ルカの部屋
『やった! 森だ!』
精霊馬のルカは、嬉しそうに尻尾の根元を立ち上げ、子馬のようにぴょんぴょんと跳ね回った。
純白の大きな体に、透明度の高い海のようなアクアマリン色の鬣や尾は、日の光を浴びて白波のような銀色に輝いていた。
森の中を駆ける足取りはたくましく、見た目はもう立派な大人の精霊馬だ。
レイは、ユグドラの森の空気を思いっきり吸い込んだ。
深い森の清々しい香りに、春特有の新芽の香りが入り混じる。
ユグドラの森は他とは違い、たくさんの玉型の精霊や妖精魔術の残滓が淡い光を放って森の中に溢れ、ふわふわと浮かんでは春風に揺らめいていた——ここは他の森よりも、ぐっと魔力の濃度が濃いのだ。
小鳥たちはパートナーを探すように、独特な鳴き声を奏でて森の中を飛び回っている。
茂みから飛び出して来たのは、今年生まれたばかりの子鹿を連れてた鹿の親子だ。レイたちの姿に驚いて、慌てて元来た茂みへと戻って行く。
下草には、白や黄色や青色の名も知らぬ小さな花々が咲いていた。
「ルカがやっと訓練を終えたんだ」
ニールが目を細めて、森の中を風のように駆け抜けるルカを眺めていた。
今日は仕事が無いためか、シンプルなシャツにスプリングコートを羽織っていた。
「結構、時間がかかるんですね」
レイもニールの隣に立ち、しみじみと相槌を打った。
レイは今日は久々に、リリスの形見分けでもらった森織りのローブを羽織っていた。
ここ一年でかなり背が伸びたため、お手伝いエルフのシェリーに袖や裾の丈を直してもらったものだ。
「ああ。立派な軍馬に育てるには、いろいろ訓練が必要だからな」
「軍馬!!?」
ニールの言葉に、レイはびっくりしすぎて大声をあげた。
てっきり、ルカはただ人を乗せて運ぶための乗馬の訓練をしているものだと、思い込んでいたのだ。
「ルカも初めは怖がっていたがな、今ではいっぱしの軍馬だ。ためらわずに歩兵も潰せるし、角で敵兵も吹き飛ばせる。いざという時には、レイを守りながら拠点に戻れるようにも訓練してある」
満足のいく仕上がりなのだろう、ニールがやけにいい笑顔で教えてくれた。
「えぇええっ!? 一体何を訓練したんですか!!? 私、そんな危ないことをお願いしてませんよね!!?」
レイは全く想定外のことを言われ、度肝を抜かれた。
(敵兵を潰すって……そりゃあ、怖がるでしょう……)
レイは呆然としつつ、爽やかに森の中を駆け抜けるルカを目で追った。
『大丈夫! 僕がレイを守るよ!』
ルカがレイのそばに駆け寄って来ると、キリリと念話で伝えてきた。
そして、甘えるように鼻づらをレイの方に差し出す。
「もう……。教えちゃったものは仕方ないですけど、私はルカにそんな危ないことをさせる気はさらさらないですよ」
レイはむすっと頬を膨らませながらも、ルカの鼻づらをよしよしと撫でた。
たとえ軍馬になったとしても、さらに体が大きくなったとしても、「カワイイは正義」なのである。
「そういえば、ルカも影魔術が使えるようになったな。レイの影を伝って、移動できるようになったんだ」
ニールがさらりと追加情報を伝えた。
「じゃあ、ルカはもうユグドラの森で仲間と一緒に暮らしても大丈夫ですか?」
「そうだな。それから、ルカにもユグドラ内に部屋を与えたらどうだ? ユグドラの樹のレイの部屋は、まだ拡張できるんだろう?」
「もちろん、できますよ」
レイが答えると、
『やった! 僕の部屋!!』
話を聞いていたルカは、はしゃいで一際高く跳ね上がると、また森の中を駆け出した。
「あ、そういえば、常春の里でいいものをもらって来たんです。せっかくだから、ルカの部屋には、それを植えましょうか」
レイは「ふふふっ」と嬉しそうに微笑んだ。
「……いいものを、植える……?」
ニールはきょとんと不思議そうに、色鮮やかな黄金眼を瞬かせた。
***
ニールとレイは、ルカを精霊馬の群れの元へ戻すと、ユグドラの樹へと戻って来た。
ユグドラの樹内にあるレイの部屋に入ると、二人は、レヴィやニールの部屋にも通じている廊下に出た。
廊下の突き当たりまで歩いて行くと、レイは両手のひらを壁に押し当てた。
その隣では、ニールが彼女の様子をじっと見守っていた。
「ルカが走り回れるように、広い部屋がいいですよね」
レイは目を閉じると、ドーム状の空間をイメージした。一緒に魔力も壁に流し込んでいく。
(床はいろいろ植えられるように、土がいいかな。窓は、たっぷり日が差し込むように天井にも。あと、水飲み場も欲しいかも)
レイは理想のルカの部屋をイメージして、さらに魔力を流し込んでいった。
「そろそろいいだろう」
「ふぅ〜」
ニールの一言で、レイは壁から手を離して目を開いた。思わず、やり切った溜め息を溢す。
レイは、いつの間にか壁にできていたドアノブに手をかけると、扉を開いた。
扉の向こう側には、だだっ広い空間が広がっていた——ルカが思いっきり駆け回るのに十分な広さだ。
床には全面に土が敷かれていて、天井はほとんどがガラスで覆われていてキラキラと春の日が差し込んでいる。
奥の一部にだけは、大きな半円状の窪みがあった。
「……本当に、空間だけだな……」
ニールも部屋に入ってくると、周囲を見回してぽつりと呟いた。
「これからですよ! いろいろ植えたいものがあるんです!」
レイは腕まくりすると、空間収納から次々と苗木や草花の種を取り出した。
「これは?」
ニールが、とある苗木に興味を持った。物珍しそうに、苗木に咲いている花に手を伸ばす。
「桜です。常春の里でもらってきたんです。ティターニアに尋ねたら、ドラゴニア王国では常春の里にしか自生していないと言われました」
レイが嬉々として答えた。
少々育ってはいるが、桜の苗木だ。レイよりも少し背の高い枝には、可憐な一重咲きの薄紅色の花が咲いている。
「ほぉ。それにしても、こんな大量に……?」
ニールは、ずらりと並んだ桜の苗木に目を細めた。
「この桜が育ったら、お花見がしたいんです! 一本だけだと物足りないので、数本もらおうとしたら、ティターニアがおまけでたくさんつけてくれました。グリムフォレストを救ってくれたお礼だそうです」
レイがにっこりと笑った。
初めはほんの数本でもあれば、花見をするのに十分だと考えていた。
しかし、想定外に二十本近く桜の苗木をもらえたため、この部屋の一部を桜の木で埋め尽くそうと考えたのだ。
(まさかこっちの世界でお花見ができるなんて!)
レイは、ユグドラのみんなで花見をすることを想像して、わくわくと胸を踊らせた。
「それで、これはどこら辺に植えるんだ?」
ニールもシャツの袖を捲り、まるで小さな植木鉢を持つかのように軽々と苗木を持ち上げた。
涼しげな表情で尋ねてくる。
「わぁ、力持ちです!」
「? このぐらいは竜なら問題ない」
「じゃあ、あっちの方に植えましょうか」
レイは、部屋の一角を指差した。
ニールはもう片方の手にも桜の苗木を持つと、運び始めた。
レイは、桜を植える場所に足取りも軽く向かった。
「あれ? もう穴が空いてます」
レイは、床にぼこぼこと空いている穴を見つけて驚いた。
しゃがみ込んで穴を観察していると、後からやって来たニールが確認してきた。
「どうした? ここに植えればいいのか?」
「……そうですね」
(ユグドラの方で気を利かせてくれたのかな?)
レイは不思議に思いながらも、こくりと頷いた。
穴は、桜の苗木の本数分あった。
ニールが穴の真ん中に苗木を据えると、レイが地魔術で土をかけていった。
草花の種も、適当に良さそうな場所にパラパラと撒く。
「レイ、こっちの穴はどうするんだ?」
ニールが部屋の奥の方で、手招きをした。
レイが駆け寄ると、そこには広さ三メートルほどの窪地があった。
レイは空間収納から水色の小石を取り出すと、窪地にポイッと投げ入れた。
小石は窪地の真ん中ら辺の土にポスッと軽く埋まると、そこからポコポコと透明な水が湧き出してきた。
「……レイ、これは?」
ニールがピシリと表情を固めて、レイの方へぎこちなく振り向いた。
「自分で紡いだ水の魔石です。以前、義父さんにプレゼントした時に、こういうことにも使えるよって教わったんです」
レイは中腰になって窪地を眺めた。
透明な水で窪地がどんどん満たされていく様子に感激して、「おぉっ」と声を漏らす。
「……はぁ。レイは本当に物の価値がよく分かってないな。これは聖泉だ。ちなみに、さっき放り投げた魔石は、国宝級の値段が付く」
ニールは呆れたように自らの黒髪をくしゃりとかきあげ、ぼうっと窪地が聖水で満たされていく様を眺めていた。
窪地が満杯になると、自然と聖水の湧きが止まった。
聖水は、天井からの日差しを反射してキラキラと輝いていた。
「ルカが出入りしやすいように、影で繋いでおこう」
ニールは、泉の近くの地面に手を置いた。
小さく呪文を唱えると、その場に大きな魔術陣の光が現れ、そして消えていった。
「これで、ルカだけでなく、他の精霊馬も影魔術が使えればここに出入りできるだろう」
「ニール、ありがとうございます!」
レイは、ニールを見上げてにっこりと微笑んだ。
ニールは少しだけ気恥ずかしそうに、レイの頭の上にポンッと手を載せた。
『やった! 僕の部屋だ!』
ルカはぴょこんと跳ねると、勢いよく駆け出した。
ルカの後を、群れの子馬たちも元気よく走っていく。
まだ下草は生えていないため、彼らが駆け抜けた場所では土埃がもうもうと舞っている。
部屋の準備ができた後、レイが念話でルカを呼んだのだ。
ニールが敷いた魔術陣を通ってやって来たのは、ルカと群れの一部の精霊馬たちだった。
大人の精霊馬たちは、この場所が安全かどうか観察するように、おそるおそる部屋の中を探索していた。彼らもここが安全だと分かると、聖水の泉に足をつけたり、水を飲んだりしていた。
「……まさか、こんな庭園のような部屋を作ってしまうとはな……」
ニールは、呆れ半分感心半分に溢した。
桜の木が生え、聖泉が湧く部屋の中を、ぐるりと見回す。
「まだまだですよ! 下草が生えたら、サハリア王国で買ってきた絨毯とクッションを敷いて、みんなでお花見がしたいんです! その時はニールも一緒ですよ!」
レイはキラリと瞳を輝かせて、ニールを見上げた。
はしゃぐ主の様子に、ニールは目尻に皺を寄せて柔らかく微笑んだ。
「そうだな。その時は是非招待してもらおう」
ニールはレイの頭の上に、愛おしげにぽんっと手を置いた。




