剣闘大会9
騎士団に保護されてヴォルフェンに戻った後、レイはイシュガルの客室に呼ばれた。
レイは温かい紅茶を淹れてもらい、毛布もかけてもらっていた。
イシュガルは自らを落ち着けるように紅茶を一口飲んだ後、心底心配そうな様子でをレイを見つめた。
「レイ嬢。怪我などはないか?」
「大丈夫です。アジトに着いてすぐくらいに、セーラと琥珀が助けに来てくれたので、何事もなかったです」
「そうか、それなら良かった」
レイの答えを聞いて、イシュガルは、肺の中身を全て吐き切ってしまうのではないかというほどに深い溜め息を吐いた。
「会場の方は、どうなったのでしょうか?」
「レイ嬢が席を離れて少し経った後、君の使い魔が急に会場にあらわれて、少し騒ぎになったんだ。君の侍女とレヴィが取りなして、騒ぎは落ち着いたが」
「あっ……」
琥珀はキラーベンガルというAランク魔獣だ。普段は周りの人を怖がらないように、子猫サイズになってもらっている。ただ、琥珀本来のサイズは、レイの元の世界にいたライオンくらいのサイズだ──そんな生き物があらわれれば、ひと目で魔物だと大騒ぎになるだろう。
(もしかして、本来の姿で……?)
レイがチラリと膝元に目を向けると、毛布の中に子猫サイズの琥珀が潜り込んでいた。
琥珀も視線に気づいて、きょとんとレイを見上げた。何も知らない純粋そうなガラス玉のような瞳が、キラリと光る。
(うぅっ、可愛すぎて叱れない……しかも、私たちのことを助けに来てくれたんだし……)
気づけばレイは、琥珀の小さな頭をくりくりと撫でていた。
ゴロゴロゴロと、気持ちよさそうな鳴き声も膝元から聞こえてくる。
「レイ嬢の侍女と使い魔は、先に助けに行くと言って、影に潜って行ってしまった。レヴィは君の居場所を感知できるからと、我々を先導することになったんだ」
「そうだったんですね……うちの子たちがすみません……」
「いや、そのおかげで早急に君とマリアンヌ嬢を助けられた。礼を言おう」
イシュガルに真摯に見つめられ、レイは気まずく思いながらも、もごもごと「はい……」と返した。
「レイ嬢の使い魔だけでなく、侍女も優秀だ。あれほど見事な影魔術を使える者は、滅多にいないからな。良い使用人をつけてもらったな」
イシュガルが褒めると、壁際で控えていたセーラは小さくお辞儀をした。
(うぅっ、ごめんなさい。その人は影竜なんです、そもそも人ですらないんです……)
レイは内心謝り倒しながらも、口では「そうですね、優秀な侍女ですから」とにこりと相槌を打った。
「そういえば、ドラゴンスレイヤーはどうなったんですか? 人攫いの話だと、マリアンヌ様を人質に、ドラゴンスレイヤーと交換するって言ってましたけど」
「何?」
レイからの新情報に、イシュガルの表情が強張った。
「このことは、念のためゴリッツ子爵にも報告させてもらおう。奴らは他にも何か言ってなかったか?」
「えぇと、確か、私を売り飛ばすみたいなことは言ってましたけど……」
レイの答えに、イシュガルは盛大に顔をしかめた。彼の膝の上で、ぎゅっと力強く拳が握られ、微かに震えていた。
「はぁ……君が何かされる前に助けられて、本当に良かった。ゴリッツ子爵には、野盗たちに厳罰を下すように進言しておこう」
「えっ? 何もそこまでされなくても……」
「いや、君は自分の価値を分かっていない。これは正当な要求だ」
レイが驚いてイシュガルを見返せば、彼の真っ赤な瞳は、まさに炎が燃えるようだった。
「それから残念な知らせだが、ヴォルフェン観光はできなくなってしまった。まだ野盗の残党が街に紛れ込んでいるかもしれないし、ヴォルフェン騎士団もかなり警戒して見回りをしている。我々も、明日にはここをたつことになった。約束しておいて申し訳ないが……」
「それは、仕方ないですよ! 私たちがここに長居して、ゴリッツ様たちの負担を増やすわけにもいかないですしね……」
レイは、自分で口にしながらも、胸のあたりがしゅんと落ち込むような感覚を覚えた。
(あれ? もしかして私、イシュガル団長とのお出かけをかなり楽しみにしてたのかな?)
レイが内心きょとんと首を傾げていると、イシュガルはさらに言葉を続けた。
「王都に戻ってからになるとは思うが、この件についてはそのうち埋め合わせをさせて欲しい……もし、レイ嬢が良ければの話だが」
イシュガルは申し訳なさそうに、でもどこか恥じらうように尋ねてきた。
レイがチラリと見上げると、彼の耳の先には少しだけ赤みが差していた。
(あ……イシュガル団長が、ちょっと可愛いかも……)
普段は騎士として、厳格で凛々しい立ち居振る舞いをしているイシュガルの珍しい一面に、レイは小さく目を瞠った。
「はい! 私で良ければ、是非!」
レイはにっこりと微笑んで即答していた。
軽い話し合いが終わると、「今日は疲れただろう。早めにゆっくり休んでくれ」とイシュガルに気遣われ、レイは早々に部屋に返された。
(もうちょっと話してたかったかも……でも、明日は朝早いからなぁ〜)
レイは残念半分、でもどこか浮かれた足取りで、自分の部屋へと戻って行った。
***
翌朝、ゴリッツ子爵家総出でレイたちの見送りをしてくれた。
ゴリッツ子爵邸の前には、子爵家のメンバーだけでなく、主だった使用人やヴォルフェン騎士団の騎士たちもズラリと集まり、壮大な見送りになっていた。
「メーヴィス殿。この度は大事な愛娘を助けていただき、心から感謝する。メーヴィス殿に助けられるのは、これで二度目ですな」
普段は強面でほとんど表情が変わらないゲアハルトが、柔らかく目を細めた。威厳のある低く太い声には、いつもよりもあたたかみがあった。
「私も、お友達を助けたかっただけですから」
レイもにっこりと微笑み返した。
レイとしては、友人のために自分にできることをしたまでだった。ただ当たり前のことをした感覚だった。
「レイ様、本当にありがとうございました。それに、またいらしてください……いいえ、今度は私の方から会いに行きますわ!」
「おっと」
ゲアハルトを押し除けるように、マリアンヌがレイの手をとった。
マリアンヌは、昨日までの憂うような表情はすっかり晴れ、花がパッと開くような愛らしい笑顔をレイに向けていた。
(マリアンヌ様、元気になられて良かった……!)
「はい! マリアンヌ様が王都にいらしたら、いろいろな所に行きましょうね!」
レイもきゅっと彼女の手を握り返して、満面の笑みで約束した。
イシュガルのエスコートで、レイは馬車に乗った。
レイが馬車の窓からそっと覗くと、マリアンヌは元気そうに大きく手を振っていた。他にも、深く感謝するように頭を下げる者、敬礼する者などさまざまだが、それぞれが心を込めて見送ってくれているのが、レイには伝わってきた。
「本当に良い見送りだったな」
「はい……」
イシュガルにさりげなく言われ、レイは目尻をそっと指先でなぞりながら、小さく頷いた。ちょっぴり感動したからか、喉が震えて少し声が掠れてしまっていた。
こうして、レイたちを乗せて、馬車は軽快にヴォルフェンの街を去って行った。
***
「お父様、決めましたわ! 私、結婚相手には、魔術師を選びますわ!」
レイたちの馬車が見えなくなった後、マリアンヌはくるりとゲアハルトの方に向き直って宣言した。
どこかスッキリとした表情で、明るく澄んだ水色の瞳には、決意を灯したような力強さがあった。
ゲアハルトは、一瞬、何を言われたのか理解できずにきょとんと固まったが、すぐに野太い驚愕の声をあげた。
「なっ、なんだって!? 魔術師では筋肉が足りないし、強い魔物の多いこの地で、お前を守り切れないだろう!?」
「あら? 今回攫われた時に、私の安全を確保してくださったのは、レイ様よ? 私の周りに結界魔術を張って、野盗たちが手出しできないように守ってくださったのよ? これが騎士だったら、私も乱闘に巻き込まれてましたわ!」
「うっ、ううむ……そう言われてしまえば、そういうことになるな……」
マリアンヌに事実を突きつけられ、ゲアハルトは言い返し切れずに言葉を詰まらせた。
「だから、私は素敵なお婿さんを探しに、しばらく王都に行きますわ! 王都にはレイ様もいらっしゃるし、楽しみだわ!」
「そ、そんな……マリアンヌゥ~~~、お前は一人娘なんだぞ~~~」
愛娘の晴々とした決断に、ゲアハルトはガックリと大きな肩を落とし、涙を飲んだのだった。
ドラゴンスレイヤーのシュピーゲルが、ゴリッツ子爵家の血筋から主人を選ぶのは、次の世代のこととなる──




