グリムフォレスト10
ハムレットは、すぐさまレスタリア領主バルトルトに面会の申し入れをすると、彼の執務室に押しかけた。
「突然、申し訳ありません。お時間をいただきありがとうございます」
執務室に入ると、ハムレットが挨拶をした。
「いえ、どうかされました、ラングフォード魔術伯爵? まさか、アルマが何かご迷惑を?」
バルトルトは、ハムレットに応接スペースの席を勧めた。
ハムレットも椅子に腰かけると、すらりと長い脚を組んだ。
彼の後ろには、軍服風の黒の塔の制服を着たオリヴァーが、騎士らしくすっくと立った。
アルマとは一旦離れているため、彼女はちょうどこの場には出席していなかった。
「いえ、そうではないのです。実は、私たちと一緒にシルルベルクに来ていた者が、妖精のいたずらに遭いましてね。どうやら、領主館の裏手にある塔の最上階に閉じ込められてしまったようなのです。ですから、彼女を塔から出していただけないかと」
ハムレットが説明すると、一気にバルトルトの顔色が失せた。わなわなと微かに口元が震えているようだ。
「裏の塔には凶悪犯を幽閉しているのです。そして、あそこには特殊な魔術式が施されています。すぐにはお連れの方を出すことは難しいかと……」
バルトルトは、顔色も悪いまま語った。
「それでは、いつなら可能ですか?」
ハムレットは、どこか有無を言わさぬ笑みを浮かべて質問した。
「そ、それは……魔術式の解除がありますし、誤って凶悪犯が出ないように対策する必要があります。特殊な魔術式ですので、少々、いやかなりお時間がかかりま……ッ?!」
バルトルトはそこまで伝えると、声を詰まらせた。息苦しそうに胸元を押さえて俯き、顔色も真っ白になっている。
「そんなことは聞いていませんよ、レスタリア卿。私はただ、迷い込んでしまった彼女だけを、できるだけ早急に解放していただければいいのです。何もその凶悪犯とやらを出せとは一言も言っていませんよ?」
ハムレットがバルトルトを冷ややかに見下ろした。
領主の執務室内には、非常に重たく湿ったハムレットの魔力が充満し、窓ガラスには一瞬にしてびっしりと結露が現れた。
妖精騎士であるオリヴァーも、水竜王の魔力圧に、辛そうに顔を顰めた。
「……ラングフォード魔術伯爵、このままでは彼が水になってしまいます」
オリヴァーは、ハムレットに小声で進言した。
「おっと。それはまずいね。水になるとしても、まずはレイを解放してもらわないと」
ハムレットは、スッと魔力圧を抑えた。大袈裟に肩をすくめて「私としたことが、うっかりしていたよ」と悪びれることもなく語った。
バルトルトは、ハムレットの酷薄な表情を見て、額に青筋を立てた。一気に激昂して怒鳴り声をあげる。
「そんなことを言って、本当はあの牢から妖精ごと奴を解放する気だろう!!? そうだ、そうでもなければ、こんなこと……!!」
「…………そういえば、レスタリア卿は水竜王様に無礼を働いたままでしたね。ああ、そう、塔の最上階に放り込まれてしまった彼女も、水竜王様の相当なお気に入りでしてね。彼女のためなら、多少の武力行使も構わないと、かの方より許可をいただいてます」
ハムレットは、色鮮やかな黄金眼をスッと眇めて、鋭くバルトルトを見つめた。
バルトルトはハムレットの威圧で言葉途中に胸が詰まって息ができなくなり、苦悶の表情を浮かべて、酸素を求める魚のようにハクハクと口を動かした。
「早急に彼女を解放してもらいますよ。それまでは、シルルベルクの街は人質になってもらいます」
ハムレットが冷ややかに告げた。
その瞬間、ドンッ!!! と大きな音がシルルベルクの街中に鳴り響いた。ビリビリと窓ガラスが振動し、結露した水も弾け飛んだ。
窓の外には天にも届く激しい水の竜巻が、シルルベルクの街を蛇行して巡るフェルタバ川沿いに、いくつも聳り立っていた。
水の竜巻は周囲の物を巻き込みながらゆるゆると動き、少しずつ家々が立ち並ぶ市街区へと近づいていた。
「……そんな横暴な!! たかが小娘一人のために街を……!? ラングフォード魔術伯爵、この借りは必ず返していただきますよ!!!」
バルトルトは突然の水の竜巻に、ヨロヨロと窓際に駆け寄ると、驚愕の表情で空を見上げた。
次に、ハムレットを振り返って、恨みの念を込めて睨み付ける。
「そもそも水竜王様の機嫌を損ねたあなたが悪い」
ハムレットはバルトルトを一瞥だけすると、凍てつくような声音で言い捨てた。さっさと執務室のドアから出て行く。
オリヴァーも渋い表情のまま、ハムレットの後に続いた。
執務室のドアが閉まると、「チクショウ!!」という怒鳴り声と共に、何かが乱暴に叩かれたようなドゴッという音が中から聞こえてきた。
「……ラングフォード魔術伯爵、さすがにこれは……」
オリヴァーはそこまで言うと、口を閉ざした。
振り返ったハムレットは、全く温度の感じられない笑みを浮かべていた。
「これは水竜王様の許可を得てやっていることだからね。……それとも、何か……?」
「いえ、過ぎたことを失礼しました」
オリヴァーが謝ると、ハムレットは「そう」と軽く呟いた——どうやら、見逃してくれるらしい。
「さて。攫われたお姫様は、王子様が助けに行かないとね」
ハムレットが凍てつくような凄みのある笑顔で、うっそりと微笑んだ。
前に向き直って、どこかイラついた足取りで歩き出す。
「…………」
賢明なオリヴァーは、「その表情は、決して王子様のそれではないですよ」とは口にせず、ハムレットの後について歩き出した。
二人は無言のまま、足早に目的地へと向かって行った。
***
「なっ!?」
「……わぁ……」
領主館裏手にある塔の最上階では、一つしかない小さな窓に、その場にいた全員がぎゅうぎゅうと顔を寄せ合い、外を眺めていた。
窓の外では、暗雲垂れ込める空に向かって、いくつもの水の竜巻がゴーゴーと唸りをあげて立ち上がっていた。
川沿いにある木々や岩、渡し船などを巻き込み、空へ空へと放り出している。
(これって、やっぱり水竜王様の仕業かな……)
レイは遠い目をした。
誰かが水竜王ハムレットの怒りに触れたのだ。
水竜は普段は温厚だが、一度キレると手がつけられなくなる。そして、その力の強大さゆえ、誰にも止められないのだ。
レイはただ心の中で合掌するしかなかった。これはもはや自然災害の域だった。
「……これではこの街は終わりだ……早く住民たちを避難させなければ……」
ヨハンが震える両拳をきつく握りしめ、わなわなと震える声で呟いた。
一気に部屋の扉まで駆け寄ると、ドンドンッと力の限り拳で扉を叩き、喉も裂けよとばかりに怒声を張りあげた。
「ここを開けろっ! 住民を避難させるんだ!! 早くしないと手遅れになる!!!」
ヨハンの怒声と、扉を激しく叩く音だけが、塔の中で虚しく反響していた。
「手、怪我しちゃうよ」
「ヨハン、手伝う?」
「僕たちの助け、必要?」
妖精たちが心配そうに、ヨハンの周りに集まって来た。不安げに彼を見上げて、声をかける。
「ヨハンさん、ここを出ましょう。ここにいたら私たちも危ないですし、それに住民の方を避難させるなら、少しでも人手が必要ですよね?」
「そうだよ!」
「僕たちも手伝うよ!」
「妖精はいっぱいいるから、百万力だよ!」
レイがヨハンの側に寄って説得を始めると、妖精たちも励ますように言った。
「……そうだな、今はなりふり構ってられないな……」
ヨハンはがっくりと肩を落とすと、力なく頷いた。
「それでは、転移魔術で塔の外に出るので、私の周りに集まってください」
レイが静かに言った。みんなを集めるように手招きする。
「転移が使えるの!?」
「すごいノームだね!」
「立派な帽子どおりだ!」
小さな妖精たちは、レイの肩の上に乗ると、尊敬するようにキラキラと瞳を輝かせて、彼女を見上げた。
「あはは、まぁね……」
(本当はノームじゃないんだけど……)
レイは誤魔化し笑いをした。
「よろしく、頼む」
ヨハンは、がっしりと力強くレイの腕を取ると、真っ直ぐに彼女を見つめて言った。
「分かりました」
レイはヨハンを安心させるように、にっこり微笑むと、魔力を練り始めた。




