聖女の助け舟
「あ、あの、王太子殿下、」
柔らかな声の主は、先程までカチカチに固まっていた聖女、リリーだった。
「どうしたリリー」
「いえ、あの、その」
「なんだ、言ってみるといい」
「ええとですね…」
リリーは王子の腕の中から抜け出して横に立つ。そしてちらりとこちらを一瞥したかと思うと、何かを決意したかのように息を吸い込んで言い放った。
「ベニトアイト公爵令嬢との婚約を破棄するという話、撤回なさいませ!」
「な…!?」
「え…」
先程まで怯えていた少女とは思えないほどはっきりした声と、王太子の意向に背く言葉。会場はざわつく。
「リ、リリー。どうしたんだ?」
「ええと、婚約破棄は行きすぎだと、そのように申し上げております」
「リリー、君のためなんだぞ?君をダフネが虐めていたから今日こうやって…」
「虐められてはおりません!」
梯子を外されたアランは鳩が豆鉄砲を食ったような顔で口をぱくぱくさせている。
「ベニトアイト公爵令嬢はその、…ちゃんとした振る舞いを教えるためにあれやこれやなさったのです!私が王族の方に擦り寄って、家格も立場も弁えずに好きにしておりましたから、」
「立場なんて私は何も気にしていな、」
「王太子殿下は気になさらずとも、他が気になさるでしょう!」
リリーの言葉に群衆からたしかに、という声がちらほらと漏れ出した。
「王太子殿下がよしとなさっていたから良いけれど…」
「婚約者がいらっしゃる異性に近寄るのは褒められたことではありませんわね…」
「クォーツ嬢が平民の出だからご存知ないのかと…」
群衆は意外と辛辣である。
「ええそうですとも!分を弁えない私がこれ以上嫌われないためにベニトアイト公爵令嬢は忠告してくださったのです!こんなに淑女として相応しい方、他におりませんよ王太子殿下!」
「で、でも君はダフネに虐められて辛いと泣いていたじゃないか…」
「あれは私がダフネ様…ベニトアイト公爵令嬢の真意と愛を勘違いしていたからです。愚かなのはむしろ私、王太子殿下、虚偽の罪で私を罰してくださいませ!」
堂々と立ち、胸に手を置いて高らかに言い放つリリーの姿に全員が何も言えなくなる。この場は彼女の独壇場だった。
私の中の「ダフネ」の悲しみが驚きに変わっていくのがわかる。
「王太子殿下」
やっと絞り出した声にアランの目がこちらを向いた。先程までの怒りは何処へやら、困惑が浮き上がっているのがわかる。
「私が言えた事ではございませんが、婚約は王家と当家の取り決めでございます。破棄ということであれば私も家に持ち帰らねばなりませんし、この場で承ることはできかねますわ」
「……」
「そうです殿下、お考え直しを!」
アランもしばらく迷い、そして顔を上げる。
「…今日のところは撤回してやる。しかしお前の行いが改まらないのならその時は、覚悟するといい」
「ご厚情痛み入ります」
私はカーテシーを行う。アランはそのまま踵を返し、広間を出て行ってしまった。