第24話:作られた秩序
「これからが本番や!」と宣言し、勢いよく踏み込んだ扉の先。わたしたちを待ち受けていたのは、金銀財宝でも、玉座に座る傲慢な伯爵でも、恐ろしい怪物でもなかった。
そこにあったのは、言葉を失うほどの「静寂」と、広大な円形ドームの壁一面を埋め尽くす、無数の「ウィンドウ」だった。
「……何、これ。配信画面?」
わたしが呆然と呟くと、隣にいたイソーの解析ウィンドウが、かつてない異常な警告音を鳴らし始めた。
「……違う、ちゃうちゃん。これは配信なんかじゃない。……『同期』だ。この世界の、あらゆる地点の『今』が、ここに繋ぎ止められている」
壁一面のウィンドウには、様々な情景が映し出されていた。
ある画面には、農作業に従事する村人。別の画面には、市場で商品を並べる商人。また別の画面には、執務室でペンを動かす役人。
一見すると平和な日常生活の断片に見える。だけど、その情景には圧倒的な違和感があった。
映し出されているすべての人々の表情が、凍りついたように動かないのだ。
瞬きをしない目。呼吸の動きさえ感じられない胸元。
絶望に染まり、感情を剥ぎ取られたような無機質な顔のまま、彼らは機械人形のように寸分狂わぬ動作を繰り返している。それは、もはや生活ではなく、あらかじめプログラミングされた「生存という名の反復作業」のようだった。
「ひどい……。みんな、生きてるのに死んでるみたい」
防衛ネキが、手にしたベーコンエッグ丼を落としそうになりながら絶句する。
リスナーたちのコメントも、先ほどまでの熱狂が嘘のように、凍りついていた。
『これ、全部が生中継なのか?』
『不気味すぎる……。ホラーゲームより怖いわ』
『誰も笑ってない。誰も怒ってない。ただ「こなしてる」だけ?』
『これこそが伯爵の言う「完璧な秩序」の正体か……』
「そんな……バカな! 領主館の下に、こんなおぞましい場所があったというのか!」
シロークルーが、ウインドウの一枚に拳を叩きつけながら叫んだ。彼は自分の生まれ育った世界の、あまりに残酷な「裏側」を目の当たりにして、膝から崩れ落ちた。
「シロークルー、領主時代にこんな兆候はなかったの!?」
わたしの問いに、シロークルーは力なく首を振った。
「なかった……はずだ。私は、人々がもっと自由に、もっと雑多に笑い合える場所を作りたかった。だがバルドゥークは……奴は私を追放後、この都市この世界そのものを巨大な『実験場』に変えてしまったのか!」
わたしは、ノイズ混じりのウインドウの前で未だに膝をついたままの親衛隊長を振り返った。
「親衛隊長! 伯爵はどこ!? ここで何をしようとしてるの!?」
親衛隊長は、空虚な目で壁のウィンドウ群を見つめていた。彼の屈強な鎧は、先ほどの雑談エネルギーに晒され、今やただの錆びついた屑鉄のように見える。
「……知らん。私はただ……御方の代理人殿の命に従い、不純な歪みを排除する盾となっていただけだ。伯爵様……バルドゥーク様が、これほどまでに徹底した『静止』を求めておられたとは……」
彼は、自らの剣を握る力さえ失っていた。親衛隊長ですら、この「管理システム」は知らされていなかったのだ。
「イソー、これ……止められないの?」
イソーは必死に解析ウィンドウを操作していたが、その指が小刻みに震えていた。
「無理だ……。このウィンドウの一枚一枚が、個々の人間の『視覚情報』と直結している。強引に遮断すれば、彼らの精神そのものが崩壊する恐れがある。……これは、一朝一夕で作られたものじゃない。長い時間をかけて、バルドゥークはこの都市そのものを『純粋な秩序』の監視塔として機能させてきたんだ」
わたしたちは、勝利の後の達成感どころか、底なしの絶望の淵に立たされていた。
御方の代理人を消し、扉を開けた。けれど、その先にあったのは、倒すべき敵さえいない、完成しきった「終わりの風景」だったのだ。
カチッ。カチッ。カチッ。
無数のウィンドウが発する微かなノイズの中に、規則正しい「足音」が混じり始めた。
それは、この迷宮のどこかで聞いた、完璧なリズムを刻む時計の針のような音。
「誰か来る……!」
わたしは反射的にその気配に身構えた。
イソーとシロークルーも、最後の力を振り絞るように身構える。
ドームの向こう側、影に包まれた通路から、一人の人物がゆっくりと姿を現した。
その人物は、御方の代理人のような豪華な服装はしていなかった。
どこにでもいるような、地味な茶色の外套を纏い、片手に古いランタンを持ち、もう片方の手で、懐中時計の蓋を閉じた。
「――おやおや。せっかく綺麗に『整理整頓の法則』で静粛を維持していたというのに、ずいぶんと騒がしいリスナーたちを連れてきてくれましたね、使徒様」
穏やかな、しかし感情の起伏が一切感じられない男の声。
「……誰? 伯爵じゃないよね?」
わたしが問うと、その男は薄く笑みを浮かべた。その目は、ウィンドウに映る絶望した人々と同じく、何も映していないように澄んでいた。
「私はこの場所の『管理人』。あるいは、伯爵が挫折した夢を引き継いだ者、とでも言いましょうか。この世界の『バックアップ』を担当しておりますアビスと申します」
「バックアップ……?」
イソーが声を荒らげた。
「ふざけるな! 生身の人間の自由な時間を止めて、何がバックアップだ!」
「お若い使徒の従者よ、あなたはまだ理解していない」
自らをアビスと名乗った男は、ランタンを高く掲げた。その光が、壁のウィンドウを照らし出す。
「この世界は、あまりにも脆弱だ。誰かが笑えば誰かが泣き、誰かが得をすれば誰かが損をする。その『不確定要素』こそがバグであり、世界を崩壊させる原因です。だから私は、彼らの最も『幸せな瞬間』、あるいは最も『波風の立たない瞬間』で、時間を固定し再現性を与えた。……これは救済ですよ」
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「救済なわけないやろ、そんなもん!!」
わたしの怒りが、配信の音声レベルを振り切った。
「勝手に時間を止めて、勝手に幸せを決めつけるなんて……。そんなの、ただの『迷惑な独善』だよ! わたしの配信に来てくれるみんなは、もっと不器用で、もっとわがままで、だからこそ生きてるんだ!」
わたしの叫びに呼応するように、再びコメント欄が動き出す。
『その通りだ! ちゃうちゃん!』
『俺の「明日への不安」も含めて、俺の人生なんだ!』
『この管理人の顔、バナナぶつけたいほどムカつくぜ』
『救済なんて言葉で、自由を奪うんじゃねえ!』
アビスは、激しく流れるコメントの弾幕を、珍しい虫でも見るような目で見つめた。
「『自由』ですか。……実に無駄な言葉だ。では、お見せしましょう。その無駄な感情が、いかにこの世界を汚染しているかを」
彼が懐中時計を再び開こうとしたその時――。
「――そこまでにしておけ、管理人!」
ドームの天井近く、開いた扉の上の梁に、新たな人影があった。
それは、わたしたちの味方でもアビスの仲間とも思えない、異質な気配を纏った女性だった。
彼女は片手に奇妙な形の銃を持ち、長いマフラーをたなびかせながら、不敵な笑みを浮かべてこちらを見下ろしていた。
「……え、誰なん……!?」
わたしが視線を向けると、彼女はウィンクをして銃のシリンダーを回転させた。
「待たせたわね、配信者。あんたの『クエスト』、面白そうだから私も一枚噛ませてもらうわ。……このガチガチに固まった世界のシステム、一度『物理的に』再起動してあげましょうか?」
絶望的な「作られた秩序」の空間に、予測不能な第三の勢力が乱入する。
わたしは直感した。この停滞した世界を再び元の流れに戻す為の、本当の反撃がここから始まるのだと。
「撮れ高……まだまだ終わらへんで!!」




