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魂の錨 ―The Koremori Protocol―  作者: 春凪一
第四部:聖域の礎

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4.1.時代背景と入国希望者の殺到

いつしか『春凪共和国』と呼ばれるようになったその構想が進む中、世界は、まるで熱病に浮かされるかのように、不安定さを増していく。先のパンデミックが残した深い爪痕は、人々の心に漠然とした死の影を落とし、大国間の緊張は、いつ火を噴くか分からない地雷原のように、世界経済を冷え込ませていた。


国内に目を向ければ、不法滞在者の増加やそれに伴う犯罪、進行する少子化、そして行き過ぎた重税に端を発する国民軽視の政治が、日々のニュースを暗く彩っていた。このような、出口の見えない不安が蔓延する世相は、逆説的に、春凪一が掲げる理念への渇望にも似た共感を呼び、その存在意義を日増しに強化していった。


結果として、彼の構想への入国希望者が、洪水のように殺到する事態となる。


春凪一のチームが設置したオンラインの受付窓口には、毎秒、世界中から新たな申請データが流れ込んでくる。その多くは、現状からの逃避や、より良い生活への素朴な願いに満ちていた。しかし、彼らが門を叩いていたのは、単なる避難場所シェルターではなかった。それは、厳格な理念を共有する、極めて特殊な共同体であった。


理念を読まずに応募した者、理念と自身の行動が合致しないと認識しつつもAIを欺こうとする者、あるいは、ただ子供の将来を案じる親に唆された者。理念に適合しない応募者が大半を占め、その多くが、AIによる一次選考の段階で、静かに、そして機械的に不合格と判定されていった。


この「殺到と不合格」というあまりにも極端なコントラストは、彼らが目指す共同体の質を維持するための困難さと、その独自性・純粋性を保とうとする、妥協なき姿勢を際立たせる。多くの人々が「より良い場所」を希求している。しかし、その「良さ」の定義は、決して一つではなかった。そして、春凪一が定義する、あまりにも特化された「良さ」は、万人に受け入れられるものではないことを、この無慈悲な選別は静かに物語っていた。


* * *


春凪一が創る共同体への入国には、極めて厳格な試験に合格する必要があった。その門戸は、原則として日本国籍を有する者に開かれている。ただし、その理念に深く共鳴し、日本文化への理解と尊重を示す外国人が、正規の手続きを経て日本国籍を取得した場合には、その限りではなかった。


この試験は、高度に発展したコンピュータシステム上で稼働するAIによって実施される。そして、そのアーキテクチャは、春凪一自身が、彼のAIエンジニアとしての人生の全てを注ぎ込んで設計・開発したものだった。2025年以降に熾烈を極めたAI開発競争の第一線で戦い、今なおCEOとして業界を牽引する彼の技術力の粋が、この入国審査システムには惜しげもなく注ぎ込まれていた。


春凪AIには、「共同体の国民として相応しい振る舞い」に関するプロトコルが、膨大なライブラリとして詳細に定義されている。穏やかであること、静かで丁寧な生活をすること、他人に迷惑をかけないこと、読書や芸術、音楽や会話を楽しむこと。


具体的には、押して開けるドアの向こう側に人がいないか、一瞬立ち止まって確認する思慮。人とすれ違う際に、互いに少しずつ進路を譲り合う譲歩の精神。狭い空間へ入る際は、出る人を優先する暗黙の秩序。公衆トイレの手動ドアを、バタンと閉めるのではなく、最後に手を添えて静かに閉める抑制心。


これらの規範は、理想的には幼児教育期に習得し、成人するまでには、もはや呼吸をするように無意識に実践できるべき事項とされていた。


ある受験者が、最終段階のシミュレーション試験に臨んでいた。目の前のスクリーンには、雨の日のバス停がリアルに再現されている。バスを待つ人々の列。自分は最後尾だ。やがてバスが到着し、人々が乗り込んでいく。自分の番が来て、ICカードをリーダーにタッチしようとした、その瞬間。背後から、舌打ちと共に「遅えな」という声が聞こえる。

受験者は、苛立ちを抑え、無言で乗り込んだ。


――不合格。


AIの判定は無慈悲だった。理由は開示されない。だが、AIの内部ログには、こう記録されていた。「刺激に対する微細な眉間の皺、心拍数の上昇、そして何より、舌打ちをした仮想人格に対し、報復的な思考パターンを0.02秒間生成。共同体の調和を乱す潜在的リスクを看過できず」と。


また、仮に、日本国籍を単なる利便性のために獲得しようとするような、理念と相容れない動機を持つ者が受験した場合も同様だった。AIは、その受け答えの端々に現れる論理の矛盾や、深層心理に潜む自己中心的な傾向を瞬時に分析し、的確に不合格と判定する。


このAIによる選別は、人間的な情実や偏見を完全に排除し、理念への適合度を純粋に測る試みであった。しかしそれは同時に、AIが定義する「相応しい振る舞い」が絶対的なものとなり、人間の多様性や、時には人間らしい弱さすらも過度に制限する危険性を、静かに示唆していた。春凪AIは、表面的な思想信条だけでなく、無意識レベルでの行動様式や習慣までを重視する。それは、人類史上、最も高度で、最も厳格な選別基準と言えるだろう。

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