レッツ福音派しぐさ
世紀末も25年程過ぎたころ、福音派の終末論がアメリカで大流行した。
福音派というのはキリスト教の一派で、聖書を文字通りに解釈し、イエス・キリストの再臨と千年王国の到来を信じる人々のことである。仏教ならば56億7000万年後の未来に弥勒菩薩が現れて人々を救うという話があるのでまだまだ大丈夫と高をくくっていることもできる。ノストラダムスの大予言であれば 1999年7月に世界が終わるという話であったが、実は日付を間違えていました、てへっ、ということで日付が先になっているので問題はない。
しかし、福音派の主張違う。
福音派は、明日にでも世界が終わると信じている。じゃあ、寝て起きたら世界が終わっているのか?というとそうでもない。世界の終わりは繰り越しになって、やっぱり、明日にでも世界は終わってしまうという主張を付けるのだ。まるで n 日目の予測が n + 1 日目になるように毎日 1 日ずつ増えていくカウンタのようである。
世紀末あるいは終末論というのは、宗教的な文脈ではよく使われる。とある神によって(福音派の場合はキリストだが)世界の人々が選別されるのである。お前はこっち、お前はあっちという具合だ。そこの選別はまさしく神のみぞ知るというぐあいだ。今朝の味噌汁がちょっと辛いからお前は右、というわけではない。それは「かみのみそしる」だ。
選別されるものは、右と左に分かれる。どちらが助かる道なのかが分からないという点では、ナチスのガス室に近い。しかし、ガス室と異なるのは目の前にいるのは神(あるいは神の子)である。神に人間が逆らえることができようか? それとも、その場を逃げ出すことができるだろうか。選別を迫る神が間近にいる。彼のうしろにはたくさんの人が並ばされている。右へ左への順番を待っているのだ。恐怖の時間でもある。
「そして、お前は、何をしたのだ?」
「私は、ええと、福音派しぐさを発明しました」
「福音派しぐさだと? それは一体なんだ?」
「福音派しぐさとは、世の中が終わるときに、悲しみを乗り越えるために行う仕草です。死を乗り越えるための日常的なしぐさのことです」
「たとえば、どんなものがある?」
「そうですね。毎日、働きにでます...いえ、毎日は難しいんで休日には休みます」
「なるほど、休日というのは安息日のことか?」
「いえ、違います。神様。休日とは安息日のことではありません。働く日が会社に出社する日々ならば、安息日は働かない日です。安息日は教会に行く日なので、働く日々と教会に行く日曜日で週が埋まってしまいます」
「ふむ、それでいいのではないか?」
「いえ、神様、其れでは困るのです。それだと、会社に行って働く日と教会に行って働く日しかなくなってしまいます」
「それがどうした?」
「つまりですね、神父や牧師が休めないことになってしまいます」
「なるほど、それでどうするのだ?」
「つまり、働く日と教会で働く日との間に、ちょっとした休憩を入れる日というものを設けるのです。日曜日の前に土曜日があるわけですね。土曜日を半ドンにしたり、週休二日制にして土曜日を休みにしたりすればよいのです」
「ふむ、それで福音派しぐさになるのか?」
「そうです。神様。福音派は、安息日に教会で祈るのと同時に土曜日に休みがあります。しかし、問題があるのです。神様」
「どういう問題なのだ?」
「そうですね。例えば月曜日から金曜日まで会社に通勤することになりますが、それだと通期時間がかかって大変なのです。もう朝に電車に乗って1時間、帰りにも電車に乗って1時間かかってしまいます。往復で2時間もかかってしまうのです」
「ふむ、それでどうするのだ?」
「往復で2時間ですから、週に5日間働くとして、10時間ほどの通勤時間で無駄になってしまいます。通勤時間は、働く時間には入りません。かといって、遊んでいるような休日とは異なります。私達は、なにもしない時間を通勤時間として過ごしてしまっているのです」
「なるほど、それでどうするのだ?」
「この場合は、通勤時間をなくしてしまいます」
「おお・・・しかし、通勤時間を無くしてしまうと、会社には通えなくなってしまうのではないか? それだとどうやって働くのだ? 働くからこそ安息日があり、安息日があるからこそ働くことができる。その働きに応じて、よい終末を迎えることができるのではないか?」
「はい、そうです、神様。よく働くことは大切です。ですが、通勤時間が諸悪の根源なのです」
「諸悪とな。そなたは、悪魔と契約をしているのか?」
「いえ、神様。違います。悪魔と契約させられているのです。会社は通勤時間という悪魔を私達に押し付けているのです。会社こそが悪魔の手先、地獄からの使者なのです」
「なるほど、そういうことか、そうなると、通勤時間なる悪魔を取り除くことが必要になるのだな」
「そうです。神様。最近は、テレワークとかリモートワークとかいうものが流行っています。これらは、通勤時間の悪を無くすためのロンギヌスの槍です」
「なるほど、そのテレワークというもので、通勤時間はどうなるのだ?」
「そうですね、10時間の通勤時間をひとまとめにして、水曜日に割り当ててしまいます。そうすると、月曜日、火曜日は働いて、水曜日は通勤時間、木曜日と金曜日に働いて、土曜日はお休み、日曜日が安息日ということになります」
「ふむ、たしかにそれだと一週間がきっちり埋まるな。そこでだ。月曜日はなにをするのだ?」
私はちょっと詰まった。なかなか言葉が出ない。
さて、そこまで考えたところで、うしろの人が割り込んできた。
「神様、月曜日はですね。実は休みなのです」
「なんと、休みなのか?」
「はい、神様。図書館や床屋は月曜日が休みということになっているのです」
「何故、月曜日なのだ?」
「それはですね、神様。美術館やは博物館は皆が見学にいけるように、日曜日も開けなければいけません。でもそれは重大なことです」
「おお、確かに。日曜日は安息日なのに、美術館を開けないといけないのはけしからんことだな、それは潰してしまおう」
「いえ、神様。違います。美術館は重要な場所なのです。神を崇める絵を見ら得るのは美術館だけなのです。中世に描かれたラファエロの絵を見ることができるのは美術館だけなのです。ほかにもたくさんの宗教画があります。絵を人々が見ることに寄り信仰心がたかまります。つまりは、神様への福音が増すということです。厚い信仰心が集まります」
「なるほど、それは嬉しいことを言ってくれるな。そうなると美術館は重要だな」
「そうです。神様。美術館は重要なものなのです。しかし、問題は安息日です。美術館を運営する者は安息日に安息することはできない。これは困ってしまいます」
「なるほど、して、どうするのだ?」
「そこでです。神様。美術館は日曜日に開けなければいけませんが、月曜日は休みにするのです。そうすれば、美術館の職員も安息日を守ることができるのです。これでばん万歳です」
「ふむ、なるほどな。それで月曜日は休みになるのか?」
「はい、神様。月曜日は休みなのです。同じようにですね、床屋も休みなのです」
「床屋にも宗教画が飾っているのか?」
いや、ええ、ちょっと、じゃあ、次にバトンタッチ。
次は床屋の主人だった。
「ええ、そうですね。神様、おひげが乱ておりますが、ちょっと整えましょうか」
「あ、おお、ありがたい。この髭がな、少し伸びていて気になっていたところじゃ」
「そうですね。神様。ところで、景気のところはどうでしょう?」
「ああ、ぼちぼちだな。うん、たくさんの人々を右へ左へと分けてきたが、これまた多くの人がいるとは知らなんだ」
「そうですね、神様。世の中、少子化って言われていますけど、場所によっちゃあ、子どもだってたくさん生まれているんですよ。そういえば、ちょっと聞いた話ですけどね」
「おお、なんじゃ・・・」
と、まあ、長々と引き延ばすのが福音派しぐさの特徴である。しばらく終末は来ないだろう。
【完】
中公文庫「福音派―終末論に引き裂かれるアメリカ社会」加藤喜之著 より。中味は全然ちがいます。




