進展なるか
秋の宮殿の物置部屋ではひっきりなしにポコポコと泡の弾ける音がしていたが、突然部屋のドアが爆発でもしたかのような勢いで開いた。
冷気のような怒気をまとって、ダリオンが突入してくる。
「リリス!」
そこはまるで錬金術師の暴走現場だった。
長机には薬瓶がずらり。聖水、化粧水、軟膏、回復薬。棚には瓶、床にも瓶、天井からも瓶が下がっている気がした。
中央で、黒い巻き毛の女が草の山に埋もれながら呟いていた。
「……ミントは、やっぱり朝露よりも、夕方の……」
追いついたキャサリンが「あちゃあ」と額を押さえた。
そのすぐ後ろから飛び込んできたマイロが、何とも言えない顔で二人を見比べる。
キャサリンが地を這うような声で独りごちた。
「もうだめだわ」
「レディ、差し支えなければ理由を、ふふ、お聞かせいただけますか?」
「あなた、ダリオン殿下の従者の方でしょう。ちょっと笑ってしまっているじゃない」
「いえ、なにをご心配されているのかな、と」
「ご心配も何も、あれをご覧になってどうお思い? 昨日からほとんど眠らずに化粧水を大量生産しているのよ? ご自分は化粧どころか洗顔もされていないのよ!? いえ、私はおすすめしたわ、一度くらいお水でお顔を濡らされてもばちは当たりませんと!」
「ふ、ふふ……」
「あなた、笑い上戸なのね? いいわ、この際、すべて聞かせてさしあげる。それでもじっと座って鍋をかきまぜてらっしゃるから、私は申しあげたのよ。ダリオン様がいらっしゃったらお化粧もしていないこの羊飼いの娘のような姿を見られますよ、と」
「ひ、羊飼いの娘ッ……ふ、ふふふ」
「だってそうでしょう? リネンのドレスにエプロンだなんて田舎の羊飼いごっこにも程があるわ。ストロー帽でもご用意いたしますか、って私はどうにか身支度を整えてほしくて、渾身の嫌味を言ったのよ。そうしたらリリス様は可憐そのものの表情で告げられたわ」
「なんと?」
「帽子はいいから、雨水にリネンを濡らして欲しい、と。雨に一度濡れたリネンじゃないと、薬草を干すときに都合が悪いのですって。だから正解は、『あっ! 布が足りなければ私のドレスを脱ぐわ』よ」
「ふ、ふ、ふふふふ……」
「信じられないでしょう!? 妃なのよ!? 顔も洗わないお妃なんて聞いたことおありですか、と言ってもダンマリよ。私は仕方ないから布を絞って、幼児のようにお顔を拭いてさしあげたのよ。ああ、もう終わってしまったわ、ロマンスが……ダリオン様とリリス様の夢の王宮計画が……私は子供部屋の間取りとインテリアまでばっちり羊皮紙に書き込んでいたのに……」
マイロが目じりに笑いすぎて涙を浮かばせながら、白い歯をわずかに見せた。
「まだ分かりませんよ」
「だって、あの羊飼いみたいな恰好の、髪もとかしていない、というか湯浴みもしていない状態のリリス様よ。ロマンスの神様もはだしで逃げ出すわ。愛のキューピッドは、薔薇園の八角形のガゼボで矢を打つのよ。こんな草の汁まみれな物置きでは刺さらないわ」
「いえ、意外と……人によるのではありませんかね。少なくともうちの魔王様は、腑抜けたキューピッドの小僧なんかよりはずっと強いですから」
ダリオンが呼びかけた。
「リリス」
「……」
「リリス!」
「……はっ! ダリオン様?」
「好きだ」
「へ?」
キャサリンは思わず口を押え、マイロは平静を装いながらも目を三倍くらいに開いた。
「聞こえなかったか。好きなんだ」
沈黙。
しん、と静まった部屋の中で、黒い鉄の大きな鍋の中の泡が、ぽこりとひとつ弾けた。
ダリオンはツカツカと歩み寄る。
長い机を挟んで、リリスとダリオンは向き合う。
赤い瞳が情に燃え、空気がぴんと張り詰めた。
パイナップルにも似た、夏の名残の情熱めいた香りがふわりと漂う。
「好き、ですか」
リリスは噛みしめるように、ぱちぱちと瞬きをした。
無垢な灰色の瞳は、つやりと濡れている。
ダリオンは熱にうかされたように呟いた。
「そうだ。リリスに会うまで知らなかった」
「……ああ、そうですか」
ああ、そうですか?
キャサリンの柳眉がひくりと動いた。
嫌な予感しかしない。
マイロがひく、と口端を引きつらせた。
「私も好きです」
リリスが、やわらかく微笑んだ。
そして、机の上の草束を両手で包み込む。
「このパイナップル・セージ」
マイロが崩れ落ちた。
膝をつき、肩を小刻みに震わせている。
キャサリンはレースのハンケチーフを出して、静かに泣き出した。
「……おたくのとこのレディはどうなってるんですか?」
マイロが笑い死に寸前になりながら囁いた。
「かわいそうに。うちの魔王様は灰になってますよ。一世一代の告白が通用しないなら、どうすりゃいいんです?」
キャサリンはティーポットを用意する以外、自分に道がないことを悟った。




