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鈴蘭の魔女の代替り  作者: 拝詩ルルー


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領主館

「ハムレット様、ごきげんよう」

「やあ、ヘクター。ごきげんよう」


 領主館の廊下で、ハムレットはヘクター・ラングフォード伯爵——この地の領主とすれ違った。


 ヘクターは淡いブラウンの髪を撫で付け、口髭を蓄えた壮年の紳士だ。


 ラングフォード伯爵家は代々、水竜王と協力関係を築き、この地を守ってきた。


 水竜王ハムレットは、人間としてはラングフォード魔術伯爵という身分を持っている。

 ヘクターもここ二十年ほど、ラングフォード伯爵家の当主として、そんな彼を後見してきたのだ。


「今年の水竜王祭の準備はいかがでしょうか?」


 ヘクターは、軽い挨拶がわりに尋ねた。


「うん。女の子たちの踊りもかなり仕上がってきているし、楽隊にも歌い手にもかわいい子がいるね。当日が楽しみだよ」


 ハムレットが心底嬉しそうに微笑んだ。


「領主館には連れ込まないでくださいよ」


 ヘクターは、口角をひくつかせて釘を刺した。



 当代の水竜王ハムレットは、穏やかで優しい性格をしており、政治にも明るいため、よくヘクターの相談役になっている。水竜王としての実力もあり、領内の魔物たちを上手く治めていた。


 一方でハムレットは、女性には非常にだらしなかった。


 先日も、領主館の離れにあるハムレット専用の屋敷に、婚約者がいる下級貴族の令嬢を連れ込んでしまい、それが彼女の婚約者にバレてしまったため、大問題になった。


 ハムレットの人型はスラリと背が高く、貴族の間で特によく好まれる優美で繊細な面立ちの、美しい青年の姿をしている。


 女性限定でとことん優しく、エスコートやデートでの対応も卒なく洗練されているため、貴族の令嬢や淑女にとってはパートナーとして理想的な男性だ。


 水竜湖のような瑠璃色の髪は、水魔術師としては最高の髪色で、特に水属性の魔術師が多いラングフォード領では憧れの(まと)だ。


 さらに魔力量や魔術属性は遺伝する可能性が高いため、ハムレットとの間なら、優秀な子供を望める可能性が高い。


 一代貴族とはいえ、魔術伯爵という地位も令嬢の婚約者よりも高く、彼女がハムレットに惚れ込むのも無理がなかった。


 令嬢はハムレットとの婚姻を求めたが、お相手の令息はそれを拒否。そして、ハムレット自身は「全ての女の子がかわいくて好き」という、なんとも言えないスタンスだったため、議論は平行線をたどり、さらに揉めに揉めた。


 相手方が下級貴族だったこともあり、ヘクターが無理矢理間に入って取りなし、どうにかおさめさせた。


 こういった女性がらみの騒動は、ヘクターの父や祖父の代から何度も何度も起こってきたため、ヘクターは今度こそ「領主館の離れへの女性の連れ込み禁止令」を発令した。



「あぁ、分かっているよ」


 ハムレットは、本当に分かっているのか分かっていないのか、どちらとも読み取れない微笑みを浮かべた。


「それから、ラングフォード領内に侵入している魔物についてですが……」


 ヘクターは今一番気がかりな問題を口にした。


 これから年に一度の水竜王祭が控えており、領内への商人や観光客の流入がピークを迎えるのだ。要は、書き入れ時だ。

 魔物の増加による安全面の問題は、早めに対処すべき課題だ。


「北のレスタリア領と西のウォーグラフト領から入り込んでいる魔物たちだね?」


「アクアブリッジでは特に報告はきてませんが、周縁の村々からは住民や家畜が襲われたり、畑が荒らされたりといった報告を受けてます。魔物の群れの大移動の目撃報告もありますし、その中にはサラマンダーがいたとの情報も……」


 ヘクターは渋い表情で語った。


 サラマンダーは厄介なBランクの魔物だ。基本的には岩石が多い山岳地帯に暮らしていて、ラングフォード領内には元々生息していなかった。口から高温の炎を吐き、全身が頑丈な鱗で覆われており、群れることも多いため、人間にとっては討伐難易度が高い魔物の一つだ。


「そこは友人に頼んだから問題ないよ。水竜王祭までには片が付くと思うよ」

「はぁ……」


 ハムレットの楽観的な見解に、ヘクターは気の抜けた返事をした。


 その時、ドンッ! という音と共に、大地が激しく揺れた。


 ヘクターはよろめき、体を支えるように窓辺に寄りかかった。


「……地震か? 一体何が……」


 ヘクターの声が、そこで止まった。あらぬものを窓の外に見つけてしまったのだ。


 水竜湖を挟んで南の空に真っ黒な暗雲が垂れ込め、巨大な水の竜巻が巻き起こっていた。


「なっ……!」


 ヘクターは窓辺にかぶりついて、信じられないものを見るように南の空を凝視した。


「う〜ん、やってるねぇ。森を壊さないでとは伝えてなかったからなぁ……」


 ハムレットも窓に近づいて南の空を眺めると、困ったように腕を組んだ。


「ハムレット様! あ、あれはもしや!?」

「そう、私がサラマンダーの駆除を頼んだんだよね。たぶん、こちらまでは来ないから大丈夫だよ」


 ヘクターが慌てて尋ねると、ハムレットはのんびりと答えた。


「……それならば、我々の味方の技ということですね……」


 ヘクターは落ち着き払って、再度、南の空を眺めた。

 いまだに轟々と水の大竜巻が続いていた。とてもではないが、人間業とは思えなかった。


 その時、南の森の上にチラリと大蛇の頭が現れた。


「ハムレット様!!?」


 ヘクターは驚愕の表情でハムレットの方を振り向いた。


 眼下に見える城壁では、兵たちが突如現れた竜巻と巨大サーペントを警戒し、右往左往して大騒ぎしていた。


「あーあ。元の姿に戻っちゃった。いくら大好物だからって、はしゃぎすぎだよ」


 ハムレットは目の上に手をかざし、ゆったりと答えた。


「あ、あれは大丈夫なんですかっ!!?」


 ヘクターがハムレットを揺さぶる勢いで詰め寄った。あんなにも大きな大蛇は、水竜が多いラングフォード領内でも見たことがなかった。


「問題ないよ。放っておけば、そのうち落ち着くから。……あ、結構な数の魔物が逃げ出してるね」

「それはそうでしょう!!!」


 ヘクターは怒号のツッコミを入れた。


「閣下! 南の方角に、サーペントらしき巨大な魔物がっ!! 出兵はいかがいたしましょう!?」


 一人の兵士が、急いでヘクターのもとへ駆け寄って来た。報告と共に、ビシッと敬礼の姿勢をとる。


 ヘクターは少し考え込んだ後、徐に口を開いた。


「サーペントの討伐はしない。あれほどの巨体、我々が討伐できるようなランクではないはずだ。自然に去るのを待つしかない。それに、あのサーペントを恐れて他の魔物が逃げ出しているはずだ。南岸や近隣地区の村や町に被害が出てないか、救助と援護に向かうぞ。至急、隊長たちを集めろ!」

「はっ!」


 ヘクターの指示に、兵士は勢いよく返事をした。彼は弾かれるように、騎士団の隊長たちを呼びに向かった。


「西の双子湖の方も、魔物たちがウォーグラフト領の方に逃げ帰ってるみたいだね。彼にはもうしばらく暴れてもらおうかな?」


 ハムレットは顎に手を添え、考え込むようにぽつりと呟いた。


「いえ! 即刻、やめていただいてください!! このままでは住民たちが不安がってラングフォードから逃げて行ってしまいます!!!」


 ヘクターは、ハムレットに懇願するように、彼の腕を掴んだ。精一杯に訴える。


 ハムレットは時々、魔物らしい視点から、非力な人間の考えや不安や恐怖の気持ちを読み間違えることがあるのだ。


「仕方がないね。女の子たちが怖がって、ラングフォード領から逃げ出してしまっても嫌だからね」


 ハムレットは渋々、念話を飛ばし始めた。


『アイザック、聞こえる? …………』


「どうやら、戦闘に集中しているみたいだね。仕方がないね。私が様子を見に行くよ。ヘクターは、南岸地区のレディたちを守ってあげて」


 ハムレットはそれだけ言うと、スッと転移して行った。


「……かしこまりました」


 ヘクターはぽつりと返事を呟いた。




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