第3章 悪意
悪意
今日は海月がこっちに来る日だ。12:00に駅前で待ち合わせをしていたんだけど、待ち合わせ時間を10分ほど過ぎても海月の姿が見えない。さてさて、どうしたものかと思っていたら、海月からRAINのメッセージが届いた。
『早く着きすぎたから周囲を散策してた。道に迷ってたけどもうすぐ着く。』
どうやら何かに巻き込まれたとか、そういったことではなかったようだ。まったく、我が妹ながら約束の時間に遅れるとか、時間があるからフラフラと散策するなどの突飛な行動とか、一体誰に似たのだろうか。妹の将来を心配しつつ、溜息ついでに前髪で隠れた眼帯のついてない右目をなぞる。今日眼帯を外しているのは、翔からのアドバイスだ。なんでも、「代償で一番わかりやすいのは、やっぱりその右目だ。その瞳も………変に隠さなかったら……ギリギリカラコンでも入れているって言えるんじゃないか?…………だいぶ苦しい言い訳だと思うが。」って言ってたな。個人的には案外その言い訳で何とかなりそうな気もする。海月って僕の影響で若干厨二病みたいなところもあるし。とりあえず海月には『焦らなくていいから、気をつけてこいよ』と返事をし、このまま海月を待つことにした。さぁ〜て、どれくらい待つことになるかなぁ……。
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追加で海月を待ち続けること30分。目の前にある交差点の対岸に海月の姿が見えた。キョロキョロと僕の姿を探していた海月も僕の姿を確認でき、しかめっ面だった表情を破顔させ、両手でカバンの紐をギュッと握っていた手を解き振ってくる。よく見たら信号待ちの歩行者は海月以外いないみたいだ。もし他に人がいたら、超人見知りの海月はあんな風に笑顔を向けて手を振ることはないだろうし。
信号が青になって海月が小走りで駆け寄ってくる。久しぶりに僕に会えた嬉しさが全身に溢れているようだった。その気持ちは嬉しいけど、今から海月になんて説明、もしくは誤魔化そうかと頭を悩ませ始めたとき、少しの違和感に気がついた。ちょっと待て、よく考えたら週末のこの時間に駅前の交差点を渡る人が海月一人っていうのはおかしくないか?ふと首を右側に向けると、猛スピードで交差点に侵入し、海月に向かってくる車が目に入った。世界がスローモーションに見える。何も考えてなかったのか、完全に信号無視で侵入してきた車の運転手は、海月の姿を確認して慌ててハンドルを切る動作をしているのが目に映る。何とか車はその場にしゃがみこんでしまった海月を跳ねることは無さそうだけど、制御を失った車はそのまま駅前のバス停に突っ込もうとしている。ブレーキ音がゆっくり聞こえてくるけど、とてもじゃないけど停車できるとは思えない。バス停にいた10人くらいの人が悲鳴を上げ始めたタイミングで世界が停止し、3ヶ月ぶりくらいにセレクターが有無を言わさず発動した。しかし今までと明らかに違うことがあった。発動と共にゆっくりと頭に浮かんできたボードが二枚ある。一枚目には、いつも通り文字化けしている選択肢が書いている。これは見慣れたものだ。
『選べ。
A.車は菫。蜿キ辟。隕�をせず、隱ー繧�傷つかない
B.こ縺ョ縺セ縺セ霆翫�突っ込み10莠コ縺�死傷する』
相変わらず文字化けしている部分は完全に意味はわからない。でも読めるところから何となく意味を察することはできる。うん、本当に嫌なことだけど、いつものセレクターだ。だけど、二枚目に出てきたボードは文字化けをしておらず、完全に意味がわかるようになっていた。一瞬僕の脳が理解を拒もうとした。そこに書かれていることは、おそらくこの状況下で最も悪質で、考えうる限り最悪な事が書いていた。
『《警告》
Aを選んだ場合、如月海月も今後改変した事象をを全て知覚することになります。
なお、知覚することができるだけで、如月海月からは何も取りません。代償は引き続きお前からしかと取りませんのでご安心ください。』
海月が僕の変えた世界を知覚することができる?一体何を言っているんだ?そうすることでなんのメリットがあるのか、僕には理解ができない。
停止している世界にノイズが走る。どうやら世界を停止し続けるのにもタイムリミットがあるらしい。つまり、理解はできなくても僕はどちらかを直ぐに選ばなくてはならない。僕はセレクターの悪意に導かれるまま、海月が巻き込まれることと10人の命を天秤にかけ、苦渋の決断の末Aを選んだ。瞬間、世界の上下が逆さまになるような感覚があり、視界がグルグルと高速で回っていく。徐々に回転が収まり、世界が動き出す。同時に、手で頭を守り蹲っていた海月が、来るはずの衝撃がないことに違和感を感じ恐る恐る目を開ける。
「………………えっ?」
海月には不思議な光景だっただろう。視線の先には、さっきまで暴走し自分を轢こうとしていた車が全然違う方向に走り去っていったのだから。
「え、えっ?なん…………で?ウチ…………轢かれそうに………………?え?助、助か………………?」
「……海月、大丈夫か?立てるか?」
そう言って僕は右手で海月を引っ張り立たせる。
「混乱しているとは思うけど、とりあえず場所を移動しよう。」
そのまま右手で海月の手を握りながらその場を後にする。海月はまだ状況が飲み込めていないのか、僕に引っ張られるままについてきているが、思考が完全にフリーズしている。とりあえず、海月が無事そうで良かった。…………だけど、よりによって想定できない形でセレクターのことがバレてしまった。どう転んでも誤魔化すことはできない。
海月が巻き込まれたことに対する怒りと共に、今回の代償についても頭を悩ませていた。今回の代償は、さっき世界が動き出した瞬間に自覚することができた。海月の手を掴んでいない左手。目で見ると、左手は確かにそこにある。動かすこともできるし、おそらく物を掴むこともできると思う。ちぎれているわけでもなく、確かに僕の左手はそこにあるはずなのに、左肘から先がまるでそこに存在していることを認識できない。この部分だけ全部他人事のように感じる。やられた。今度の代償は“左手の存在感”だ。




