グリムフォレスト2
「わぁ、素敵な街ですね」
レイは白い息を吐きながら、感嘆の声を漏らした。
オリヴァーとレイは、ハムレットの転移魔術で、レスタリア領の領都シルルベルクに降り立った。
レスタリア領は、ドラゴニア王国の北東部に位置している。
領都シルルベルクは、白壁とオレンジ色の屋根で統一された街並みがとてもかわいらしく、どこを切り取っても一枚の絵画のような美しさと特有の雰囲気があった。
そこに薄く、真っ白な雪が降り積もっていた——まさに、お伽話の世界に迷い込んだかのようだ。
古城を再利用したという領主館を中心に、同心円状に街が形成され、シルルベルク内を蛇行するようにぐるりとフェルタバ川が巡っている。
ただ、今のフェルタバ川では、川の中心部にだけ細やかな水の流れがあり、それも冬の寒さで厚い氷が張っていた。水が引いてしまった川岸には、打ち捨てられたように横たわっている積荷船が、白い雪で寂しく覆われていた。
「ここからは馬車で領主館に向かいます。黒の塔の方で手配済みだそうです」
オリヴァーが淡々と告げた。勝手知ったる、といった感じでシルルベルクの街を先導して歩き出し、街の出入り口付近にある貸し馬車屋へと向かう。
オリヴァーとレイは、黒の塔の魔術師の制服を着ていた。
真っ黒なケープ型のコートを羽織り、レイはリリスの形見でもらった赤いチェックのマフラーと魔術師のグローブを合わせていた。
コートのポケットには、以前フェリクスからもらったカイロが入っている。
オリヴァーはがっしりと筋肉質で厚みのある体格だということもあるが、キリリと背筋を伸ばして歩く姿は、軍人にしか見えなかった。
一方で、ハムレットは塔の魔術師ではないため、私服のコート姿だ。柔らかいブラウン色のコートは、ハムレットをより優しげで柔和な雰囲気に見せていた。貴族らしい整った顔立ちに、上等な服装をしているためか、まるで軍人二人を護衛として従えているように周囲からは見えた。
貸し馬車屋で黒の塔の書状を見せて馬車を借りると、三人は用意されていた黒塗りの馬車に乗り込んだ。
ハムレットが卒なくエスコートし、レイに手を貸して馬車に乗せる。
「レイは、レスタリア領は初めてなんだっけ?」
馬車がガタゴトと音を立てて出発すると、ハムレットが尋ねた。
窓辺に優雅に肘を突き、正面に座るレイを柔らかく見つめる。
「そうですね。レスタリア領も、グリムフォレストも初めてです」
レイはしかりと相槌を打った。
「それなら、この地のことを話しておこう。身を守るために役立つことだ」
オリヴァーが、ハムレットの隣の席から口を挟んだ。
「レスタリア領の大部分はグリムフォレストという深い森林に覆われている。そこには元々、古くから力の強い妖精が棲みついていたんだ。それを、ドラゴニア王国の初代国王が遠征してレスタリアの地を王国に取り込んだ際に、一緒にグリムフォレストも併合してしまったんだ」
オリヴァーが低く落ち着いた声で、この地の歴史を話し始めた。
「……だから、グリムフォレストの妖精たちは、人間が嫌いなんですね。でも、初代国王様は、確か火竜なんですよね? 妖精たちは竜のことも嫌いだったりは……?」
(水竜王様は違う竜族だから大丈夫なのかな……? グリムフォレストの偉い方から直接話を訊かれるぐらいだし……)
レイは慮るように、チラリとハムレットの方を見た。
ハムレットは涼しげな表情で、オリヴァーとレイの会話に耳を傾けていた。
「初代国王は、元々はグリムフォレストを併合する気は無かったらしい。妖精の地には、妖精独自のルールがある。他種族が気安く手を伸ばして良いものでない。だが、部下の人間たちが暴走して、グリムフォレストに攻め込んでしまった」
オリヴァーが淡々と答えた。
「そうだったんですね……」
レイは同じ人間として何だか申し訳ない気がして、眉を下げて相槌を打った。
「レイ、ゾーイは別に竜族は嫌ってはいないよ。最終的に部下たちの暴挙をおさめて、グリムフォレストの妖精たちに自治を認めたのは初代国王だったからね。賠償代わりに、グリムフォレスト内で人間が入れる境界線を明確に決めたのも、彼だよ。他にもいろいろ事情があって、結果的にグリムフォレストはドラゴニア王国の支配下に収まることになったらしいよ」
ハムレットが、優しく説明してくれた。
「グリムフォレストの妖精は、竜族のことは特に何とも思っていないが、人間は違う。古くからこの地では森の恵みを巡って、人間と妖精の対立があるんだ。君が不用意に境界線を越えてグリムフォレスト内に足を踏み入れれば、相応の罰を受けることになる……たとえティターニアの客人だとしてでもだ」
オリヴァーの言葉に、レイはゾクリと背筋に寒気が走った。無意識に自分自身を守るように、体を縮こめるように、組んだ腕にギュッと力を込める。
「だから、グリムフォレスト内では、決して俺から離れないことだ。案内人無しでは、人間は無事に妖精自治区にたどり着くことはできない」
オリヴァーがじっと真っ直ぐにレイの瞳を覗き込んできた。念を押すような、とても力強い視線だった。
「分かりました。……あの、オリヴァーさんが案内人だということは……」
レイは軽く頷いた後に、少し躊躇いがちに尋ねた。
「そうだ、俺は妖精だ。他言しないでくれるか?」
「分かりました」
レイは、オリヴァーを安心させるよう真摯に頷いた。
その時、馬車の速度がゆっくりになり、遂にピタリと止まった。
コンコンッと、御者側の馬車の壁がノックされる。
「そろそろ着きますよ」
御者の一声で、レイは窓の外に目を向けた。
馬車が再度ゆったりと動き出し、ちょうど城門を通り抜けたところだった。
薄く雪が降り積もった庭園の先には、馬車の屋根に隠れて全貌は分からないが、見上げる程に立派な古城が見えた。
レイたちが乗る馬車は、領主館の敷地内をゆっくりと進んで行った。




