護衛任務6〜王領へ〜(イシュガル視点)
テオがブレイザー侯爵家の客室に転移して来た時、俺は久しぶりに会ったレイ嬢に釘付けになった。
しばらく見ない間に少し大人びた顔立ちになっていて、幼かった雰囲気は、成長期特有の子供と大人の間の危うく揺らいだ雰囲気になっていた。思わずドキリと胸が鳴った。
普段の真っ黒な黒の塔の制服姿ではなく、町娘らしい格好をしているためか、転移魔術の光で神々しく輝く彼女は、いつもよりも優しげで可愛らしく見えた。
親しげに彼女と手を繋ぐテオを少し羨ましく感じたし、転移して来た時の二人のやりとりはどこか初々しく、胸のあたりがもやっとした。
当代剣聖の可能性がある彼女がテオの伴侶となれば、テオが王位に就くための良い地盤固めになる。そう考えると、これでいいはずなのだが──
テオは派手で奇妙な三角帽子をかぶり、見慣れないメガネをかけていた。
テオの方に目をやった瞬間、なぜだか気まずく感じて思わず視線を逸らしてしまった──やはり、俺はテオとレイ嬢との仲を心からは祝福できないのだろうか……
ライデッカーがすぐに、テオのちぐはぐな服装について、テオとレイ嬢に詰め寄っていった。
俺も確かにテオの服装について気にはなったが、それ以上に、先ほどの自分の感情の動きの方が気になってしまい、変に表情に出さないよう必死だった。
テオが領主との会食に出るために準備を始めると、レイ嬢がテオに何か白い物を渡していた。──深紅の糸で刺繍が入ったハンカチだった。
刺繍入りのハンカチは贈り物の定番だが、貴族令嬢が異性に贈る場合は、気になる相手や仲良くしたい相手に贈ることが多い。
ハンカチ自体も質の良いシルクで、刺繍糸の深紅色はテオの髪や瞳の色だ。意匠も火竜を模したもので、完全にテオを意識したものだった。
こんな場所で渡すということは何かの牽制かとも疑ったが、テオは特に嬉しがる様子もなく普通に受け取っていた。
俺が預かっていたテオのジャケットのポケットに、早速ハンカチを入れられたが……俺は何となくそのハンカチを視界に入れないようにした。見ても、自分の中にある嫌な感情が吹き出しそうで、仕事中でもあるし、心の平安のためにもそちらの方は見ないようにした。
レイ嬢がテオの影武者のミラーを連れて転移して行った後、テオから現状確認があった。
「第三王子一行」は、これまでの道中で二回ほど襲撃に遭った。
一回目は、道に迷った商人のふりをした者たちだった。
初めは影武者が乗っている馬車の周りを固めていた護衛の王国騎士が対応していたが、ライデッカーが「何かおかしい」と発言した瞬間、急に豹変して襲いかかってきた。
二回目は、小規模な魔物の群れだった。こちらは最初から戦闘となった。
魔物たちは、高ランクの雷竜であるライデッカーが威圧しても、全く恐れずに影武者の馬車に突っ込んでいった。そこそこ魔物の数が多かったため、騎士が討ち漏らした小型魔物を、テオに変化したミラーが狩っていたが、彼は始終不快そうな表情をしていた。
ミラーに後になって話を聞けば、「魔物の匂いがおかしい」「精霊の影響を強く受けている」「精霊の影響を受けている割には、どこか歪だ」と感想を漏らしていた。──これにはライデッカーも酷く頷いていた。
「精霊か……彼女があの帽子を推したのも、あながち間違いではなかったのかもな……」
テオが不意に着替えの手を止めて、呟いた。
……まさか、テオがかぶっていたあの派手な帽子に、何か特殊な効果が付与されていたのか?
俺が確認しようと口を開きかけると、部屋の扉がノックされた──どうやら、会食の準備が整ったようだった。
***
「テオドール殿下、ご無沙汰しております。我が領へようこそおいでくださいました」
「ブレイザー侯爵も、息災そうで何よりだ」
会食の会場に着くと、ブレイザー領の領主であるファビアン・ブレイザー侯爵が笑顔で歓迎してくれた。
テオも朗らかに返す。
ブレイザー侯爵は長い銀髪をまとめ、口髭を蓄えた壮年の男性だ。紫色の瞳は微笑んではいるが、どこか抜け目なくテオや俺たちを見つめていた。
軽く挨拶を済ませた後、俺たちは会食の席に案内された。
食堂の大テーブルには真っ白なクロスが敷かれ、一輪挿しには、聖鳳教会を彷彿とさせるような白と青の小さく可憐な花が添えられていた。
食前酒で乾杯した後は、ブレイザー領の特産品が入った前菜が運ばれて来た。
白身魚のフライを玉ねぎやにんじん、セロリなどの野菜と一緒に酢でマリネしたエスカベシュの他、ムール貝にガーリックとチーズを乗せたオーブン焼きが出された。
細切りのバケットには、賽の目にカットされたトマトとチーズ、そしてアンチョビのペーストが添えられている。
どれも色鮮やかで食欲をそそり、王都ではあまり見かけない海鮮料理に舌鼓を打った。
ブレイザー侯爵は明快で気の良い御仁ではあるが、一方で抜け目がなく、かなりやり手の印象だ。
まずは軽い世間話が続いた。
メインディッシュがほぼ終わりかけた頃、ブレイザー侯爵が新たに話題を振ってきた。
「そういえば、今年は黒の塔に優秀な魔術師が入ったそうですね」
ブレイザー侯爵は、悠然とテオの方を見つめて言った。
「ああ、レイ・メーヴィス嬢だな。仕事熱心で助かっている」
テオもにこやかに受け答えする。
「噂によると、殿下の御身を守れるほどの結界魔術の使い手とか。魔術師団でも結界魔術の使い手はおりますが、咄嗟に結界を張って守れる魔術師はなかなかいない──かなり優秀な証拠ですね。それに、メーヴィス姓ということは、フェリクス・メーヴィス大司教の縁者でしょうか?」
ブレイザー侯爵が、探りを入れるように尋ねてきた。
「ああ、大司教が養父だとは聞いている」
テオが顔色も変えず、だが注意深く返答した。
「いやぁ~、うちの息子どもは聖剣バカと魔術バカでしてね。全く女っ気が無くて、困ったものですよ。魔力量は多いので、長生きするとは思いますし、すぐに婚約者を決める必要もないのですがね……親としては、いつまでもフラフラしてないで、落ち着いてもらいたいものですよ。メーヴィス嬢は優秀なようですし、教会関係者ということであれば、いろいろと共通の話題もありましょう。是非とも彼女とは話してみたいですね」
ブレイザー侯爵がにこやかな笑顔を顔に貼り付けて、朗々と語った。
……ん? ブレイザー侯爵は、レイ嬢を彼の子息たちの婚約者候補にと考えているのか?
彼女の魔術の腕前であれば、おそらくイリアス・ブレイザー魔術師団長の眼鏡には適うだろう。
それに、彼女は普段は剣を振らないが、相当な腕前だ。ゲイル・ブレイザー聖騎士も気に入る可能性がある。
さらにブレイザー侯爵家は教会派の貴族で、侯爵自身も聖鳳教会の上級神官だったはず。レイ嬢が大司教の親族ということであれば、ブレイザー侯爵家の教会内での立場も盤石になって、そちら側にもメリットがある。
……確かに、優秀なレイ嬢がブレイザー侯爵家に嫁げば、次代は安泰だな。
「ぐっ……」
ライデッカーが急に食事を詰まらせ、軽く胸を叩いた。水の入ったグラスを引っ掴むと、グビグビとあおるように飲み干す。
「おや? ライデッカー卿、大丈夫ですか?」
「……ええ、少し詰まらせたもので……大丈夫です」
ブレイザー侯爵に訊かれ、ライデッカーは苦笑して答えた。
テオとライデッカーが、何やらチラチラと視線を送り合っていた。二人の間には、いつも以上に真剣な空気が流れていた。
ブレイザー領は一部が海に面していて、今宵のディナーも豊かな海産物メインのこってりしすぎないメニューだ。だが、俺はなぜか胸の辺りが少しムカムカしてきていた。
ブレイザー侯爵は、それ以上は特に切り込んでくる様子もなく、またすぐに別の話題を振っていた──とりあえずは様子見といったところなのか……
会食が終わり、客室に戻ったテオは少々顔色が悪かった。
テオは「寿命が縮む思いだ。むしろ、私の婚約者候補に親類を紹介された方がマシだ……」と小さくもごもごと呟き、片手で額と目元を隠して、非常に疲れた様子でソファにぐったりと背を預けていた。
ライデッカーも、テオの隣で山のようにうずくまって丸まり、「侯爵は、何も知らないからあんなことが言えるんだ……」と、何やら悲壮感たっぷりにブツブツと唱えていた。
テオは、レイ嬢のことはかなり気遣っているようだ。それが部下としてなのか、女性としてなのかまではハッキリとは分からない。
彼女の方もまだ若く、今の段階ではこれで良いのかもしれない。
レイ嬢は、黒の塔に入って叙爵された一代限りの魔術伯爵だ。デビュタントもまだのはずだったから、社交界ではほとんど顔を知られていない。だが、彼女の後ろ盾が教会の大司教で、本人も優秀な魔術師だと知れれば、かなりの貴族家が興味を持つだろう。
レイ嬢はやや控えめな性格ではあるが、黒の塔所属という割には奇抜なところが無く、優しく気立ても良い──見合いの話が殺到する未来しか見えないな……
会食のワインにでも悪酔いしたのか、こめかみのあたりがズキズキしてきた。二本の指で押さえ込むように揉む。
ふと、黒曜石のような涼やかな目元の少女が思い浮かんだ。黒髪黒目はドラゴニアでは珍しく、神秘的な雰囲気さえある。
彼女は一体、誰の元にいくのだろうか──




