剣聖候補レヴィ
「こちらになります」
王宮付きの侍従の少年に案内され、レヴィが通されたのは、王宮内の客室だ。
ドラゴニア王国では貴色とされる深紅のカーペットが敷かれ、壁には色鮮やかな風景画が飾られている。チェストの上の高級そうな花瓶には、新鮮なユリの花が甘い香りを放っていた。
丸テーブルには椅子が二つ、壁際には深紅の布張りのソファ、そして、部屋の奥にはベッドが一つある。
扉で隔てられた小部屋には、風呂場とトイレがあり、使用人用の部屋も続きにある。
——どうやら、貴族が滞在する用の立派な客室のようだ。
「何かご用があれば、お呼びください」
侍従の少年が、ぺこりと頭を下げた。
(侍従という割には、かなりの手練れですね。私の監視役でもあるのでしょう)
「……長旅をして来たので、湯をもらいたいのですが」
「かしこまりました。ただいま準備いたします。それまでお寛ぎください」
侍従の少年は湯をもらいに、一旦、客室を出て行った。
深紅のソファの上にはチリ一つ無く、上等でふかふかだ……それこそ、長旅で汚れた服で座るのは気後れするほどに。
それでも、レヴィは壁際にあるソファに腰を下ろした。
主人のレイが近くにいないためか、それとも、慣れない場所に一人でいるためか、レヴィはなんとも心細く感じていた。
(……ああ。昔、ご主人様たちが城に招聘された時に、居心地悪そうに客室内で縮こまっていましたが、こういう気持ちだったんですね)
長年、魔剣として生き、初めて人型になったレヴィにとって、こういった気持ちも初めてのことだった。
普段レイと一緒に旅をしている時は、何もかもが目新しくて、刺激的で楽しいことばかりだ。たとえ昔に魔剣として歴代の剣聖たちに携えられて訪れた土地でも、人型では目線が違い、周囲の人々のレヴィに対する視線や態度も違い、そもそも人型でないと体験できないことも多く、新たな発見や驚きに満ち溢れていた。
王宮という誰もが入れる場所ではなく、わざわざ世話係も付けてくれて、調度品も高価で美しく、非常に素晴らしい部屋ではあるのだが、ここにぽつんと一人でいるのは、なぜか一抹の寂しさや不安を感じていた。
(私はあまりこういったことは好まないようですね……)
レヴィにしては珍しく、小さな溜め息を吐いた。
「湯殿の準備が整いました。お手伝いの方はいかがいたしましょうか?」
「手伝いは不要です」
「かしこまりました」
侍従の少年は丁寧に頭を下げると、部屋の隅の方へと下がって行った。
レヴィは湯にゆったりと浸かりながら、これからの対処のことを思い返していた。
王都ガシュラに着くまでの間に、ニールやルーファス、レイと、王宮でどのように対応したら良いかを何度も話し合った。
(魔術は使わない、不要な発言は控える、選択を迫られた時はできる限り持ち越す)
なんとも消極的ではあるが、今のレヴィにとってはこれで精一杯だ。
(剣聖でないと判断されれば、騎士団への誘いは「冒険者としてBランクに上がってからにしたい」と言う。「せめてケジメを付けたい」と言えば、大抵は納得が得られる……)
レイはBランク冒険者に上がったら、ユグドラから、ドラゴニア王国の黒の塔に所属するように言われている。レヴィは彼女の護衛とサポートのため、騎士団に入ることになった。
(もし、無理矢理剣聖だと見做されたら、転移魔術で逃げて良い……その場合は、今の姿を変える、と……)
今のレヴィの姿は、十七代目剣聖の姿を借りたものだ。歴代剣聖の姿であれば、レヴィは誰にでも変身できる。
(そうしたら、次はどなたの姿に変わればいいのでしょうか……?)
レヴィが考え込んでいると、風呂場の扉がノックされた。
「レヴィ様。お客様です。第一王女殿下があと数刻でいらっしゃるそうなのですが、いかがいたしましょうか?」
扉の向こう側から、侍従の少年のくぐもった声が聞こえてきた。
「……すぐに上がります。準備を手伝っていただけますか?」
「かしこまりました」
(第一王女から直接アプローチがあった場合……確か、一番面倒くさいパターンでしたね)
湯船から上がりつつ、本日二度目の溜め息が漏れた。
***
レヴィの準備が整うと、第一王女のナタリーが客室にやって来た。
ナタリーは、母親譲りの色鮮やかな金髪を華やかに結い上げ、火竜の血を引いた淡い桃色の瞳はレヴィを真っ直ぐに射抜いていた。肌はつるりと白くきめ細やかで、さくらんぼのようにぷっくりとした唇は愛らしい。人目を引く華やかな顔立ちだ。
彼女の後ろには、侍女が二人、静かに控えていた。
「そなたが最後の剣聖候補か? 面を上げよ」
ナタリーの言葉に、レヴィは出迎えのために下げていた頭を上げた。
「レヴィと申します。平民のため、無作法はご容赦いただけたらと思います」
「よい。元から期待などしておらぬ」
レヴィとナタリーがテーブルに着くと、侍従の少年が紅茶を入れた。
レヴィが一口、紅茶に口を付けると、ナタリーもカップに口を付けた。
ナタリーとの茶会は、非常に気まずいものとなった。
レヴィは、ナタリーの問いに対して真面目に返答はするが、訊かれたことに淡々と返事をしただけだった。
特に会話が盛り上がることもなく、ほぼ社交的な挨拶程度で終了。紅茶も冷めやらぬうちに、ナタリーは帰って行った。
(もし第一王女が出てきたら、失礼のない程度に最小限の会話に徹する)
ナタリーの見送りのため頭を下げつつ、レヴィは心の中で、レイたちとの決め事を反芻していた。
***
ナタリーは侍女二人を連れ、静かに自室へと戻っていた。
さっき会った男の評価を、頭の中でまとめていたのだ。
レヴィは見た目に華は無いが、顔のつくりは悪くなく、特段欠点も無い。
無口な分、他のおしゃべりが過ぎる貴族たちに比べたらマシだ、とナタリーは感じていた。
彼女は王族で、社交界の華だ。
口が災いして没落していった者などは、数えきれないほど見てきたのだ。
それに元々、剣の腕前や「歴代最強の剣聖」という肩書きが目当てだ。
社交性や会話はむしろ必要最低限の方が、変に粗を出さない分、好ましく感じられた。
レヴィは表情が乏しく、掴みどころもよく分からないが、それはこれから接していくうちに少しずつ掴んでいけばいいだろう、とナタリーは楽観していた。
それこそ作法などはこれから身につけていけば、どうとでもなるものだ、とナタリーは考えた。
「まぁ! ナタリー様に対して気の利いた言葉の一つも無いなんて、頼りない!!」
「あんな無作法者、ナタリー様には合いませんわ!!」
侍女たちは、ナタリーのあとに続きつつ、姦しくおしゃべりしていた。
「そうかしら? 私は悪くないとは思うわ」
ナタリーは侍女たちの方を振り向くと、そう静かに伝えた。
彼女のその一言で、侍女たちはピシャリと押し黙った。
ナタリーのレヴィに対する全体的な評価は低かった。だが、あらゆる評価点において「可」は取っていた。何一つ「落第点」は取っていなかったのだ。
王族は婚姻の自由はない。だからこそ、ナタリーは割と早い段階で諦めができていた。
たとえ突出するような長所があったとしても、他の部分で「落第点」があるようでは、添い遂げるには何かと苦労が多いことも知っていた。
何より、ナタリーの中を流れる火竜の血が告げていた——「こいつは強い」と。
「……まだマシか……」
ナタリーは誰にも聞こえないほどの小ささで、ぽつりと呟いた。
薬にもならないが、毒にもならない男——それがナタリーの剣聖候補レヴィに対する評価だった。




