花束と妻の奮闘
彼女は、無視はしないが、
なかなか頑なで心を開いてくれなかった。
会話も続かず、こちらが長く話そうとすると、
切り上げて何処かへ行ってしまう。
確かに私は、愛情は必要ないと言った。
私たちには子供は必要ないから。だから、そういう意味で言ったつもりだった。
子孫繁栄の為だけの男女の営みなど、愛が無くては虚しい作業だ。
いきなり、よく知らない男などに触れられて抱かれる恐怖は計り知れない。
ましてや妊娠などしたら、次は命がけの出産が待っている。
私は仕事漬けの毎日で、気がついたら30歳。
彼女はまだ年若い18歳。
正直、相手は誰でも良かった。
どうせなら人助けと思い、資金運営が上手くいっていない伯爵家に、
婚姻の話を持ちかけ、支度金なしで多めの支援金を提示する交渉した所、
伯爵家当主は大喜びの二つ返事で娘を差し出した。
少し気の毒に思ったが、せっかく嫁いできてくれる彼女を
無体に扱うつもりはなく、彼女を縛らず、
生活に困らず自由に振る舞える好条件を提案したつもりだった。
だが、彼女からは、ずっと一定の距離と壁を感じる。
そして、常に不機嫌そうで私に対して怒っている感じがした。
仕事ばかりで、女性とずっと関わらなかったから、
きっと私は、何か失礼なことをしてしまったのかもしれない。
同僚に女性の機嫌の取り方を教えてもらおう。
この先、長い付き合いになるのだから、焦る必要はないだろう。
* * * * * * *
「…これは?」
「旦那様から奥様にです。綺麗ですね」
「…………」
目の前に真っ赤な薔薇の花束が差し出された。
どういうつもりなのだろう。
これも円満アピールの一つなんだろうか。
「今、花瓶持ってきますので、お部屋に飾りましょう」
「いいえ、玄関ホールに適当に飾っておいて」
「あの、お部屋には…」
「必要ないわ」
「はい…」
お礼の手紙も一応出したが、
“贈られた意味が分からないのですが、
お花をありがとうございました” だけに留めた。
頼んでもいない物など邪魔なだけ。
そして、私はまた放って置かれた。
大きな邸で気落ちしながら、ぼんやりしているのも飽きてきた。
私は離婚後の自立を考え、領地経営と管理を学ぶ事にした。
その中で、自分に向いている物を判断しようと思ったからだ。
家令に手伝いをしたいと申し出て、単独で領地視察へ赴き、
教会への寄付、孤児院支援、商会との連携新規事業、公共施設、農地改革等、
家令と公務と執務をこなし、領民の意見にも耳を傾けて、
自分の可能性を模索していった。
そして、自分の得意分野が見えてきた。
孤児院の教育支援と農地改革による作物の増産だ。
時間はいくらでもある。
図書室や執務室に入り浸り、私は旦那様の存在など忘れて没頭した。
平民は貴族と違って、学校に通えない子が多く識字率が低い。
教諭経験のある人、高齢で退職している人、知識のある人達を募集して、
教会で学べる場所と時間を提供してもらい、
平民の誰でも参加できる無料教室を設けることにした。
読み書きは勿論、算術、社会構成、自国の歴史、
最低限の貴族の階級と礼儀作法など。
知識があれば、将来就職先の範囲も広がるはずだ。
私も貴族学院で学んだ知識を生かし、教師の補佐として授業に参加した。
農地改革は、毎年冬は飢餓ギリギリの作物量だから、越冬できる作物の検討、
この土地の気候にあった作物を増やす方法を模索。
人手不足も深刻だから、義援金で季節限定の兼業農家も増やし、
孤児院の子達の手も借りて、報酬は現物支給で、孤児院の食料不足も解消した。
そして、農作業を覚えて、孤児院の子供達の将来の就職斡旋先の一つに、
農家も候補に入れられて一石二鳥だった。
私は、毎回訪問時に、孤児院の子供たちへのプレゼントを持参した。
自分の趣味で作った焼き菓子、レース編みアクセサリーの髪飾りや腕輪、
みんな喜んで食べて、身につけてくれた。
定期的に教会のバザーも開催企画して、
孤児院の子供たちが刺繍したハンカチを販売した。
そこに、私のレース編みアクセサリーも一緒に販売してもらった。
金属や宝石を使わないカジュアルなアクセサリーとして、
親しまれ少しづつ人気になっていた。
勿論、売り上げは全て孤児院に寄付という形だ。
商会からも話を持ちかけられて貴族用も取り扱い始め、
毎日レース編みで忙しい。
貴族でも金属にかぶれる女性も多く、そういう方達に好評だった。
それに、商会の人達とも仲良くしておけば今後の取引も懇意に出来る。
体力は少し自信ないけど、土弄りも好きだから、
農業に携わっていくのもいいかもしれない。
離縁後は、これで生計を立てられる。
皮肉なことに、侯爵家という地位がこれらの活動を容易に実現できていた。
私は、自立にむけて着々と資金を貯め、横の繋がりを広げ準備を進めた。




