魔動絵本2
「いや〜旅行なんていつぶりかな。出張で行ったりはするけど、休暇を使っての旅ってやっぱいいよね。今回は案内役もいるし、期待してるよ」
「……はい……」
フェリクスの嬉しそうな様子に対し、アイザックは未だかつてない程しょげている。
ユグドラの管理者会議は、とんでもないカードを切ってきた——ジョーカーである。
フェリクスに、レイがユークラスト地方に行くから一緒に旅行に行ってはどうか、と提案したのだ。案内役にアイザックも付けると。
もちろん、フェリクスは二つ返事で承諾した。
フェリクスはアイザックに会って早々、
「レイの摘み食いはダメだからね」
とにこやかに命令してきた。
先代魔王から命令されたのだ。
アイザックも魔物である。
先代とはいえ魔王の命令は絶対だ。
今回の任務でレイと近づきたい、あわよくばレイの魔力を摘み食いしたかったアイザックの目論見は外れた。
せめてもの抵抗で、アイザックは自身の目立つ髪色を、レイと同じ黒髪に変身させた。
フェリクスはそれを見てピクリと片眉を動かしたが、何も言わなかった。
どうやらこのぐらいならまだ許されるようだった。
今回の旅行(任務)メンバーは、フェリクス、アイザック、レイ、レヴィ、琥珀が参加する。
琥珀については、レイが影魔術で道を繋いでおいて、いつでもレイの元に来れるようにしておいた。
往きはアイザックの転移魔術で、ユークラスト地方の最大都市アルカダッドへ向かうことになっている。
本家本元と行く! ユークラスト巡りの旅だ。
ネタバレは必須である。
***
ユークラスト地方は特定の国ではなく、数カ国をまたぐユークラスト川の沿岸地域を指す。豊かな水源に恵まれ、古くから文明が栄えてきた土地だ。
水源が豊かということは、反面、水害も多い。
四百年ほど前より「ユークラストの水災」と呼ばれる巨大なサーペントがこの地域を牛耳っており、度々洪水を起こしては人々に多大な影響を与えてきた。
洪水は街も人々も押し流してきたが、下流域には肥沃な大地が広がり、現在では大穀倉地帯を形成している。
ここ百年ほどはユークラストの水災は目撃されておらず、現地住民の間では「英雄が倒してくれた」ということになっている。
そのため、この地域限定でユークラストの水災と英雄をモチーフにした劇が上演されており、観光客たちは、一度はその劇を観るのが定番の観光コースとなっている。
今ではユークラストの水災や英雄に因んだグッズも多数お土産物として取り揃えられている——この地域の住民たちは商魂逞しいのだ。
***
「今回はフェリクス様もいるし、アルカダッドに宿を取ったよ。観光もしつつ、二日目からは現地の協力者と連絡を取って情報収集かな」
各国の主要都市には、ユグドラへの協力者がいる。情報提供の代わりに金銭やユグドラの品を融通しているのだ。
ユークラスト地方の第一の都市アルカダッドは、グレーの石造りの街並みが美しい、大河ユークラスト沿いの都市だ。
建物の各所には、平和と繁栄を祈る繊細な幾何学模様が描かれていることが多い。
早速、レイたち四人はグランバザールに来ていた。
アルカダッドには、グランバザールと呼ばれる屋根付きの市場がある。
ユークラスト地方らしいカラフルな幾何学模様が天井に描かれた建物内には、千を超える店があり、世界一の規模を誇る市場となっている。
ユークラスト地方は大陸中央部に位置していることもあり、東と西の交易路でもあるため、ここで見つからない物は無いと言われる程の品揃えを誇っている。
「ここは広大すぎて一日で周りきれないんだよね。交渉好きや話し好きな店主も多いから、結構一つのお店を見るだけでも時間かかるし。迷子にならないようにレイ、手を繋ご「僕が繋ぐから大丈夫だよ」」
フェリクスが食い気味にアイザックの説明を遮ると、サッとレイと片手を繋いでしまった。
「案内は頼んだよ」
フェリクスがにっこりとお願いすると、アイザックは、はい……としょんぼり呟いた。
グランバザール内には絨毯、アクセサリー、革製品、食器類、魔道具、家具、工芸品、アンティーク品、土産物などありとあらゆるお店があった。
店舗一つ一つは小さめなものが多いが、品物がこれでもかと置かれており、壁上部にまで侵食している。
さまざまな文化圏から品物が集められているせいか、店舗ごとにガラッと雰囲気が変わり、そのごちゃついた感じが、それはそれでグランバザールらしくて、逆にわくわくと人々の心をくすぐる。
「わぁ! 人もお店もいっぱいです!」
「あまり離れてはダメだよ」
レイが目を輝かせてあちこち見ていると、フェリクスがぎゅっと優しくレイの手を引いた。
グランバザールには人間だけでなく、エルフやドワーフなどの亜人や妖精が多く行き交っている。中には人型の精霊までもいた。
人型の魔物も多そうだ。さりげなくフェリクスやアイザックに目線で会釈をしたり、道を譲ってくれたりしている。
(義父さんやアイザックが上位魔物だと分かるような者は、上位ランクの魔物が多いんだっけ……)
レイはフェリクスに、特にそのような者には注意するように言われている。ユグドラなら殺生は御法度だが、外ではそんなルールは無いからだ。まだまだ修行中のレイが相手をするには荷が重い者たちだ。
土産物屋を見て回った後、四人はグランバザール内のレストランでランチをとることになった。
アイザックが選んだお店はバザールでも老舗の店だった。
店内の壁の高い位置から天井にかけてカラフルな幾何学模様が描かれていて、天井からはユークラスト地方特有の、丸みを帯びたランプが吊り下がっている。
独特のエスニックな雰囲気と、老舗の落ち着いた雰囲気が共存している素敵な店だ。
人気メニューは「ユークラストの水災プレート」だ。
「これをお供えしたらしばらく洪水が起きなかったことから、ユークラストの水災の好物と思われる」とメニューに説明書きがあった。
羊肉を甘辛い特製のタレに漬け込んでローストしたものをメインに、バターピラフ、トマトサラダ、豆と挽肉のスパイシーな煮物を副菜にしてワンプレートにまとめたものだ。レンズ豆のスープがセットで付いている。
「アイザックはこれが好きなんですか?」
「好きでも嫌いでもないかな。僕がちょうど、友人の所に遊びに行ってた時にお供えに来たみたいなんだ。そんなお供え物見てないし、部下たちが食べたんじゃないかな」
「ユークラスト料理がワンプレートでまとまってるし、いいセットだよね」
「そうなんですよ。ユークラストが初めての旅行者にはちょうどいいから、ここに連れてくるようにしてるんです」
さすがのアイザックも、先代魔王には慣れない敬語を使っている。
「ユークラストには来たことはありますが、私はここの料理を食べたことがなかったので嬉しいです」
アイザックは聖剣もご飯を食べられるのかと、不思議なものを見る目でレヴィを見つめている。
いつも一緒にいるレイは慣れたものだ。
聖剣のレヴィはご飯を食べなくても大丈夫なのだが、せっかく人型になれたので、「人生」というものを楽しもうと考えている。もちろん、人間がするような食事も彼の楽しみの一つだ。
昼食後は、アルカダッド内の劇場で観劇だ。
アルカダッドの劇場はグレーの石造りの荘厳な建物だが、中に入れば、エントランスの吹き抜けから、ドーム状の天井にびっしりとカラフルで繊細な幾何学模様が描かれていているのが見渡せて、圧巻の一言だ。
「わぁ……」
「レイ、口が開きっぱなしだよ」
天井を見上げて口をぽかんと開けているレイに、フェリクスが微笑んで、ちょんっとほっぺたを突いた。
「だって、すごく綺麗なんです! ずっと見てられます!」
「アルカダッドの劇場の天井画は特にすごいからね」
キラキラと目を輝かせているレイを見て、「連れて来て良かったよ」とアイザックも微笑んだ。
円形のメインホールに入れば、一階席には百五十席ほどあり、二階席もあるようだ。
アイザックが席を予約してくれていたようで、四人は二階席に向かった。
演目はこの地方特有のもので、ユークラストの水災と呼ばれた魔物についての話だ。
話は何パターンかあるが、大抵はユークラストの水災がまず洪水を起こし、英雄がそれを倒したり交渉したりして平和を取り戻すものが多い。
今回の劇は恋愛ものだ。英雄が討伐に向かい、無事に討伐成功し、ヒロインと結ばれるのだ。
今回の劇の役者たちはアルカダッドでも人気の演技派らしく、レイはぐいぐいと劇に引き込まれていった。
感動のクライマックスの前、アイザックが内緒話をする様に隣のレイの耳元にこっそり口を寄せてきた。
「これは僕が図書館に勤めようかどうか迷ってる時に討伐に来た奴らの話で、一度は追い払ったんだ。僕がその後すぐに図書館に就職を決めて、ユグドラに引っ越した後に、再度討伐に来たみたいなんだ。僕がいなくなったことをいいことに、『俺が討伐した!』って吹聴してたって部下たちが言ってた」
隣の席からとんでもない英雄譚のネタバレが飛び出してきた。
元々ネタバレはあまり好かないレイだったが、この世界に来て「教会が信仰してるのは先代魔王」など、とんでもないネタバレに触れ、もはや楽しんだ方が精神衛生上いいのでは、と振り切れ始めていた。
だが、コレはない。
(せめて物語は物語として楽しませて欲しい……)
レイは少しだけ眉根を寄せた。
「とりあえず、この話の英雄とやらには、百日間毎晩洪水に巻き込まれる悪夢を見せといたけど」
(……後日談は吝かではないかも)
レイは少しだけ隣に聞き耳を立てた。
「あと、英雄は二股がバレて、このヒロインとはケンカ別れしてるよ。浮気相手も遊びだったみたいで、そっちにもフラれて英雄は別の人と結婚してた」
(……英雄よ……)
無事に討伐から戻って来た英雄にヒロインが熱い抱擁をする、という感動のクライマックスシーンには、レイは別の涙が出てきた。
観劇後、劇場前の売店にもせっかくなので四人は立ち寄った。この売店にはユークラストの水災と英雄劇のグッズがたくさん置かれていた。
アイザックは早速、護符のようなものを手に取って見ていた。護符には魔物避け効果のある魔術陣が描かれている。
商品名を見ると「ユークラストの護符」というものらしい。
この護符を英雄が使ってユークラストの水災を騙し、知恵で平和を勝ち取るタイプの劇もある。ちなみに魔物避け効果付きなので、低級魔物にはガチで効く。
熱心に護符を眺めているアイザックに、店員のおばさんが近付いて行った。
「おばさん、これ人気なの?」
「この護符でエイヤー! とユークラストの水災を足止めしたんだって! 知恵の英雄劇の後は飛ぶように売れるよ! そこら辺の魔物にだって結構効くんだから!」
店員のおばさんはにこにこと自慢げに商品説明をしてくれた。
なお、ユークラストの水災本人には効いていない模様だ。
結局、アイザックは十枚護符を購入していた。
「お土産ですか?」
「一応、低級魔物には効くみたいだから、僕が後で魔術を重ねがけしてレイに渡すね。レイから離れるつもりはないけど、念のためにね」
レイが小首を傾げて尋ねると、思いがけない返答が返ってきた。
「ありがとうございます」
「当たり前だよ。将来の僕のお嫁さんに何かあったら大変だからね」
ふわっとサファイアブルー色の目を緩めてアイザックがレイを見つめてきた。
アイザックは元々冷たい感じの端正な顔立ちをしている。見慣れない柔らかい表情にレイは少しだけドキッとした。
そこへ、ポンッとアイザックの肩に手を置く者がいた。
「アイザック、後で話があるよ」
にこりとしているが、目が笑っていないフェリクスだった。
アイザックは石のようにピシリと固まってしまった。




