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魂の錨 ―The Koremori Protocol―  作者: 春凪一
第五部:静かなる戦争

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5.5.四面楚歌–内外からの圧力と日本の屈服

数ヶ月にわたる、この静かで、多角的で、そして物理的な暴力性を一切伴わない攻撃の累積効果は、日本政府を機能不全の瀬戸際まで追い詰めていた。国内は静かなパニック状態にあった。株価は低迷を続け、経済指標は軒並み悪化。メディアは連日、日本の国際的地位の低下、深刻化する頭脳流出、そして文化的な魅力の喪失を報じ、国民の不安を煽った。世論は分裂し、政府の無策を非難する声が高まる一方で、「もはや春凪のやり方を受け入れるしかないのではないか」という諦めに似た声も、少数ながら確実に広がり始めていた。内閣支持率は危険水域をはるかに下回り、政権は崩壊の危機に瀕していた。


日本政府は、完全な手詰まり状態に陥っていた。自衛隊による軍事行動など論外である。戦うべき敵兵は一人もおらず、万が一にでも野迫川村に機動隊を投入すれば、その映像は瞬時に世界に配信され、日本は「平和な理想郷を武力で弾圧する野蛮な国家」という烙印を押されるだろう。それは、さらなる資本流出と国際的な非難を招き、完全な自滅行為となる。各国への外交ルートを通じた抗議も、ことごとく空振りに終わった。「それは民間企業のビジネス上の判断です」「学術の自由に関わる問題ですので」「格付け機関の独立性は尊重されるべきです」――すべての国、すべての組織が、「もっともらしい否認」のヴェールの向こう側から、丁寧だが冷淡な返答を繰り返すだけだった。日本は、自らが戦い方を知らない、まったく新しい次元の戦争に、完膚なきまでに敗北しつつあった。


そして、最後の一撃は、国内から加えられた。春凪共和国との関係改善を模索するため、日本を代表する巨大企業グループが、本社機能の一部を春凪に隣接する自治体へ移転する計画を発表したのである。あるいは、複数の県知事が連名で、中央政府に対し、春凪側との対話に応じるよう公に要求したのかもしれない。いずれにせよ、外部からの圧力に、内部からの突き上げが加わったことで、政府はもはや抵抗を続ける気力も術も失った。


総理大臣は、官邸の地下にある危機管理センターで、緊急の閣議を招集した。そこに集まった閣僚たちの表情は、一様に暗く、疲弊しきっていた。彼らは、あらゆる局面で春凪一の掌の上で踊らされ、完全に追い詰められたことを認めざるを得なかった。選択肢は二つ。このまま抵抗を続け、国家の完全な経済的・社会的崩壊を座して待つか。あるいは、屈辱を呑んで「オセロ対決」の土俵に上がり、野迫川村の割譲を認めることで、状況の安定化に一縷の望みを託すか。


議論は長くは続かなかった。決定は下された。日本政府は、春凪共和国が提示した「99年間の平和的割譲」という提案を基礎として、公式な交渉に入ることを発表する。


* * *


そのニュース速報が世界を駆け巡った頃、春凪共和国の司令室は、その理念を体現するかのような静寂に包まれていた。設立から間もないこの国の主、72歳の春凪一は、広大な司令室の中央に浮かぶ、巨大な日本地図のホログラムの前に一人静かに立っていた。彼の視線の先で、日本政府が交渉受諾を発表したことを示す通知が、淡く点灯する。春凪一は、表情を一切変えることなく、静かに右手を伸ばし、ホログラム上の奈良県野迫川村を示す一点に触れた。すると、その領域を示すくすんだ色が、まるで夜明けの光のように、柔らかく優しい光へと変化した。オセロ盤の最初の石が、確かに置かれたのだ。春凪一は、その小さな光を無言で見つめていた。その瞳には、安堵でも、勝利の喜びでもない、次の一手を静かに見据える、底知れぬ思慮の色だけが浮かんでいた。一発の銃弾も用いることなく、一つの理想が、一つの国家を屈服させた瞬間であった。

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