閑話 レイの一日秘書
「……どうでしょう? 変じゃないでしょうか?」
レイは少し恥じらいながら、ニールの目の前でくるりと回った。ひらりとフレアラインのスカートが優雅に舞う。
今日は、ニール商会長の一日秘書をする日だ。
流行性の恋の時に、ニールに恋の精霊の捕縛員をしてもらったこととの交換条件だ。
レイが着ているのは、バレット商会の女性の制服をベースに、彼女に合わせて細やかなデザイン変更が加えられた特注品だ。
ワンピースは初夏らしい爽やかな青色だ。胸元の少し控えめな飾り刺繍は、却ってレイの品の良さを引き立てている。ワンピースのスカート丈は膝下。白のソックスと艶々に磨かれた革靴がよく似合っている。
ボレロ丈の紺色のジャケットには自然な艶感があり、襟の無いデザインは、女性らしさと凛々しさが共存している。
全体的に清楚で可憐な印象だ。
「よく似合ってるよ。とてもかわいいね」
ニールは目尻に皺を寄せて、にこにこと相好を崩した。
「ああ、そうだ。あと、これも」
「何ですか?」
「イヤリングだよ。小粒だから、そこまで目立たないよ」
ニールは、レイの耳たぶにパチリ、パチリとイヤリングを付けた。
空間収納から手鏡を取り出すと、レイの手に持たせた。
鏡の中のレイの耳たぶには、シンプルな一粒パールのイヤリングが輝いていた。ピンク色の遊色が美しい、艶々とした小粒のパールだ。
「わぁ! かわいい!! ……いいんですか、こんなに素敵なもの……?」
「いいよ。これなら上品だから、今の格好にピッタリだよ」
「ふふっ。ありがとうございます!」
レイは素敵なプレゼントに、テンションが爆上がりした。
髪の毛は仕事の邪魔にならないよう、ニールの屋敷にいるメイドに、綺麗なアップスタイルにしてもらった。
(すごい! どこからどう見ても秘書さんだ! なんだかやる気も出てきたかも!)
レイはコスプレ的な効果もあり、久々の事務仕事にやる気はMAXだ。
レイはニールと一緒に馬車に乗って、王都中央にあるバレット商会本部へと向かった。
***
「レイです。本日は秘書として、どうぞよろしくお願いします!」
朝礼の場で、レイはバレット商会本部の職員たちの前に出て、ぺこりとお辞儀をした。
パチパチパチ……とまばらに拍手が起こった。
「今日一日だけですからね、彼女には私の秘書として書類整理などを担当してもらいます」
ニールが簡単にレイの本日の役割を説明した。
「質問をよろしいでしょうか?」
眼鏡をかけた男性が小さく手を上げた。
「ええ、どうぞ」
ニールが小さく頷いて、先を促す。
「彼女への業務の説明などは誰が……?」
「私が直接指示しますから、大丈夫です。みなさんは通常通りの業務を行なってください」
「……分かりました」
ニールの説明に、眼鏡の男性は一応納得したようだ。
「レイはこっちだよ」
「はいっ!」
ニールに連れられ、レイは彼の執務室に入った。
「わぁ……やりがいがありそうですね……」
レイは執務室に入った瞬間、絶句した。
大きくて立派な執務机の上には書類が折り重なるように山になっていて、デスクの天板がほぼ見えない状態だ。
さらには、執務机に載りきらなかった書類が、応接用のローテーブルの上にも山を築いていた。
壁際にあるキャビネットも、ファイルが乱雑に詰め込まれ、一部が床に落ちている。
手紙置き場にも、こんもりと手紙の山ができていて崩れかかっていた。
「しばらく外に出てたから、かなり溜まっているな。秘書は雇うんだけど、なかなか長続きしなくてね……」
ニールが気怠げに書類の山を睨みつけ、お手上げといった感じで肩をすくめた。
(ニールは何でも完璧にこなしてそうなイメージなのに、意外……)
レイは、ニールの新たな一面に、目を瞬かせた。
「まずは書類をどうにかしようか?」
ニールが珍しく困り顔で、レイの方を振り向いた。
困った様子なのに、却っていつも以上に色気がダダ漏れである。
「分かりました!」
(いつもお世話になりっぱなしだから、こういう時ぐらい役に立たなきゃ!)
レイは拳でドンッと自分の胸を叩いて、気合いを入れ直した。
レイたちは一旦、書類を一箇所に集めた。
(こういうのは普通の書類整理と同じかな?)
レイは元の世界では社会人をやっていたので、なんとなく書類仕事の勘所は分かった。
「書類は日付順ですか? それとも取引先別にまとめましょうか?」
「おや? 気が利くね。それでは日付順で」
「分かりました」
レイは書類をさくさくと確認していくと、日付順に並べ始めた。
日付が不明なものは、別のところに分けて置く。
「レイは飲み込みが早いね。普通はこんなことも、いちいち教えないといけないんだけどね」
「えへへ。昔やったことがあるので、なんとなく分かるんです」
「ふぅん。レイが事務仕事を? 初耳だね」
レイの何気ない返答に、ニールは色鮮やかな黄金眼を不穏に細めていた。
「きゃっ! 書類が!?」
その時、一枚の書類がレイの手元からぴょこんと跳ね上がり、器用にも紙の底辺の角を足のように使って走り出した。執務室内で逃げ場を探すように、あちこち駆け回っている。
「嘘っ!? 書類って逃げるの!!?」
レイも必死に書類を捕まえようと、パタパタと走り出した。
「ああ、機密書類だね。魔術師からの書類にはよくこの魔術が仕掛けられてるよ。魔術で従えるか、書類の提出先の責任者が手にしないと、こうやって逃げ回るんだよ」
ニールが優雅に指先をくるりと回すと、逃げ回っていた書類はパタリと倒れ伏した。走っていた勢いもあり、スライディングするように、そのままソファの下にススス……と滑り込んだ。
「嘘っ!? 何でそこに入り込むの!!?」
レイは慌ててしゃがむと、ソファの下を覗き込んだ。
ニールが、「こっちに来い」とでもいうように人差し指の指先をクイッと曲げると、ソファの影がもぞもぞと動き出し、書類をソファの下から器用に引っ張り出した。
「俺の書類には逃げ出すものが結構多いから、レイもこの魔術は覚えた方がいいよ」
「…………何でニールの秘書さんが長続きしないのか、よく分かった気がします」
レイは書類を拾い上げつつ、遠い目をした。
(異世界書類が恐ろしすぎる……!)
その後も、レイがキャビネットのファイルを整理しようとするも、ファイルたちまで逃走を図り、執務室内で暴れ回ったため、再度、大捕物が発生した。
ニールに鎮められたファイルを手に取り、レイはしみじみと思った——
(異世界事務仕事の難易度が高すぎる……!!)
「……さすがに手紙は逃げ出さないですよね?」
レイは戦々恐々とした想いで、手紙の山に手を伸ばした。
「手紙は大丈夫だよ。そんなことになったら、郵便配達員が仕事できないからね」
「……ですよね……」
ニールの言葉に、ほっと安堵の息を吐いて、レイは手紙の整理を始めた。
「手紙は開けて中身を確認してくれるかな? これを使って」
「分かりました」
ニールから手渡されたのは、銀のペーパーナイフだ。両面には優美な彫りが施されていて、よく見ると、守りの加護が込められていた。
(むむっ? すっごく聖属性が強いペーパーナイフ??)
レイはやけに清らかなペーパーナイフ片手に、ニール宛に届いた手紙を開封していった。
「手紙はどう分けましょうか?」
「そうだね……できれば、大まかな内容ごとに分けて欲しいかな。支店からの報告とか、季節の挨拶とか、何かの催し物の招待なのかとか……そこらへんの分け方は任せるよ」
「分かりました」
レイは簡単に手紙の内容を確認すると、仕分けていった。
(わぁ……やっぱり、恋文が多い! ニール、かっこいいからなぁ〜)
しばらく仕分けていると、レイがとある手紙を手にした瞬間、バチッと火花が散った。びっくりして手紙を放り投げる。
「きゃっ!?」
レイが思わず瞑った目を開くと、さっき手にしていたはずの手紙が、真っ黒になって焦げついて床に落ちていた。鼻につくような、焦げ臭い嫌な臭いも放っている。
「おや? 呪物でも届いたのかな。さすがフェリクス様の指輪だね。きちんと弾くんだね」
「えっ……そんなものが届くんですか?」
「よく届くよ。商売敵からは特にね。縁を切った取引先や、あとは、顧客からも」
「お客さんからも?」
「ああ。俺の見た目に惚れ込んで、他の人のモノにならないようにと」
「うっ……なんだか嫌ですね」
「まぁ、この程度の呪いでは傷一つ付かないけどね。スクロールに写して、黒の塔に呪いの見本品として販売するか、ブラックマーケットに流すか、売れそうにもなくて完全に縁切りしたい場合は、送り主に返してるかな。俺の呪い返しだから、必然的に倍返しになるけど」
「……それは、相手が悪かったですね……」
「相手の階位を見抜けない時点で、呪いなどかけなければ良いのに。人間は身の程知らずが多いし、カンが鈍い者も多い」
レイが遠い目をしていると、ニールが「これは売り物にならないな」と、ポイッと焦げた手紙を捨てていた。
「あ。もしかして、このペーパーナイフが聖属性なのは……?」
「ちょっとした呪いなら弾けるようにだな」
レイがおそるおそる自身の恐ろしい想像を確認すると、ニールはあっさりとその事実を認めた。
(異世界手紙の開封が危険すぎる……!!! 危険手当が欲しいレベルで!!!)
この時レイは、異世界秘書の過酷な現実をひしひしと実感したのであった。
***
「……ふぅ。お疲れさまです……」
夕方になってレイがニールの執務室から出て来ると、事務所内が騒然となった。
「……生きている、だと……?」
「今度の子は無傷だぞ」
「まさか、奇跡が起こったの!?」
バレット商会の職員たちが、レイを珍獣でも見るかのように見つめていた。
「あなたたち、何を見ているんですか? 彼女は見世物ではありませんよ」
ニールが眉を顰めて、職員たちに注意をした。
「会長! その子はもしや明日も……?」
朝礼で質問をしていた眼鏡の職員が、期待を込めて確認してきた。
「彼女は今日一日だけですよ。残念ながら、ね」
ニールが非常に残念そうな面持ちで、小さく首を横に振った。
「そんなぁ! 一日も持ったというのに!? 誰か、呪い耐性のある新人を!!」
眼鏡の職員が膝から崩れ落ちた。
周りの職員たちは、彼の肩にぽんっと手を置き、慰めていた。
ニールは「それでは、今日は失礼しますよ」と職員たちに声をかけ、レイを連れて事務所を出た。
待たせていた馬車に乗り込むと、溜め息混じりにニールがぽつりと呟いた。
「俺としても、レイが三大魔女なのをこんなに残念に思ったことはないよ。フリーなら、是非ずっとうちの秘書をお願いしたいのに……」
憂いを帯びた色鮮やかな黄金眼が、レイを真っ直ぐに見つめてきた。
「三大魔女のお仕事が無くなったら、お願いします」
レイは、今彼女が言える最善のことを口にした。
「はぁ、儚い夢だった……」
ニールは、がっくりと肩を落とした。




