めでたし、のその後に。
女王は不機嫌な顔をして静かに呟いた。
「真実の鏡よ。先程の言葉に偽りはありませんか?」
『御意。―――御歳8歳になられる王女殿下は、数年の後には王妃様を凌ぐ国で1番の美しさを持つ事になりましょう』
鏡の回答に「...そう」とだけ返して庭で鳥や蝶と戯れて遊ぶ王女の姿を見た。
夜の帳を下ろした様な黒檀の髪に、雪の様に白い肌にそっと刺す血のように赤い頬の色、薔薇の花弁の様に愛らしいくちびる。
白雪姫と呼ばれ民衆から愛される愛娘の為に女王は決断しなければならない。
先の戦で功績を上げた若い武人が、褒賞として望んだ『国1番の美女』。
(...どうして、あの子なの)
知っている。知っている。これからあの子がどのような人生を歩むのか。自分が、どのような末路を辿るのか。
義母を見て来たから知っている。
―――女王はかつて、白雪姫と呼ばれていた。義母に疎まれ美しいドレスは取り上げられ、召使いの身分に落とされ、―――いのちすら狙われた。
【運命の人】である王子と出会い、今でこそ平穏に暮らしている。―――気まぐれに拾った義母の形見の真実の鏡を持って嫁入りして、何も知らない無垢な少女だった女王は真実を知る。
義母が自分に冷たく当たって居た時、女王には婚姻話が上がっていた。
相手は隣国の大臣の息子で、身分には問題が無く表向きには非の打ち所もない青年だったが―――その青年が孕む【性癖】義母が義母には到底許す事が出来なかった。
「幼い少女を痛め付け、苦しんで、死を願うさまを見て悦に浸る」
その青年は、そんな性質を持つ男だった。
魔女であった義母はその青年の手に女王の身が渡る事が無い様に毒林檎を渡していたのだ。
『真に白雪姫を愛する者の口付けで永き眠りから醒める林檎』
事実を知って女王は嫌われていると思っていた義母は誰よりも自分の幸せを願ってくれていたのだと涙し、義母の最期に思いを馳せる。
義母はどんな気持ちで、「罪の数だけ踊れ」と王子から手渡された赤く焼けた鉄靴を履いて踊ったのだろうか。
―――そうして無惨にいのちを落とした義母の魂は真実の鏡に取り込まれ、ただ真実を答えるだけの存在になってしまった。
不器用だけれど、女王の義母は守ろうとしてくれたからこそ女王は今ここにいる。
偶然か必然か、かつて義母が直面した愛娘を襲う悪夢と闘わなければならない女王は鏡に問いかける。
「鏡よ、あの男は我が愛娘を幸せにするでしょうか」
『否。アレはかつてあなた様の婚約者に推薦された男と同じ性質を持っております』
ならば、成すべきはひとつ。
女王は7つの輝く谷と7つの煌めく丘の向こうの森に住む小人達に会いに行く。
「良いですか、姫を狙う不埒な者が森に近付けば義母の形見を使って守ってください」
ドレスの飾り紐は身に付けると呼吸が止まる。
あの男は真実の鏡の存在を知っている。ひとつ目の策としてこの飾り紐で姫の死を偽装する。
だが、きっと男は諦めない。
魔法の櫛を使って髪を梳くと深い眠りに付く。
これでも諦めないのであれば、最後のひとつの魔法の毒林檎を使う様に言付けた。
嫌われても良い。義母と同じ末路を迎えても良い。
女王は最愛の愛娘が幸せに暮らせるのであればそれだけで僥倖、思い残す事は何も無い。
◇◆◇
「女王様、白雪姫を我が妻に望みます」
「アレはわたくしが森でいのちを奪う様に狩人に命を下しました。証拠の心臓は此処に。心臓で良ければ其方に下賜しましょう」
青年はニヤリと気味の悪い笑みを浮かべる。
「いいえ、女王の命を受けた狩人に会って話を聞いたところ、姫を逃がしたと聞きました」
「幼子が森でひとり生きられる筈もありません。ひと月も経っているのです、森で野垂れ死んでいる事でしょう」
顔色ひとつ変えずに告げる女王に、「では、姫の亡骸でも構いません。今から森へ愛しい姫の亡骸を探して参ります」と青年は言った。
―――今頃、姫はツヴェルク達の元にいる。
ツヴェルクは森の獣と仲が良く、青年が森に入った事を知れば女王から託された使命を果たしてくれる事だろう。
数年後、姫が14になった頃。
ツヴェルク達から「白雪姫は毒林檎を食べる事になった」と手紙が届いた。
姫に焦がれたあの男は内密に処理した。もう、愛娘を脅かすものは無い。
(嗚呼、後はあの子の運命の人があの子を目覚めさせ、―――わたくしが焼けた鉄靴で踊って死ぬだけね)
女王は壁に掛かる家族3人の肖像画を見る。
(貴方、わたくしは毒林檎の魔女の汚名を着て死にます。―――だけれど、願わくは。
貴方の待つ、主の御許に辿り着けます様に)
◇◆◇
毒林檎を口にした姫が眠る姿を気に入った王子は、ガラスの柩を何処に行くにも連れて歩いて行く先々で「この娘が私の妻だ」と笑っていた。
柩を運ぶ作業に疲れ果てた従者の足が縺れて転んだ時に喉に引っかかっていた毒林檎の欠片が飛び出て姫は息を吹き返し、若いふたりの結婚式に女王は呼ばれた。
「其方の罪の数だけ、この鉄靴で踊ると良い」
冷たく言い放つ隣国の王子、姫の最愛の運命に告げられて女王は焼けた鉄靴に足を入れようとする。
―――それを、姫が止めた。
「お母様はわたくしの身を案じて城を追放し、身を守る術を託してくださったのです。
お母様は、何一つ罪を犯しておりません」
女王に似て聡い姫は最初から全てを知っていた。
娘に笑顔ひとつ向けない女王と呼ばれようと、いのちを狙っていたと陰口を叩かれても、姫は何一つ疑う事なく真意に気付いてくれた。
嗚呼、あの時のわたくしにも、愛娘と同じ聡明さがあったならば義母の魂を真実の鏡に閉じ込める事にならなかっただろうに。
「うんと小さい頃、鏡が、―――お祖母様が教えて下さったのです。
お母様とわたくしは、お祖母様が無意識に掛けた白雪姫の呪いを解く存在なのだと」
女王の産みのお母様は、嫁いでから長らく子どもが出来ず、やっと授かった女王に幸せになって欲しいと言う願いを込めて
「夜の帳を降ろした様な黒檀の髪、雪の様に白い肌にそっと刺す血のように赤い頬、薔薇の花弁の様に愛らしいくちびるを持った女の子が生まれます様に」
と祈った。
祈りは呪いとなって母娘2世代に渡って現れ、おぞましい性癖を持つ男に見初められる事になる。
このままでは、女王達の血を引くものは全て同じ運命を辿る事になると知ったお父様が、真実の鏡を持つ魔女を後妻として迎え入れ、呪いを解く手段を願った。
隣国の王子は深々と謝罪し、女王の祝福を受け入れた。
「―――嗚呼、【私】が愛した白雪姫では無いけれど。白雪姫はあの御方の血を引いている。
実質愛した白雪姫を手に入れたと言っても良いのではないか?」
王子が小さく呟いたその言葉は、蟠りと呪いが解けて笑い合う女王と姫の耳には届かないのでした。