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魂の錨 ―The Koremori Protocol―  作者: 春凪一
第二部:探索–理想郷への導き
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2.1.理想の地の追求と理性の限界

西暦2032年1月13日に共同体設立を決意して以降、春凪一は、その日から、彼の持つAIエンジニアとしての思考様式を全開にして、理想の地を探す行動を開始した。彼の思考支援インターフェースには、候補地選定のための無数のパラメータが入力されていく。


「四季を感じられること」


「一定規模の共同体を収容可能な広大な土地」


「基本的なインフラが既に存在するか、あるいは容易に構築可能であること」


それらは、一見すると極めて合理的で、実現可能な条件に思えた。しかし、桜が咲き、蝉が鳴き始めるまでの数ヶ月間、その探求は、彼自身の理性の限界を容赦なく突きつける、苦難の連続となった。


彼はまず、あらゆるデータを駆使して日本国内の候補地をリストアップした。その筆頭に挙がったのは、関東近郊に位置する、ある巨大企業の閉鎖された研究開発施設だった。データ上は完璧だった。最新の通信インフラが完備され、近代的な建物群が即座に利用可能。高速道路からのアクセスも良い。だが、彼が実際にその地に降り立った時、春の生ぬるい風と共に彼を待っていたのは、魂のないコンクリートとガラスの無機質な風景だった。聞こえるのは、遠くを走る幹線道路の単調な走行音と、空調設備の低い唸りだけ。そこには「静寂」も「美」もなく、ただ効率性だけが墓標のように立ち並んでいた。


「……違う」


春凪一は、誰に言うでもなく呟いた。彼は、自分が逃れようとしている社会のクローンを作るために、この途方もない計画を始めたのではない。それを、骨の髄まで痛感させられた。


次に彼が目を付けたのは、山陰地方の日本海に浮かぶ、地図上では名もなきに等しい小島だった。そこは、人の手がほとんど入っていない原生林が残り、彼が求める「美」を体現しているかのように見えた。エメラルドグリーンの海、風にそよぐ木々の葉音、鳥たちの歌声。しかし、その美しさは、触れれば崩れ落ちる砂の城のように、脆い基盤の上に成り立っていた。同行した建築コンサルタントは、申し訳なさそうに言った。


「春凪さん。ここに百人規模の共同体を築くとなると、まず港を整備し、資材運搬のための道路を通す必要があります。そのためには、この美しい海岸線の一部を埋め立て、森を切り拓かざるを得ません」


その言葉は、春凪一の理想に冷水を浴びせた。自然との共生を夢見ながら、その第一歩が自然の征服であってはならない。それは彼の理念とは根本的に相容れない行為だった。


* * *


国内での探索に行き詰まりを感じた彼は、一度だけ思考の範囲を海外へと広げてみた。そして、ある南米の国に存在する、富裕層向けのゲーテッドコミュニティに目をつける。高い壁と有刺鉄線に囲まれ、ゲートでは自動小銃を携えたガードマンが24時間体制で警備にあたるその場所は、物理的な安全が保証されているように見えた。一歩足を踏み入れると、そこは完璧に管理された別世界だった。芝生は青々と刈り込まれ、街路には塵一つなく、プールからは子供たちの楽しげな声が響く。それは、彼が求める「静寂」と「秩序」が、物理的な力によって強制的に実現された場所だった。


しかし、その平和は、薄氷の上に築かれた脆い幻想に過ぎなかった。ゲートの外には、貧困と暴力が渦巻くスラム街が、まるで別の惑星のように広がっていた。武装したガードマンの存在は、安全の証ではなく、常に存在する脅威への恐怖の裏返しに他ならなかった。


そして滞在して数日後の夜、事件は起きた。


コミュニティの外で発生したギャング同士の抗争がゲート前にまで及び、激しい銃撃戦へと発展したのだ。春凪一は、安全なはずの自室の窓から、暗闇を切り裂く閃光と、腹に響く乾いた銃声、そして人々の悲鳴を聞いた。翌朝、ゲートで「息子がもうすぐ生まれるんだ」と嬉しそうに話していた、まだ若いガードマンの一人が、その夜の銃撃戦で命を落としたことを知らされる。


この出来事は、春凪一の理想を根底から揺さぶった。彼が求めていたのは、銃で守られた檻の中の、偽りの平穏ではなかった。真の「静寂」は、高い壁や武力によって外部の混沌から隔絶することで生まれるのではない。それは、そこに住まう人々の内面から、その精神性から、静かに滲み出るものでなければならない。暴力によって維持される平和は、それ自体が暴力の一形態に過ぎないのだ。この痛烈な教訓は、彼の共同体構想における最も重要な指針を形作った。重要なのは物理的な壁ではない。そこに住まう人間の「質」そのものである、と。


国内での論理的な探求の失敗と、海外での物理的な安全神話の崩壊。二重の挫折感に打ちのめされた彼は、完全に疲弊しきっていた。彼の知性も、財力も、理想の地を見つけ出す上では無力だった。彼の理性が指し示す道は、すべて行き止まりだったのだ。

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