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赤い魔王の白い結婚 〜童顔治癒師は強面王子の溺愛に気付かない〜  作者: 丹空 舞


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最終回 前編

成果は上々だった。


セシリアと、ドグマの令嬢たちは皆、先に護衛と共に出ていった。


リリスは最後に引き継ぎをしていた。

傷薬の調合の手順や、化粧水の作り方を書いたレシピブックを渡すと、聖堂に残されたタンケ―の者たちは、リリスに泣きながら繰り返し礼を言った。

民衆が押し寄せる修羅場がよっぽどつらかったのだろう。



「さて、これでいいわ」


リリスとしても、気にはなっていたのだ。

嫁いだとはいえ、ふるさとだ。


修道院に挨拶をしたいのもやまやまだが、リリスはダリオンにくれぐれも用事が終わったらすみやかに帰るようにと、懇願されていた。


「心配なんだ」

と、大柄な体を小さくさせて言われたら、こちらだってほだされてしまう。

ダリオンは無意識なのか何なのか、女性の庇護欲をうまく煽ってくるのだ。


群衆が遠巻きに見守る聖堂の出口で、ドグマの王都に戻る馬車に乗り込もうとしていたリリスは、ふと懐に違和感を感じた。



「キャサリン、安息香を置いてきてしまいました。ちょっと取ってきます」

「いえ。護衛の者も、もう配置についておりますので……これ以上は。誰かに取りにいかせましょう」


平民のときは、自由きままに歩けたが、ドグマの王族に身を置けば護衛や監視の者がついてくる。

王族には王族の大変さがあるものだ。


そのとき、人垣を縫って近づいてきた。

笑みは滑らかで、手には布を握っている。大臣はリリスの前で軽く膝を屈めた。


「リリス殿。お忘れ物はこちらですかな?」


布に包まれた見慣れたポプリを目の前に出されて、リリスは安堵でほっと息を吐いた。


「ああ、そうです。ありがとうございます。ええと」

「侯爵ヤーヴェです」

ヤーヴェはうやうやしくお辞儀をしたが、あまりにも丁寧過ぎた。

慇懃無礼というやつだ。

キャサリンが眉をひそめた。


「申し訳ありません。リリス様はお急ぎになっているので」

「まあまあ、よろしいではないですか。少しだけですよ。せっかくなので、土産をお渡しいたします。これはタンケ―の城からのこころざしです。ああ、それにしてもお美しい。雪の妖精のようですな。タンケ―の宝石がさらに光りました」


しらじらしい。


姫君ではドグマにはもったいない、元平民のリリスがちょうどいいと言っていたその口で、全く違うことを息を吐くように言ってのける。


リリスの不信感は増しに増した。

キャサリンは城からの土産物という、葡萄酒だの織物だの、様々な献上品を馬車につめる指示で忙しくしていた。


「ざっくばらんに言いますが――離縁しませんか、若き王妃よ。リリス殿の代わりに若い姫を向かわせましょう。妥当な縁組を整えられれば、王国のためにもなります」


リリスの頬から微笑みが消えうせた。

ヤーヴェはねっとりとした口調で続けた。


「もちろん聖堂の地位も用意しましょう。ナンバーツーの座はいかがですか。公爵としての身分のまま、聖職者になるというのは大出世です! 平民だったご母堂もお喜びになるでしょう。リリス様もご自分でお気づきでしょう? 生粋の王族と、貴族というのは全く違う生き物です。増してや平民というのは、共通点を探す方が難しい。あなたはよくやってのけてくれました」


「退きなさい。無礼ですよ」

と、リリスは言った。

セシリアを想像して、なるべく威厳をもって、背筋を伸ばして。


「無礼?」

ヤーヴェは口元をゆがめた。

「元平民相手に?」


リリスの護衛が剣の柄にそっと指先を這わせた。

冷たく、鋭く、鞘の中で眠る刃のような気配が漂う。

リリスの視線がすっと後ろへ去る。

ざわめきが一瞬高まり、さざなみのように消えた。


「離れろ」


低く、しかし断固とした声が返る。


「その瞳は——」

ヤーヴェが囁いた。

瞳は嘘をつかない。

「あ、あなたさまは!」




その『従者』は顔を隠していたが、燃えるような赤毛は帽子でも隠し切れなかった。


「従者だ、ただの。リリスに指先一本でも触れてみろ、斬り捨ててやる」


その言葉には刃があった。幾重にも隠された誓いと、理性を突き抜けた暴力の予兆。

大臣の笑顔が一瞬、固まった。


「俺としては貴殿の国がどうなろうと知ったことではない。リリスさえ手に入れられるなら、たとえお前を斬って咎人になろうとも」



リリスはつ、と前に出た。

「いけません、ダリオン様。この男は斬り捨てるほどの価値もないのです」


磨かれた笑顔の裏にあるのは、誰よりも鋭い意思だ。

大臣の目がリリスの横顔に泳ぐ。

ふと、彼はその耳元で揺れる宝石に違和感を覚えた。


——あれは、いつもの誕生石ではない。


光の角度が変わるたび、紅い炎のような光が閃く。

まるであの男、ダリオンの瞳と同じ色。


「スピネルか」

と、ヤーヴェがうわごとのようにつぶやく。

滅多に手に入らぬ深紅の宝石。戦士の守護石と謳われるその光をまとって立つリリスは、もはや完全にドグマの人間だった。


「……なるほど」


大臣の喉が小さく鳴る。もはや誰がどう取り繕おうとも、妃リリスはドグマ王国の象徴として紅に染まっている。




「失礼いたします」



リリスは赤い髪の従者の腕を引き、そのまま馬車に乗り込んだ。





ゆっくりと遠ざかっていく白亜の馬車を見ながら、ヤーヴェはギリギリと頬の内側を噛んだ。




「ついにドグマの駒となったか」




大臣の笑みが切り替わり、低く呟いた。




「タンケーの害となりうる虫は、潰さねばならぬな」


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