冤罪で婚約破棄されかけましたが、証拠と品格で返り討ちにいたします
「クラリス・グランツ!今この場をもって、君との婚約を破棄する!」
今日は、私と婚約者の婚約一周年を祝う大切な日。
昨夜は手紙を書き、今朝はレモンタルトを仕込み、紅茶は彼の好みに合わせて葉を選んだ。
花々が咲き誇る初夏の庭園で彼と静かに未来の話をする――そのはずだったのに。
気品ある庭園に似つかわしくない怒声が響き、私は眉をひそめ、ゆったりと視線を上げる。
「……レオンハルト、それは“記念日”の最初の言葉にしては随分と刺激的ですわね。どういったご意図で、そのようなことを?」
静かに問いかけると、怒声を響かせた張本人であり私の婚約者――レオンハルトは怒りをにじませて語り出した。
「僕は君に失望したよ、クラリス。婚約中の身でありながら、他の男と逢瀬を重ねていたなんてね……!」
レオンハルトの声は怒りと悲哀に満ち満ちている。
「お姉様ったらひどいわ……レオンハルト様はお姉さまの事を愛しておられるのに……」
レオンハルトの隣には、私とよく似た輪郭、けれど違う華やかさと媚びを帯びた雰囲気。
私の双子の妹、セリスが儚げな顔で寄り添っていた。
「私がほかの男性と逢瀬だなんて……そんなことするわけありませんわ」
困惑する私の表情がレオンハルトの目にはしらばっくれているように映ったらしく、彼は怒りに声を震わせながら言い放った。
「先週の金曜日、君はヴィル殿と公園を歩いていただろう?」
「私が、ヴィル様と?」
ヴィル様――お父様の学友のご子息。
お父様の紹介で知り合い、パーティーの場などで何度か挨拶をしたことはある。
「ああ、肩を寄せ合って好きな音楽について話していたな。すぐそばにいた僕に気づく気配もなく――随分楽しそうだったじゃないか」
僕は見たんだ、と肩で息をしながら私をにらみつける。
「……それは私ではありませんわ。だって、その日私は別荘で一日中バイオリンを教わっておりましたのよ?――そうよね、ルイーズ?」
私はそばにいた使用人に確認する。
ルイーズは何度も頷きながら
「はい、クラリス様は確かに先週の金曜は別荘にお泊りになっておりました」
と私の発言に同意した。
「ふん、使用人と口裏を合わせたんじゃないだろうな」
「まさか。――セリスも私が屋敷を不在にしていたのを知っているのではなくて?」
「――さあ?私は友人のお屋敷にお呼ばれしておりましたので」
お姉さまがお屋敷にいたかどうかは存じ上げませんわ、と小首を傾げた。
するとそこへ、タイミングを計ったかのように足音が近づき――
「一体どういうことなんだいクラリス?」
私の逢瀬相手として名指しされたヴィル様本人が登場した。
セリス曰く、本人から直接聞いた方がいいと思って呼びましたの、とのこと。
「あの日僕は間違いなく君とデートをしたと思うのだけど……君はレオンハルト殿と婚約していたんだね。僕に嘘をついていたとは……残念だな」
ヴィル様は悲しそうに眉を下げ、視線を落とす。
「ですから、それは私ではなく――」
「これを見てもまだ言い逃れするつもりか!」
レオンハルトが懐から魔導媒体を取り出した。
そこには、クラリスらしき人物がヴィル様と仲睦まじく並ぶ姿が映っていた。
並んで湖畔を歩く二人。
木陰で寄り添って本を読む二人。
そして、ケーキを食べながら微笑み合う二人。
ヴィル様は魔導媒体に映し出された記録を静かに見つめ、ゆっくりと口を開いた。
「――ああ、この日のことはよく覚えている。2週間前の週末、クラリスと湖畔でデートをしたんだ。お互いの好きな本を勧め合って……君がおすすめしてくれたのは、“風を渡るものたち”だったかな?僕も好きな作品だから嬉しかったよ」
ヴィルはどこか懐かしげな顔で笑う。
「それから、お茶の時間にはウチの使用人お手製の桃のタルトを食べて――」
“桃のタルト”その言葉を聞いて私は眉をひそめた。
「……申し訳ありませんが、それは私ではありませんわ」
「じゃあ、あれは誰だったというんだい?」
「それはわかりかねますが……一つ言えるのは、私桃アレルギーですの」
その場の空気がぴたりと止まる。
「その場にいたのが本当に私であるならば――私は今頃この世にはおりませんわ。……レオンハルト、もう一度先ほどの記録見せてくださる?」
レオンハルトは困惑したように、おずおずと私に魔術媒体を差し出した。
私は映し出される記録を確認し、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「まず第一に私、右利きですの。記録に映るクラリスは……左利きではなくて?」
レオンハルトとヴィルが記録をまじまじと見つめる。
映し出された記録には左手にフォークを持つクラリスの姿が収められていた。
「第二に、私、1か月ほど前に足首をケガしてしまって……それ以来ヒールのある靴は履いておりませんの」
私はドレスの裾を軽く持ち上げる。
左の足首には包帯がまかれ、足元にはフラットシューズ。
しかし、記録の中のクラリスの足元はというと華奢なヒールで飾られている。
「そして第三に――記録の中のクラリスの右腕にハート型の痣があるように見えますわ。ですが、私にはそのような痣はありませんわよ」
右腕の袖をまくって見せる。
もちろんそこには記録に映っているような痣はない。
「――ところで、私この痣の持ち主に覚えがありますの」
私は一つコホンと咳をしてセリスに歩み寄り、彼女のドレスの袖をたくし上げる。
「ちょっと!何するの!」
抗議も虚しく、彼女の右腕は露になり、そこにはあの記録と寸分違わぬ“ハート型の痣”が浮かんでいた。
「……桃を好み、左利きで、右腕に痣のある人物――セリス、あなたが“私”に成りすましていたのね」
言葉が静かに鋭く響いた。
「……セリス?」
レオンハルトが呆気にとられたように目を丸くしてセリスを見つめる。
「そ、そんなの証拠になるとは限らないじゃない!記録だって加工されたかもしれないし……!」
セリスはなおも叫び、足掻いていた。
あともう一押し。
私は思考をめぐらせ、ふと視線をヴィルに向ける。
「ヴィル様。先ほど、“私”が、風を渡るものたち”を勧めたと仰っていましたわね。そのとき、ほかにどのような話をされましたか?」
「え? ああ、たしか……“彼女、いま最新作を書いてるのよ”って、嬉しそうに話していた。“次の主人公は前作の兄の幼馴染らしくて、今からとっても楽しみ”って」
その瞬間、私の中で点が線になった。
「――そうでしたの」
私はゆっくりと顔を上げ、セリスを見据える。
「“風を渡るものたち”の作者、エセル・ローリエ。彼女は素性を明かしていない覆面作家。しかも、現在執筆中であることは世間に公表しておりませんのよ」
セリスの表情がひくりと歪む。
「にもかかわらず、エセルが“彼女”――つまり女性であること、そして新作を執筆中であることを知っていた、というのはどういうことかしら。……作者本人、それから正体を知っているグランツ家の人間くらいではなくて?」
「……っ」
私は一歩、彼女へとにじり寄る。
「――やっぱり、あなたしかいないのよセリス」
「違う!私は!私はただ……!」
「もうやめなさい。嘘も演技も、そこまでにして頂戴」
「うるさい!」
セリスは怒りに任せて私に掴みかかろうと身を乗り出した。
だが――
「やめるんだ」
レオンハルトが彼女を制し、私を庇って前に立った。
「僕の婚約者に手をあげることは許さない」
セリスはその場に膝をつき、悔しそうに歯を食いしばった。
「なんで、いつも、いつも、お姉様ばかり……助産師に先に取り上げてもらっただけじゃない!」
……そう。
あの子はずっと根に持っていたのだ。
“助産師に先に取り上げられた”という、たったそれだけの順番の差を。
ドレスの仕立ては私が先。
社交界デビューも私が先。
婚約者の選定も、当然私が先。
それが当然のように決まっていくたびに、きっとあの子の中には澱のような感情が積もっていったのだろう。
私に成りすまし、ヴィル様と逢瀬を重ね、名誉を傷つけることで――自分こそが“ふさわしい”と示したかったのだ。
……残念ながら、計画はあまりにもお粗末だったけれど。
レオンハルトが私の利き手を覚えておらず、桃アレルギーの話も忘れていたまでは良かった。
あの子は、彼のそういう鈍さに賭けたのだろう。
激情に弱い彼なら、きっと自分に傾くと。
でも残念ながら、私はそういう抜け穴を黙って見過ごすほどお人好しじゃない。
騒ぎを聞きつけた両親が到着し、取り乱すセリスを連れ出していく。
こうしてセリスの企みは、“未遂”のまま終わった。
場に静寂が戻った頃、レオンハルトがぽつりと口を開いた。
「……すまなかった、クラリス。僕は、君を……」
「利き手も、桃も、痣のことも……全部、以前話しましたわよね?」
私はできるだけ穏やかに告げた。
「あなたが私をどう思っていたのかは知りませんけれど、“知らなかった”より“忘れていた”のほうが、よっぽどショックですわ」
皮肉も混じったその言葉に、レオンハルトは唇を噛み、深く俯いた。
反論の言葉もないらしい。
私はコホンと咳を一つして言葉を続ける。
「……まあ、あの時咄嗟に私を庇ってくださったのは、少しだけ嬉しかったですけれど」
私がそう口にすると、レオンハルトは目を見開き、戸惑ったようにまばたきをした。
そしてほんのわずかに、はにかむように頬を緩める。
「……当然のことをしたまでだよ」
視線を合わせずにそう呟いた彼の声は、どこか照れくさげだった。
レオンハルトはこの一件で相当反省したようで、この日を境に、まるで生まれ変わったかのように私に接するようになった。
椅子を引き、愛の言葉を紡ぎ、紅茶の好みは何通りも記憶し、彼の家の使用人からは「レオンハルト様がいちいち“クラリス様ならどう思うか”と確認してくるのです」と苦情が出るほど。
ほんのひと月前までは、セリスの“偽クラリス”のことで気を揉んでいたせいか、会話は必要最低限。
まるで冷戦中の同盟国のような距離感だったのに。
今ではすっかり過保護気味の婚約者である。
……思わぬ騒動だったけれど、まあ、結果オーライかしら。
また、お互いの顔をちゃんと見て、会話をできるようになったのだから。
さて、妹はというと、あの後ヴィル様に拾われて、なんと今では彼の婚約者となった。
「自分も次男だから、セリスの気持ちは痛いほどわかってしまうんだ。彼女がもう間違った方に進んでしまわないように僕が手をつないでおくよ」というのは彼の言葉。
私に成りすました時にデートの中で話した小説や音楽の好みが合ったのが決定打になったらしい。
今度こそ自分の顔で、自分の名前で愛されてほしいものだ。
ようやく静けさが戻った日々。
紅茶は熱く、空は穏やか。
けれど、そんな午後のひとときを破るように、玄関から声が響いた。
「クラリス・グランツ!私はあなたのことを――」
……妹が撒いて行った火種はまだ残っていたらしい。
私はティーカップを置き、ゆるりと扇子を手に取った。
さて、今度はどんな茶番かしら?
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