへへ、ここの酢豚は絶品だって評判なんだぞ〜♪2人とも食べて食べて〜♪」
「へ〜、確かに美味そうですね。どれどれ……あっ、本当に美味しい。」
「マジか。先輩、あの滅多に褒めない翔が美味いって言ってますよ。先輩も食べましょう。」
「アハハ〜!カケルっちが言うなら間違いないね!じゃあ陽ちゃん食べさせて!あ〜ん♪」
先輩、本気で言ってます?ちょっとばかしかわいいが大渋滞してますよ。横目に翔を見ると呆れたようにため息をついていたが、そんなの気にしない。男、陽太。誠心誠意フーフーをして先輩に食べさせたいと思います。緊張で若干震える手で先輩の口に酢豚を運んだ。
「あむ。ん〜!確かに美味しいね♪」
どうやら喜んでもらえたようだ。かわいい。
「どれ、僕も食べてみようかな。はむ…………おぉ、確かにめっちゃ美味いね!」
口ではそう言ったが、口に入れた瞬間僅かに違和感があった。普通、酢豚というからには旨味を感じる程度の酸味があるはず……なのだが、僕の口にはその酸味が少しぼやけている感じがした。微妙にわかる程度の酸味しか感じることができず、なんとも言えない味がする。ただ、この場に水をさしたくなかった僕は、先に食べた2人の反応を見て似たような食レポを口にするしかなかった。




