「悪役」
廊下を歩く中、私は目頭が熱くなるのを感じていた。
どこで間違えたのだろう。ダフネは、私はアランのことを深く愛していたし、そのためならなんだってできた。幼少期からのつらい王太子妃教育を乗り越えられたのは、その先にアランとふたり、この国を背負って立つだけの覚悟があったからだ。
それでも、私は嫉妬してしまった。苦しいことなど何一つ知らないような顔でアランにすり寄っていく女に。否、本当は嫉妬などしてはいけなかったのだ。そんなつまらない一時の感情に身を任せ、リリーに嫌がらせをしてしまったことが、アランにとってふさわしくない人間であるということなのだろう。
「王太子妃失格ね…」
あるいは、もうそうではないのかもしれないが。
リリーが撤回を促したといえ、アランも王家の人間。軽々しい気持ちで発した言葉ではないだろうし、撤回は難しいだろう。
私は足が止まってしまわないよう、必死に動かした。
悪いうわさが広まるのは早いもので、家に帰ると父に呼び出された。
ベニトアイト公爵。原作では出てこないが、この国でも有数の貴族だ。威厳のある佇まいを前に、わが父ながらなんて厳格なのだろうと思う。
「ダフネ。庶民の娘に嫌がらせをし、挙句王太子に婚約破棄を告げられたというのは本当か」
「本当ですわ、お父様」
私の中のダフネがまた泣きそうになっている。ダフネは父を尊敬しているから、その父に責められるのがつらいのだろう。ベニトアイト公爵は低く唸って、息を吐いた。
「まだ王家からは書状は届いていない。つまり、あれは王太子の独断に過ぎないということだ。…今はな」
「はい」
「お前のすべきことは何かわかるか?ダフネ」
「王太子の信頼を取り戻し、再び王太子妃として認めていただくことです」
よどみなく答えると、父は満足そうに笑った。
「私も公爵である以前に、人の親だ。お前が王太子妃になるためにしてきた努力くらいは把握しているつもりだよ。だからこそお前が一時の感情で振舞ったことを残念に思う。明日からは公爵家の人間として相応の行いをしなさい」
父は思いのほか寛容だった。もっと酷く怒られるかと思っていたから拍子抜けした。私は一礼すると部屋を出て、自室に戻った。
「お嬢様、大丈夫ですか?」
ベッドに倒れこむ私を心配してくれるのは侍女のローズだ。幼いころから姉妹同様に育ってきた彼女は、ダフネが心を許せる使用人の一人だ。彼女が淹れてくれた紅茶を飲むと、ほっと暖かいものが胸の中に広がるのを感じた。
「ええ、大丈夫よ」
「それにしても、皆の前で断罪するような真似をなさるなど、王太子殿下も人が悪すぎます!」
「アラン様を悪く言ってはだめよ、ローズ」
「ローズは怒っているのです!王太子ともあろうものが、一時の感情に流されるなど…」
「流されたのは、私のほうよ」
「それでも、」
とローズは菓子を用意しながら告げる。
「婚約者のある身でほかの女性と親しくするなど、言語道断です。噂では、庶民の女を抱きしめていたというではありませんか」
ローズの言うことも正しい。そんな光景が私には耐えられなかったのだから。
「怒ってくれてありがとう。でも私は大丈夫よ。明日学校であったらきちんと謝るわ」
「お嬢様…」
なんて心が広いのだろう、といった顔をしたローズに微笑みかけ、私は紅茶のカップを置く。
心が広いわけではない。公爵令嬢としてふさわしいのは、そちらのほうというだけだ。粛々と、謝罪をして許しを得て、元通りの関係に戻ること。これが公爵令嬢としてのダフネのすべきこと。
しかし、アランは許してくれるだろうか。それ以前に、謝るべきはアランではなく、リリーのほうでないか。あの時、突然毅然とした態度をとった彼女には、いったいどんな心境の変化があったのだろう。
庶民の女をいじめた私。
婚約者がありながらほかの女と親しくした王太子。
そして。その間で板挟みになった聖女。
「悪役」は誰なのだろうと思いながら、私は目を閉じた。