水竜王祭3
「ごめんね、レディ。君とはまた後で遊んであげるよ」
ハムレットは切なそうに琥珀を見つめて、そう伝えた。
琥珀は水の檻に入れられ、シャーシャーと威嚇の声をあげていた。ガリガリと爪で水の檻を引っ掻いてはいるが、水がゆらゆらと揺らめいて元の形状に戻ってしまうため、抜け出せないようだ。
「さて、レイ。君の答えを聞こうか。私と付き合ってくれるかな?」
ハムレットは、レイの背後にある神殿の壁に大きな手を置くと、真摯に彼女の目を見つめて尋ねた——いわゆる壁ドンだ。
ハムレットの貴族のように繊細に整った美貌には、恋のときめきと期待から、頬にふわりと薔薇色が差していた。魔物の王特有の黄金眼も、瞳の中の星々が恋するようにキラキラと輝いている。
ただ、ハムレットの甘い微笑みとレイの緊張して強張った表情から、二人の間にはちぐはぐな空気が漂っていた。
「……ちょっと服を乾かしてもいいですか?」
レイはぷるりと震えて、自分の身を守るように両腕で抱きしめた。もちろん、ただ寒いからだけではない。
(……相手は水竜王様だ。下手に答えたらまずい。慎重にならないと……)
「はい」と答えてはいけない、とはいえ相手のランク的にも「いいえ」と否定するのも、逆上される可能性があるので危うい。
「私としたことが……女の子に寒い思いをさせてしまったね。はい、これでどうかな?」
「……ありがとうございます」
ハムレットは目を丸くすると、瞬時にレイの服を水魔術で水分を飛ばして乾かした。
レイもひとまずお礼を口にする。
「こんなに澄んだ水魔力の子は初めてだよ。アイザックはやめて、私にしない?」
「……申し出はありがたいのですが、私には決めかねますので……」
「おや? 君のご両親に訊かないとダメかな? ……それともアイザックのことが気になる?」
ハムレットがさらに迫ろうとしたその時——
「ハムレット、俺の主人を困らせないでくれるか?」
「!?」
ハムレットの目の前で、レイがしゅるりと真っ黒い影に覆われ、一瞬にして消えてしまった。
「……ニール。まだ口説いてる最中なんだ。水を差さないでくれる?」
ハムレットが後ろを振り返ると、そこにはレイを片腕で抱えたニールがいた。
ニールはキリッとしたスーツ姿で、凛とそこに立っていた。レイをハムレットから奪い返したばかりのため、魔術で彼の足元の影が長く伸びてたなびいていた。
「!? ニール!!」
レイはがばりと、ニールに抱きついた。ぎゅっと抱きつくと、ニールは温かくて、レイの胸の辺りにほっと安心感が広がった。
「……レイは君のものなの?」
ハムレットが少し羨ましそうにニールを見つめて、尋ねた。
「いえ。ですが、まずはフェリクス様にお伺いを立てないと」
「……フェリクス様のものなの?」
「親子契約があるからね」
「……はぁ……こんなに理想的な魔力の子なんて、初めてだったのに。フェリクス様が相手なら、私は聖灰にされてしまうよ」
ハムレットは両手で顔を覆い、よよと膝から崩れ落ちた。
「……ハムレットが何かの術にかかってる……?」
ニールが目を眇めて、ハムレットをまじまじと見つめた。魔力を目に込めて、魔術を読み解こうとしているようだ。
「えっ!? ハムレットが!? そんなことってあるの!?」
アイザックも棒立ちしながらびっくりしていた。
水竜王ほどランクの高い魔物であれば、余程の魔術でなければかかったりしないものだ。
「ふむ。これのことかもしれないね」
ニールはレイを抱き上げ直すと、その柔らかな頬にキスをした。
パチンッと小さな音を立てて、レイにかけられていた「モテる祝福」が弾け飛んだ。
「……あぁ。頭がだんだん冴えてきたよ。私はターニャの祝福に当てられていたようだね。レイがあまりにもかわいかったから、余計にかかりやすくなっていたのかもしれないね……次はちゃんと手順を踏んで口説くよ……」
ハムレットは肩から息を吐くと、正気を取り戻すように頭を軽く振った。
(……それでも口説くんだ。おそるべき女好き……)
レイはぷるりと震えて、さらにニールにしがみついた。
ニールも宥めるように、レイの背中を優しく撫でていた。
***
「琥珀! 良かった! もう大丈夫だよ!」
「グルル……」
レイは、ハムレットに琥珀を水の檻から出してもらい、ぎゅっと抱きしめた。
琥珀も心配していたようで、ザリザリと一生懸命にレイの頬を舐めた。
「全く! 水の王が妖精の祝福に翻弄されるだなんて、聞いてて呆れるよ! 友人の僕に『命令』まで使っちゃうし!」
アイザックは、ハムレットに水の王の命令を解いてもらい、速攻で抗議していた。
「すまない、アイザック。でも、元からあんなにかわいい子なのに、祝福まで付いてしまったら、本当に耐えられると思うかい?」
「む……それは同感」
ハムレットの言葉に、アイザックは一瞬冷静になって頷いた。
水の魔物たちは、友人同士やはり何かが似通っているようだ。
「ああ、そうだ。俺の主人を困らせてくれたお礼に、影の世界では使い魔たちは差し止めさせてもらうよ。しばらく女性断ちをすればいい」
ニールは、にっこりと笑顔を貼り付けて、ハムレットに伝えた。
使い魔は主人の手紙を運ぶ時に、影の世界の道を使う。外の世界とは違って外敵に襲われることが少なく、より安全に手紙を運べるからだ。
影の王から差し止めされるということは、使い魔が影の世界の道を使おうとすると、拘束されてしまうということだ——つまり、相手に手紙が届かなくなるのだ。
「そんな! 彼女たちとの手紙のやり取りが私の心の潤いなのに!」
ハムレットは悲壮感たっぷりに叫んだ。
「ラングフォード伯爵もお喜びになるでしょう」
ニールは無情にも、ただただ艶麗に微笑んだ。
「そんなぁ……」
ハムレットは両手を床について、がっくりと項垂れた。
「レーイー! 無事ですかー?」
その時レヴィは、元のバルコニーに戻ることもできず、中庭から、ただひたすらにレイに呼びかけていた。
***
「黒の塔への推薦状は、後で私の方から王宮に提出しておくよ。それから、私と契約しない? レイなら、私の主人になってもいいよ。君に従えられるなら、悪くない」
ハムレットがキラキラしい笑顔を浮かべ、レイの手を握った。
「推薦状はありがとうございます。でも、魔術契約はお断りします」
レイはキッパリとお礼とお断りを入れた。
その横から、アイザックが無言でハムレットの手をはたき落としていた。
「酷いじゃないか、アイザック」
「ハムレット、君、レイに何をしたか覚えてないの?」
「……そうだね。魔術契約も、きちんと手順を踏んで口説くよ」
「諦めないんだね……」
「君にだけは言われたくないかな」
ハムレットとアイザックは、軽口をたたきあっていた。
「レイ。これが水魔物だよ。じっとりと諦めが悪いのが特徴だ」
「よ〜〜〜く、分かりました」
ニールに耳元で囁かれ、レイはふんすっと息を吐いて、力強く頷いた。
(水竜王様もアイザックも、根っこは同じ気がする……)
一途なアイザックも、女好きなハムレットも、結局、大元の部分は同じものを持っていると直感したレイだった。
「そうだ、ニール。うちの領に厄介事を押し付けてきたところがあるんだけど……」
ハムレットが、ニールの方を振り返って話し始めた。
「レスタリアとウォーグラフトのことかな?」
ニールも相槌を打って、話の先を促す。
「知ってたの?」
「情報は耳にしてるよ。今は魔物商材関係で大きく動いてるからね」
「それなら話が早いね。レスタリアの雨をウォーグラフトで降らそうと思うんだ」
「そうすると、レスタリアは水不足になるな。水の魔道具を買い取ろうか?」
「うん、お願い。水竜王祭前の魔物の駆除で、結構お金をかけたからね」
「ウォーグラフトも、早めに武器防具を買い上げて別のところに移動させないと」
「そこはごめんね。あと、水竜の水クリームで相談なんだけど……」
ニールとハムレットが商談に入ると、アイザックがレイのところに寄って来た。
「レイ、アクアブリッジに屋台が出てると思うから、行く? もうハムレットの心配もいらないし、せっかくだからかわいい格好して行こうよ!」
アイザックが、こっそりと誘った。
「「屋台ご飯!」」
レイとレヴィの嬉しそうな声が重なった。
「なんでレヴィもそこで食い付くのさ!?」
「レイの護衛ですから」
「絶対、(僕のこと邪魔して)楽しんでるでしょ!」
「ええ、そうですね。(屋台ご飯を)楽しみにしてます」
「そこは否定しなよ!!」
「? なぜですか?」
「そこからなの!!?」
レヴィのきょとんとした様子に、アイザックは頭を抱えて悲鳴をあげた。
(……噛み合ってるんだか、噛み合ってないんだか……)
レイは、アイザックとレヴィのやりとりをじと目で眺めていた。




