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赤い魔王の白い結婚  作者: 丹空 舞


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暴走雛鳥

ダリオンは麻酔を打たれた熊のように硬直していた。

肩口にかかる燃えるような赤毛を指先で払うと、形の良い鎖骨が露になった。


「ふむ」


リンパ節には鎖骨の上部と下部があるが、首を痛めているのならば上部の方だろう。


「グレッグ様、少しばかりいただきますね」

と、断ってリリスは瓶の中の香油を数滴手にとった。

「もちろんですとも!」

グレッグは親指をたてて、良い笑顔で頷いてくれた。


ダリオンは顎が外れたように呆然として口を開けていた。

丈夫そうな鋭い犬歯が見えた。

患者は緊張しているようだ。

大丈夫ですよ、と言うつもりで、リリスはニッコリしてみた。


ダリオンは獣を射殺しそうな目になった。


どうしてだろう。

何か違ったらしい。

元平民ちんちくりん娘が調子に乗るな、ということだろうか。


リリスは誤解を解こうと言い募った。


「痛くはしません」

「いや、ちょ、リリス嬢……待て、待ってくれ」

「何でしょう」


と言いながら、リリスはぴと、と肌に指で触れた。

強行突破だ。

疲労は気付きにくい。過労になる前に癒せるのは、腕の良い治癒師の慧眼あればこそだ。

リリスは恩師の修道女の横顔を胸に思い描いた。


(シスター、私はここでもしっかりやり遂げてみせます!)


骨に沿って指を滑らせると、ダリオンは水につけられた猫のようにビクッと肩を跳ねあげた。


「あ、申し訳ありません。旦那……じゃなかった、ダリオン様。冷たかったでしょうか」


「………………いや」



たっぷり10数えられるほどの沈黙があったが、冷たくないというのならそうなのだろう。


従者のマイロと王宮専属シェフのグレッグは、頬にピンク色のさしている第三王子とその若妻の戯れの背後で、二人で目を見合わせた。


「こんな楽しいことになっていたとは、いやはや」

「ええ。スモー国への遠征中も時々ぼうっとされていて」

「青春じゃなあ。カミさんと出会ったときのことを思い出したわい」

「止めた方がよろしいでしょうかねえ」

「いや、いいじゃろ。ダリオン王子もああいう経験を積んでこそ一人前じゃて。国王様もそうおっしゃるはずだ」

「硬派一筋の男が形無しですねえ……しばらく様子を見ましょうか」

「面白がっているじゃろ、マイロ」

「いえいえいえいえとんでもありません」


集中すると耳に音が入ってこないたちのリリスは、ためらわずダリオンの鎖骨に触れた。

よく鍛えられてはいるが、腕やら首やらの筋肉が異様に肥大しているわけではない。

実にバランスの良い身体をしている。

リリスは感嘆した。


「良いお身体からだですね」

「……」


ダリオンは前かがみになっているが全く動かない。

よほど体幹が強いのだろう。

さすがだ。

リリスが鎖骨の中心から肩に向かって指を滑らせると、柔らかい粒のようなものが僅かにあたった。


(これだ)


リリスは油で指を滑らせるようにして、流れを止めているものを探す。

疲労が溜まると、人体に体液の塊が滞留することがある。


優しく指先でなぞるようにするのがコツだ。

左右差がないよう、両の手を使ってそっと触る。


「ここに大きな血管があるんですよ。疲労がたまると、ここが固くなったり腫れてしまったりすることもあるんです。時々こうして流して差し上げるとよろしいのかもしれませんね」


ダリオンは微かに震えているようだった。


「お痛みありますか?」

「…………いや」



今度はたっぷり20程の間があった。


(もしかしたら遠慮されているだけで、痛かったのかもしれない。先ほどもずっと首を伸ばすようにして、上を向いてらっしゃったわ)


リリスは疲労した患者――否、夫ダリオンのために、せっせと施術をした。

骨に沿って油を塗り、ゆっくりと指で押し流す。

簡単な筋肉疲労であれば、グレッグに処方したハーブと同様の効能で大丈夫なはずだ。


「っ……」

「ん?」


ダリオンが真っ赤な顔をして硬直している。

ぷるぷる震えているような感じもする。


「ダリオン様?」


よほど加減が良くないのだろうか。

リリスは心配になってダリオンを覗き込んだ。

すなわち、鎖骨をはだけたダリオンの胸元に無意識に片手をかけて、じっと上目で見上げた。

眉を寄せて、心配そうに。


ダリオンの目が据わった。

ガシッと手を捕えられる。


リリスはパチパチと瞬きをして、掴まれた手を見た。

痛くはないが力が強い。

どうして止められたんだろう。

そんなに不快だったのだろうか。


「リリス嬢、君はどういうつもりなんだ。俺をーー」


形の良い薄い唇をゆっくり開き、ダリオンが続けて何かを言おうとしたその瞬間。


コンコンッという軽快なノックの音がした。すぐに部屋の扉が開いて、キャサリンが来客のグレッグのために檸檬の柄のティーセットをワゴンに乗せて入ってきた。


「あら、人が増えてる……ってダリオン様!? というか何をやってらっしゃるんですかリリス様!??」


「キャシー、あのね、ダリオン様はとてもお疲れで」


「殿方を裸にむいて何を……油!? リリス様ッ!?? ご説明下さい!? シェフ・グレッグと、……あなたはダリオン様の従者の方!? ちょっと、どうして止めて下さらなかったの!?」


「マイロと申します、ミス・バーナード」


「丁重な礼は有難いですけれど、今はあの暴走雛鳥を一刻も早く止めて下さいます!? あなたの主人が大変なことになりそうですわよ!?」


マイロはわざとらしく咳払いをして、ダリオンに近寄った。糸が切れたようなダリオンの腕をとって、半ば引きずるようにして連れて行った。


「今日はこれにて失礼いたします」

「イヤ、ではわしも退室させていただきます。リリス様、香油をありがとうございました」


男性たちがそそくさと退室した後、リリスを待ち受けていたのはキャサリンの淑女たるものは、という延々と続くお説教だった。

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― 新着の感想 ―
あ、良かったです。 キャサリンのおかげで大変なことにならずに済んだようで何よりです。 ダリオンはリリスが大好きなんですね。早く普通に仲良くなれると良いですね。 今節では、麻酔を打たれた熊、と、丈夫そう…
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