5.305号室の若西さん
階段を登って、一人と二匹は三階にたどり着いた。猫を探す人の声は聞こえない。
「お前、自分の家がどこだかわかるか?」
「に?」
のどの下を撫でてやりながら、紺がキジトラ猫に問う。どこから出てきたのか、もう分からないようだった。
紺たちが住まうこのマンションは、ロの字型をしている。一階には大家さんの部屋も含めて四部屋と広いエントランス、それから小さいけれど中庭がある。中庭には、エントランスからと、大家さんの玄関前にあるドアから赴くことが出来た。
ドッグランというにはちょっとストレスがたまりそうな中庭に出られるドアの横にはエレベーターがあって。エレベーターホールの中庭を挟んだ向かいが、階段になっている。二階以上は、そのエレベータホールに向いて、合計八つのドアが並んでいた。
「草太は?」
「んにゃー?」
となるともう、紺としてはお手上げである。探している人がいるならこの猫ですか、と見せればいいが、そうじゃないなら。いや一軒一軒ドアを叩いて回る、という手がない訳でもないが。流石にそれは不審者である。
「廊下に聞こえてないだけで、探してる人いるかもしれないから、聞こえたら教えて」
「んにゃ」「んにゃ」
草太だけではなく、キジトラ猫も同じく返事をした。いいお返事である。いいお返事ではあるのだが、猫に話しかけている自分は不審者でしかないよな、と、紺はその思いをそっと振り払う。まあこのマンションにおいて、自分が猫と話していても不審だとは思われまい。このマンションには、猫に無視をされる人もフェレットに冷たい目で見られる人も、金魚にガン見された人もいるのだから。面白おかしく大家の石井さんからそう聞いている。
しかしドアノブをひねってみるわけにもいかないので、ゆっくりと三階の廊下を歩くしかできない。
「にゃーあん!」「にゃーあん?」
あるドアの前で、草太が鳴いた。釣られてキジトラ猫も鳴く。意味は「あーけーて」である。
「んなーん」
中から小さく、猫の返事があった。
「え、なに? どうしたの? ましろ?」
それから女の人の声がして。
かり、かり、かり、と、ドアをひっかく音がした。
「え、なに? 出るの?」
家の中から、女性の声がする。ちょっと離れておいた方がいいかな、と思って、紺はドアから二、三歩離れた。開いたドアが自分にぶつからないようにするためでもある。
305号室のドアが開いて、白猫が顔を出した。草太は紺の肩からひょいっと降りて、白猫と鼻を合わせて挨拶をして、それから頬を寄せ合って、互いの体をこすり合わせた。
「すみません。204号室の八代と申しますが、この猫ご存じありませんか」
草太と真白がご挨拶をするのを一通り眺めた後であったが、紺は305号室の女性にそう声をかけた。表札も出ていないし顔見知りでもないけれど、別にナンパするわけではないからその辺りは今はどうでもいい。そもそもどこの家も表札は出ていない。出ているのは、大家の石井さんくらいだ。紺だって出していない。
「今朝帰ってきたときに、このマンションから出て行こうとしていたところで」
とりあえず引っ捕まえて、今に至る。
草太が言うには三階の住人である、と伝える訳にはいかないが、このマンションの猫だろうとあたりを付けて各階ねり歩こうとしたら草太とキジトラ猫があなたの部屋の前で鳴いたのだと。いやまあぎりぎり嘘は言ってない。
「ああ、あなたが」
紺と女性で草太と真白の猫二匹が逃げないように挟んで、そちらに視線をやりつつ会話をする。紺に掴まれているキジトラ猫は大人しいものだ。
真白の飼い主は若西と名乗り、納得したように頷いた。紺が、あの部屋に住んでいる理由が原因であろう。まあ、そうであるならエレベーターホールで猫と喋っていても納得されるかもしれないと、紺は考えを検める。
このマンションで飼えるのは猫と小型犬、魚に鳥にフェレットなどだ。爬虫類は駄目だった気がする。石井さんがあずかれないので。
「多分、ですけど。308号室の財前さんが猫を飼っていたと思います」
「ありがとうございます。行ってみます」
紺は草太の名前を呼んで、若西さんの家の玄関前を去る。草太は最後に軽く真白の額を舐めて、紺の後について行った。




