氷竜の代替り7
氷竜は、竜種の中でも特に美しい種類の一つだと言われている。
彫刻のように均整の取れたしなやかな姿をしていて、鱗は氷の棘のように全身を鋭く覆っている。氷のように冷たく透き通った鱗は、日の光に当たると、虹色の輝きを浮かび上がらせるという。
ミシミシと割れる流氷のような威嚇音は、氷竜独特の鳴き方で、静かに恐怖を誘う。
先ほどの氷竜の咆哮に触発されたのか、空を覆い尽くす黒雲の合間には、いくつもの稲光が走っていた。
氷山島の周辺の空には、ミシミシと、厚い氷がぶつかり合いひび割れるような不気味な音が鳴り響いていた。
「レイ、これは氷竜の威嚇音だ。これを聞いたら、すぐに逃げなさい。氷竜は水竜と同じで、普段は穏やかだけど、一度怒ると手がつけられなくなるからね」
半壊した長の家の屋根の上にのぼり、ニールはレイに丁寧にレクチャーをしていた。
「……はい。でもそれって、今じゃないですか? 逃げなくていいんですか?」
レイはニールにしがみつきつつ、不安げに彼を見上げた。
「今は俺がレイを守るから大丈夫だよ。後学のためにね、説明しただけだよ」
ニールがにっこりといい笑顔で言い切った。
「ニール、俺は行くぞ!」
「ええ、お願いします」
ガロンが応接室からニールたちを見上げて叫んだ。
ニールも一つ頷く。
「ガロン!」
「俺たちも行くぞ!」
コリーとチャドも武器を携え、勇ましく声をかけた。
「いや、二人はここで待っててくれ。あの状態の爺さんはヤバい。俺も庇いながらは戦えない」
ガロンは仲間を説得すると、一人、長の家から飛び出した。
里の物見櫓のてっぺんに駆け上ると、空飛ぶヴェイセルがいる方向を睨み、一瞬で転移した。
「爺さん、言い残すことはあるか?」
『グルッ、グルルル……』
雪原のように真っ白な雪が降り積もった湖の氷の上で、ガロンは巨大な氷竜と化したヴェイセルを睨み上げた。
***
「おお、すげぇ……」
ライデッカーも屋根の上にのぼり、早速、氷竜ヴェイセルと火竜王ガロンの戦いの見学を始めた。
どかっと胡座をかき、オレンジ色の三白眼を細めてじっと観戦している。
ヴェイセルが幾百もの氷の刃を降らせれば、ガロンは軽々と身を翻して避け、大剣を振り回して叩き落とす。
そして、ヴェイセルへ向けて夥しい火魔術を返す。
ガロンの初級魔術ファイアアローは、ただのファイアアローではなかった。
炎の矢というよりも、高温になりすぎてほぼ光の槍となっていた。
それを、ヴェイセルは氷の吹雪のようなブレスで打ち消す。
氷竜の里では、あちこちの家から人型の氷竜たちが外に出て来ていた。繰り広げられるヴェイセルとガロンの戦いを、固唾を飲んで見守っていた。
「あなたも行ってもいいのですよ?」
ニールも屋根の上に座り、レイが外気で冷えないように自分の前に座らせて、抱き込んでいた。
空間収納からウールのブランケットを取り出すとレイを包み込み、さらには温かい紅茶が入った水筒も彼女に手渡した——至れり尽くせりである。
「いえ、俺では邪魔になるので、大人しくしてます」
ライデッカーは、ニールの過保護っぷりを横目に見て若干引きつつ、丁重に辞退した。
ニールたちの後ろでは、コリーとチャドが拳を固く握り、ガロンの無事を祈るように竜たちの戦いに見入っていた。
レヴィは、レイの隣で大人しくちょこんと体育座りをして観戦していた。
「こんなに激しい竜同士の戦いを、じっくり見たのは初めてです。今までのご主人様たちなら、竜たちに見つからないうちに逃げ出してましたから」
「うん、そうだね」
レヴィが謎の観点から感心して感想を口にすると、レイはとりあえず相槌を打った。
(レヴィがなんだか嬉しそうなんだけど……歴代の剣聖様たちもほとんどが人間だもんね。竜の争いに巻き込まれそうになったら、そりゃあ逃げるよね…………あれ? ニールが震えてる?)
レイはふと、自分を抱え込む腕が微かに震えているのに気づいた。
「えいっ」
レイはゴスッと自分の後頭部を、ニールの顎先にぶつけた。
ニールは驚いてレイを見たが、それ以上に、そんな様子を見てしまったライデッカーが何か言いたげな驚愕の表情で彼女を見つめていた。
「ニール、寒いですか?」
レイは身を捩ると、じっとニールを見上げた。
「…………いや、大丈夫だよ」
ニールは一瞬何を訊かれたのか分からなかったようで目を丸くして固まっていたが、より深くレイを抱き込んだ。
(ニールはもしかして……)
レイは何も言わずに、ぎゅっとニールの腕を強く抱きしめた。
***
「爺さん、これで寝ぼけてんのか、それともボケすぎて訳も分かんなくなってんのか……どちらにしろ、堪ったもんじゃねぇな」
ガロンが眉根を寄せ、吐き捨てるように言った。
氷竜湖はヴェイセルとガロンの攻撃の影響で、すでに厚い氷には数え切れないほどの亀裂が走り、氷の柱がいたる所に突き刺さっていた——まともな足場など、ほとんどなくなっていた。
ヴェイセルが一際魔力をため始めた。彼の大きな竜の口に眩い青白い光が集まる。
「チッ、ヤバいな」
ガロンは、ヴェイセルの口が向いている方向に気を取られた——氷竜の里がある方角だ。
一瞬、ガロンは魔力を練るのが遅れた。
『グララララッ!!!』
ヴェイセルが特大の氷のブレスを吐いた。無数の氷の刃が、まるで猛吹雪のようにヴェイセルの口から吹き付けられる。
ガロンを狙ったものだったが、込めた魔力の威力が強すぎて、ヴェイセルの首が圧に耐えきれずに上方に跳ねる。
「ファイアーウォール!!」
一拍遅れて、ガロンが巨大な炎の壁を打ち立てた。
ヴェイセルのブレスのほとんどは防げたが、打ち漏らした氷の刃が彗星の如く氷竜の里へ飛んでいく。
「マズい!!!」
ガロンは、氷竜の里の方を勢いよく振り返った。
氷竜の里は急に真っ黒な影に覆われ、そこへ吸い込まれるようにヴェイセルのブレスが消えていった。
「……ニールか。奴がいて良かった……」
ガロンは安堵の息を吐いた。
その時、ヴェイセルは割れんばかりに目を瞠って、氷竜の里の方を見つめていた。
その視線の先には、ヴェイセルとガロンの戦いを見届けるニールがいた。
ニールは、レイを守るように彼女の前に立ち、警戒するようにヴェイセルたちの方を睨んでいた。
ヴェイセルの瞳から、ぽろりと大粒の涙が一筋こぼれ落ちた。
『……ああ、セヴェリ。我が孫よ……お前がいるなら、氷竜の里は安泰じゃな。ワシも安心して逝ける』
ヴェイセルの呟きに、ガロンは表情を翳らせた。
「……ああ、そうだな、爺さん。もう、おやすみ」
ガロンは特大の炎の竜巻を放った。
炎の渦はヴェイセルを一思いに包み込み、春の雪解けのようにあっという間に彼を溶かしていった。
炎の竜巻は、ヴェイセルを溶かしてもなお数分間、空を焦がし続けた。
氷竜の里からは、氷竜たちの弔うようなか細い遠吠えが、いくつも聞こえてきた。




