護衛任務4〜王領へ〜
四人は到着した街で宿を取った。
煉瓦積みの素朴な宿屋で、一階には食堂が、二階には宿泊者用の小さな部屋がいくつもある。
女性のレイは一人部屋を取り、他の三人は相部屋になった。
荷物を部屋に置くと、早速食堂に集合した。
一階の食堂は、五、六人が座れるカウンター席と、テーブル席がいくつかあり、宿泊客以外もここで食事が取れるようだった。
夕飯時のためか、食堂は冒険者や街の住民らしき人々で、ほぼ満杯になっていた。
「「「「乾杯!」」」」
テオドールたちはエールで、レイはお茶で乾杯した。
注文した日替わり定食は、キャベツと豆と豚肉の煮物をメインに、マッシュポテトとパンが付いている。
ほこほこと湯気をあげた料理が、すぐに次々とテーブルに運ばれてきた。
一通り料理が運ばれてくると、宿の女亭主が静々とテオドールたちのテーブルまでやって来た。
「あら、高貴な方々。我が宿にようこそお越しくださいました。狭い宿ではございますが、ごゆるりとお寛ぎくださいな」
若葉色の髪をシニヨンに束ねた女亭主が、ワンピースのスカートを小さく摘み上げ、ゆったりと微笑んで丁寧に挨拶をした。目鼻立ちのハッキリした、綺麗な女性だ。
「ああ、ゆっくり休ませてもらうよ」
レックスが軽く手をあげて返事を返し、テオドールも無言で小さく頷いた。
女亭主は、食堂のカウンターの方に下がって行くと、他の従業員たちに「あのテーブルの方々には粗相のないように」と注意していた。
「羽落とし、だな。妖精の匂いが混じってる」
エールをぐびっとあおった後、レックスがぼそりと呟いた。
レイが「羽落とし?」と小首を傾げると、レックスが「妖精の混血児だな。妖精は混血すると、羽が無くなる」と簡単に説明した。
「やはり、その帽子の効果でしょうか」
ヴィムが、ごくりと喉を鳴らした。ずり落ちた丸メガネをクイッと直し、テオドールがかぶっている三角帽子に目をやる。
「貴重な物だとは分かってはいたが、まさかこのような効果もあるとは」
テオドールはエールが入ったグラスを両手で包み込み、困惑まじりに微笑んだ。
「ああいった風に挨拶に来る奴は増えるかもしれないが、そういう手合いは基本的に害は成さない。こちらを恐れているからな。それに、変に突っかかってくる奴も減るはずだ。もし突っかかってくるとしたら……」
レックスはぴくりと耳を動かすと、不意に後ろを振り向いた。
「よお、兄ちゃん。随分いい帽子かぶってんな。金持ってんだろ? 俺たちにも奢ってくれよ」
冒険者らしき男たちが話しかけてきた。三人とも剣やナイフを腰から下げ、腕も太く、身体もしっかり厚みがあって体格がいい。
彼らの頬には赤みがさしており、吐く息はすっかり酒の匂いを帯びていた。
ヴィムとレイは一気に気色ばんだ。じろりと男たちを睨みあげる。
レックスは小物としか思っていないのか、呆れたように男たちを見つめていた。
「ちょっと! あんたたち!」
女亭主が血相を変えて、慌ててテーブルまで駆けつけた。
「リリーナ、こんなへなちょこ野郎の肩を持つのかよ?」
黒ヒゲを生やした男が、ずいっと女亭主リリーナとテオドールたちがいるテーブルの間に割って入った。
「なっ!」
彼の発言に、リリーナの顔色はますます青ざめた。
「奢りか……ああ、構わない。ただし、腕相撲で私に勝てたならな」
テオドールが静かに言った。よく通る澄んだ声は、騒がしい食堂の中でも良く響いた。
「ハンッ。そんな細腕でよく言うぜ」
「リリーナ、見ててくれ! 俺の腕っぷしを!」
「ゲヘヘ。それじゃあ、是非とも奢ってもらおうかな〜」
男たちは、テオドールを上から下まで舐めるように見ると、ゲハゲハと下品な笑い声をあげた。
テオドールは男性にしては細身で、顔立ちは繊細に整っている。さらに今は魔術師のローブを羽織っているのだ──完全に舐めてかかっているのだろう。
「それでは、私が勝ったらここの食事代は君たちに持ってもらおうか」
テオドールは余裕たっぷりに微笑んだ。
気を利かせた食堂の酔客たちは、いつの間にか、腕相撲用の空きテーブルをすぐ隣にまで運び込んでいた。
テオドールが腕相撲の席に移動すると、突っかかってきた男の一人も大きく腕を回し、意気揚々と反対側の席に着いた。
互いにテーブルに肘を突くと、そろりと手を差し出す。
「いいぞー!」
「やれー!!」
他の客たちもテーブルの周りを囲んで、野次を飛ばし、口笛を鳴らした。すっかり酔っ払っているようで、どの顔も赤く上気してできあがっていた。
「それじゃあ、俺が合図するぜ」
野次馬の一人が審判役を買ってでた。テオドールと冒険者の男が手を組み睨み合うと、「始め!」と叫んだ。
ダンッ!
ダンッ!!
ダダンッ!!!
「まぁ……」
リリーナは目を瞠って、両手で口元を覆った。
テオドールは開始の合図と共に、容赦無く男たちの腕をテーブルに叩き付けた。床やテーブルの上には、腕を押さえた敗者たちがごろごろと転がっていた。
野次馬たちからは、「おおー!」「すげぇ!」など歓声が飛んだ。
「チクショウ!!」
「こんなのありえねぇ!!」
「もう一戦だ!!」
負けた男たちは、テーブルを乱暴に蹴り上げ、涼しい顔で彼らを眺めていたテオドールに掴み掛かろうとした。
「あんたたちっ! これ以上騒ぎを起こすなら出禁にするよ!!」
リリーナは顔を真っ赤にして怒鳴った。彼女の足元の床から植物のつるが生え、三人の冒険者たちに巻きつくと、宿の外に勢いよく放り出した。
「ぎゃっ!!?」
「ぶっ!!!」
男たちは、宿屋の外の地面にごろんごろんと芋虫のように転がった。
「そんな〜、リリーナぁ〜!!」
黒ヒゲの男が地面にうずくまって、泣き言を叫んだ。
「ふんっ! もう二度と来ないでおくれ!!」
リリーナは宿の扉をバタンッと勢いよく閉じた。
「テオ、すごいですね!」
レイは、テーブルに戻って来たテオドールに声をかけた。
「このくらいは問題ない」
テオドールも席に着くと、どこか嬉しそうに柔らかく微笑んで返す。
「……これが竜の力……」
ヴィムは食事も忘れて、興味深そうにテオドールを見ていた。
「ほぉ〜」
レックスは食事をしながら、物珍しそうにテオドールを見ていた。
「今の私はノームだからな」
「はっ! そうでした!」
テオドールがやんわりと伝えると、ヴィムはハッとなっていた。
「さっきのが全力……というわけではなさそうだな。まだ半分も出していない感じか?」
「そうだな。昔から力は強い方だった」
レックスが気軽に尋ねると、テオドールも柔らかく相槌を打った。
(所長、今日はなんだかいつもより生き生きしてるかも)
レイは、リラックスして食事や会話を楽しむテオドールを、微笑ましく眺めていた。
***
夕食後、レイは自分の部屋に戻るとすぐに防音結界を張った。
ブーツを脱いでベッドの上にあがり込んで座ると、空間収納から通信の魔道具を引っ張り出した。
魔道具に魔力を流し込んで、待つこと数分──
『……レイ? どうしたの? 久しぶりだね。元気だった?』
魔道具から、優しく気遣う声が流れてきた。
「ルーファス! 久しぶりです! 私は元気ですよ! それで、大変なことが起こったんですよ!!」
レイは本物のルーファスと繋がった安心感から、思わず涙目になった。
魔道具に向かって勢いよく話しかける。
『えっ? 大変なことって、何があったの?』
「光竜王様が、ルーファスの代わりに来たんです!!」
『えぇっ!? 僕の代わり!??』
次の瞬間、大きな手が魔道具に伸び、ブツッと通信が途切れた。
「!!?」
レイが急に横から出てきた手の主を見上げると、レックスが冷たく見下ろしていた。
「……お前。誰が連絡を取っていいと言った?」
「……」
(なんで光竜王様がここに!? 私、扉に鍵かけたよね!?)
レイはびっくりしすぎて、何も言葉が出なかった。ハクハクと口を動かす。
レックスの手の上にある通信の魔道具が、激しく明滅した。おそらくルーファスからの折り返しの連絡だろう。
「……出ないんですか?」
「出るわけないだろう」
レイとレックスは、じっと睨み合った。
「ルーファスに怪しまれますよ」
「チッ」
レックスは舌打ちすると、魔道具に魔力を流して応答した。
「ルーファス、こっちはなんでもないぞ」
『なんでそこに兄さんがいるのかな?』
静かだが、確実に怒気をはらんだ声が返ってきた。
「い゛っ!? ……いやぁ〜、たまたま、たまたまだ!」
ビクリと、レックスの肩が大きく跳ね上がった。焦りの表情がじわじわと浮かんでくる。
(普段優しくて怒らない人ほど、本気で怒った時が怖いアレだ……)
レイも横でルーファスの声を聞いていて、思わずぷるぷると小刻みに震えた。
『兄さん、答えになってないよ。兄さんは僕の代わりに今レイのそばにいるんでしょ? どういうことか、最初から話してもらえるよね?』
「……!!!」
ルーファスの丁寧だがやけ凄みのある声音に、レックスはぶるりと大きく身震いした。いたずらがバレて叱られそうな子供のように、すっかり怯えた表情になっていた。
「光竜王様が、ルーファス宛ての冒険者ギルドからの依頼の手紙を盗んで、勝手について来たんです!」
「あっ! おまっ!」
レイがすかさず横から密告すると、レックスは声を跳ね上げた。
『兄さん!』
「はい……」
すぐにルーファスに嗜められて、レックスはしおしおと返事を返した。
『ふぅん。僕が教会の仕事をしている間に、兄さんはレイと一緒に依頼をこなしてるんだ。僕が行きたかったのに……』
「だっ、だが、この時期は夏の祭儀で忙しいだろう!?」
『そうだけどね、でも、一言ぐらいあっても良かったんじゃないの?』
「ゔっ……」
レックスは酸っぱい物を無理やり飲み込んだような、くしゃくしゃの顔になっていた。
(ルーファスが確実に追い詰めてく……)
レイはぽかんと、ルーファスのレックスへの見事な詰め寄りっぷりを眺めていた。
『僕はまだしばらく祭儀で離れられないからな……仕方ない。兄さん、ちゃんとレイを守るんだよ?』
「いやぁ〜、護衛対象がまた別にいてだな……」
『兄さん? レイは僕が加護をあげた大事な子なんだよ? 僕の代わりに兄さんがそこにいるってことは、もちろん役目を果たしてくれるんだよね?』
レックスはネチネチとルーファスに詰められ、八つ当たり気味にキッとレイを睨み付けた。
レイはいきなり睨まれて、むっと頬を膨らませた。
『もちろん、レイをいじめたりしないよね?』
ルーファスの一際低〜い声が、通信の魔道具を通して部屋の中に落ちた。
「ハイッ! もちろんでゴザイマス!」
まるでこの場を見透かしているかのようなルーファスの発言に、レックスは顔を青ざめさせて即答した。ピシッと背筋を正す。
『祭儀が終わったら、僕も向かうから。レイ、兄さんにされたことは全部僕に話してね』
「……分かりました」
レックスから涙目で睨まれていたが、レイはこくりと頷いた。
ルーファスとの通信が終わると、レックスは「弟が、怖い……」との呟きを残して、しょんぼりと部屋を出て行った。




