第21話:刹那の剣舞
広間の奥、巨大な真鍮の扉を前にして、立ち塞がる二つの影。都市警備の最高責任者である親衛隊長と、豪華な黒いローブを纏い、顔の見えない謎の人物、御方の代理人。彼らが放つ威圧感は、これまでの魔物やトラップとは比べ物にならなかった。
御方の代理人は、感情の起伏を一切感じさせない、冷たく機械的な声で宣告した。
「御方より厳命を受けている。この扉より先は、あなた方『歪み』の存在が到達してはならない『静止の時間』の領域。御方とバルドゥーク伯爵が築き上げた『完璧な秩序』に、これ以上の介入は、冒涜と見なされ、即刻排除される」
イソーは、解析ウィンドウの警戒レベルが想定を超えた領域に達するのを見て、顔色を変えた。
「ダメだ、ちゃうちゃん!あのローブの奴は、解析不能!放出されている『法則の純粋性』のレベルが、高すぎる。まるで、この都市の『時間の法則』の根幹そのものが彼の肉体に宿っているみたいだ。彼が動けば、この広間全体の『時間軸』が、彼の意志で上書きされてしまう!」
元領主シロークルーも、冷や汗を流しながら警鐘を鳴らす。
「あれは、バルドゥークの背後にいる『御方』が直接この迷宮に送り込んだ『時の番人』でしょう。彼こそが、都市の法則の『門番』だ。私が持つ『物質の法則』も、情報も、彼の前では時間の砂のように崩れ去る……」
親衛隊長は、厳つい全身鎧の奥から、時間を纏った剣を抜き放ち、その金属音が広間に冷たく響き渡った。
「御方の代理人殿が、このような無駄な存在に手を煩わせる必要などありません。使徒、雪兎ちゃう。お前が持つ『法則の歪み』は所詮、スラムに巣食う無駄な存在の集合体にすぎない。対して、我々が司るのは、都市の全ての時間を統べる『純粋な秩序』。お前の希望も『法則の歪み』も、ここで完全についえる!」
わたしは、リュックの最後のバナナにそっと触れ、全身に力を込めて言い返した。
「無駄な存在って決めつけるのは、あんたたちの勝手な秩序や!自由を求めるみんなの希望は、無駄やない!わたしの『歪み』は、あんたたちの完璧すぎる秩序を打ち砕くためにあるんよ!」
親衛隊長は、わたしのその言葉を聞いて、甲高く鼻で笑った。
「その『歪み』とやらで、この私の速度に対応できるかな?時間の法則は、絶対だ!思い知るがいい!!」
その言葉が終わるより刹那の時早く、親衛隊長の姿はわたしの視界から消えた。
「――時間の加速!」
親衛隊長のスキルが発動する。
広間を囲む巨大な歯車が、一瞬、異常な高速で回転し、まるで時間そのものが圧縮されたような轟音を立てた。イソーの解析ウィンドウは、親衛隊長の移動速度が通常時の数百倍にまで跳ね上がったことを示す、絶望的なアラートを発している。
「速すぎる!ちゃうちゃん、避けて!」
イソーの叫び声は、わたしにとって、まるで深海の底から聞こえてくるような、遠く、遅れた音になっていた。親衛隊長が放った一撃は、わたしが立っていた場所を光の筋のような残像と共に掠め、岩壁を深々と抉った。
わたしの全身は、時間の流れが何十倍にも引き伸ばされた、極度のスローモーション状態に陥っていた。空気は粘性を増し、一歩踏み出すことすら、重い鉛の鎧を着ているようだ。わたしは、世界が超スローモーションになった中で、親衛隊長だけが、まるで時間の概念から外れた高速軌道を自在に動いているのを見ていた。
FPSで培った動体視力と反射神経は、かろうじて親衛隊長の軌跡を捉えることはできても、その現在地に反応することは不可能だった。
「くっ……!体が、まるで水の底にいるみたい……これ、わたしだけの時間軸が、無理やり引き伸ばされてるんちゃうか!?」
親衛隊長は、わたしが体勢を立て直す間も与えず、広間を縦横無尽に超高速で駆け巡る。その軌跡は、まさに『刹那の剣舞』。無数の光の筋が広間を満たし、それらは、全てわたしを仕留めるための、時間の力を纏った剣先だった。
「時間の法則と親和性の低い非適合者には、私の剣舞は視認すらできない!そして、お前が動こうとすれば、その動きは数十倍に引き伸ばされ、私の剣の餌食になるのだ!」
わたしは、極限まで引き伸ばされた時間の中で、親衛隊長が剣を振り上げ、わたしに向かって突進してくる一連の動きを、まるでスライドショーのように見ていた。回避は絶望的だ。
イソーは、解析ウィンドウを叩きつけんばかりの勢いで、わたしに最後の希望を伝える。
「ちゃうちゃん、一か八かだ!『法則の歪み』を、ちゃうちゃん自身の『時間軸』に対して発動するんだ!無理やりにでも、このスローモーション状態を打ち破れ!最後のバナナを使うんだ!」
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しかし、わたしは動けない。そして、動けないのは、時間の重圧だけではない。
わたしが発動できる『法則の歪み』のエネルギーは、最後のバナナ一本に収束している。このバナナは、ベーコンエッグ丼を食べ、自由を夢見るスラム住民たちの最後の希望の象徴だ。もしここで、このバナナを自分の時間軸を正常に戻すためだけに浪費してしまえば、この後の『静止の時の番人』との本命の戦いで、絶対に勝てなくなる。
「うっ、あと一歩、あと一歩の判断が……!」
親衛隊長の剣先が、わたしの喉元にまで迫っていた。肌を刺すような冷たい殺気と、時間の法則が圧縮される圧力が、わたしの命を奪おうとしている。
「諦めろ、使徒。完璧な秩序の前に、無駄な存在の希望など塵芥だ」
親衛隊長の冷徹な声が、わたしの耳元で、まるで永遠に響き続けるかのように遅れて聞こえた。
わたしは、このままではやられることを悟った。最後のバナナを背負ったリュックに震える手を伸ばした、その時だ。
シロークルーの元領主としての経験に基づく叫びが、わたしの思考を切り裂いた。
「使徒様!あなたの『歪み』は、より『完璧な秩序』に対抗すればするほど効果を発揮する!ここで、親衛隊長に使うのは惜しい!ここは御方の代理人の『純粋な法則』に、最大の歪みをぶつけるのです!」
シロークルーの言葉が、すべてを繋げた。そうだ、この戦いの本命は、親衛隊長ではない。奴はただの『時間の加速』を操る実行犯。真の敵は、その背後にいる『完璧な秩序』そのもの、すなわち御方の代理人だ。
わたしは、親衛隊長の剣が肌を斬り裂く寸前、時間の重圧に逆らい、ありったけの力を込めて背中のリュックを力任せに引きちぎった。
そして、最後のバナナを手に握りしめる。そのバナナは、わたしが最初にベーコンエッグ丼を作った時の、人々の歓喜と、自由への渇望、そして『法則の歪み』のエネルギーを全て内包していた。
「最後のバナナ一本を、御方の代理人に投擲だああああ!受け取れ、無駄な存在の最大の歪みを!!!」
わたしの手から離れたバナナは、親衛隊長が作り出した時間の重圧を完全に無視し、まるで光速で飛ぶミサイルのように、扉の前に立つローブの人物目掛けて一直線に飛翔した!
親衛隊長は、予想外の行動に目を見開いて動きを止めた。そして、ローブの人物は、感情のない機械的な声のまま、微動だにしなかった。バナナは、絶対的な『法則の純粋性』を纏う御方の代理人のローブに、今まさに接触しようとしていた――。




