英雄劇2
壮大な音楽と共に、重厚な真紅の幕が上がった。
レイたちがいる個室内を音楽が濃厚に反響し、腹の底から響き渡り、頭のてっぺんの先まで痺れさせた。
勇壮な青年が、軽やかに舞台のまん真ん中へと躍り出た。
勇敢な剣聖レグルスは、とある町で不思議な占い師に出会った。
占い師の老婆は嗄れた声で、こう言った。
「これからお主の運命を変える乙女に出会うじゃろう」
占い師の老婆が指差した先は南。
星の導きにより、剣聖レグルスは南の地へと向かった。
鬱蒼と繁る森の中で、剣聖レグルスは運命と出会った。
そこには精霊馬に跨った美しき乙女がいた。
乙女のあまりの麗しさに、レグルスは一目で恋に落ちた。
乙女は涙ながらに、レグルスに請い願った。
「どうか、どうか。お願いでございます。私たちをお助けください」
乙女は不思議な里の出身で、そこに野蛮な帝国の魔の手が迫っているという。
心優しき剣聖レグルスは、彼女と共に不思議の里へと向かった。
里の者たちは、レグルスを心温かく迎え入れてくれた。
敵国の兵が大挙して、不思議の里へと押し寄せて来た。
勇猛な剣聖レグルスは懸命に戦った。
乙女の精霊馬は、レグルスを乗せて戦場を駆け抜けた。
レグルスは見事な火魔術を操り、その剣は次々と敵兵を討ち取っていった。
彼に続いて、黒竜がブレスを吐いて敵兵を薙ぎ払い、
不思議な里の三人の魔女たちが、魔術で敵兵を倒していった。
「レグルス!」
乙女が悲鳴を上げた。
レグルスが敵兵の一撃で傷を負ったのだ。
そのまま敵兵が剣を突き立て、レグルスにとどめを刺そうとした。
「やめて!!!」
乙女の悲痛な叫びに、天が応えた。
幾千幾万の天の怒りが光となって降り注ぎ、全ての敵兵を灰にした。
天が、乙女のレグルスへの愛を認めたのだ。
乙女はレグルスに駆け寄って、その手を取った。
「乙女よ、ありがとう。これでもう、帝国がこの里に手を伸ばすことはないだろう」
レグルスは、力強く彼女の手を握り返した。
「レグルス様、ありがとうございます。あなたのおかげで、この里は守られました。あなたはこの里の英雄です」
乙女は英雄レグルスを讃えた。
「乙女よ。私と共に来てくれますか? あなたを妻に迎えたい」
英雄レグルスは跪いて、乙女の指先にキスを落とした。
「ごめんなさい。私は本当はこの里の者ではないのです」
乙女は不思議の里の守り神だった。
乙女のレグルスを想う涙は真っ白な霧を生み、
不思議の里がもう二度と人間の国に害されないように、結界となった。
愛しの乙女は、精霊馬と共に霧の中へと消えていった。
里の人々に惜しまれながら、英雄レグルスは人間の国に戻った。
後に、彼だけが唯一、白い霧を越えて不思議の里へとたどり着けるようになった。
それは乙女なりの愛の守りだった。
「こうして英雄レグルスは、不思議の里ユグドラと、人間の世界を取り持つ平和の使者となりました。英雄レグルスは乙女を想い、生涯独身を貫きました。そしてその愛に応えるように、今でも白の領域として、乙女の涙の結界が続いています。めでたし、めでたし」
朗々とした語り手の言葉と共に、どこか物悲しく、けれど壮麗な音楽が鳴り響く。
全ての役者が舞台脇から出て来て続々と並び立ち、一斉に、優雅にお辞儀をする。
観客席の盛大な拍手と共に、重厚な真紅の幕が降りていく。
シャンデリアの周りにはぐるりと七色の虹がかかり、精霊たちはまるで夜の星々のように煌めいていた。
***
「演技も歌も音楽も迫力がありましたし、すっごく素敵な劇でしたね! ニール、ありがとうございます! 良い思い出ができました!」
「私からも、ありがとうございます。素晴らしい劇でした」
「喜んでもらえたようで良かったよ」
レイとレヴィに感謝され、ニールは柔らかく微笑んだ。
「う〜ん。でも、ニール役が大道具だったのが残念です。とっても強そうではあるんですが……本物のニールはもっとかわいいのに!!」
レイは一点だけ不服だった。
黒竜役は人間の役者ではなく、大道具で作られた竜だったのだ。竜はギョロリと睨むような目玉をしていて、そら恐ろしい表情は迫力満点だった。
そして、野営で見せてくれた愛らしいミニ竜姿のニールとは、似ても似つかなかった。
「ふっ……俺がかわいいか……俺の主人は面白いことを言う」
ニールは目尻に皺を寄せて、ふわりと笑った。
「レイ、あれはあれで迫力があって良かったですよ」
「うん、そうだよね。あの劇には合ってたんだけど……」
レヴィも淡々と感想を口にし、レイは一旦は頷いたものの、ちょっぴり唇を尖らせた。
「私の竜はもっとずっとかわいいのに!」
「はははははっ!」
「!?」
急に腹を抱えて大声で笑い出したニールに、レイはびっくりしてちょこんと跳ねた。
レヴィも不思議そうにきょとんと彼の様子を眺めている。
「……すまない。『かわいい』だなんて言われたことはあまり無かったからな」
ニールは白い絹の手袋で包まれた指先で、目尻の涙を拭った。笑いすぎである。
「もう。私、そんなに変なこと言いました?」
「……いや。レイはそのままでいてくれ」
レイがむすっと頬を膨らましてニールを見上げると、ぽんっと頭の上に片手を置かれた。彼はまだ腹を押さえて、ひくひくと震えるように笑っていた。
「そういえば、今回の英雄劇と、ユグドラで教えてもらった話は結構違いますね」
ユグドラで教えてもらった防衛戦の物語は、ユグドラの住民みんなが共闘し、力を合わせて敵を撃破する、歴史のまま俯瞰的な視点からの話だった。
一方で人間側の英雄物語は、英雄レグルスが主人公の冒険譚で、最終的に恋愛劇に仕立て上げられていた。ニールに至っては登場人物どころか、もはや大道具の範疇だ。
「そうだね。さっきの劇は、ユグドラが見せたい防衛戦の姿だ。俺が見てきたこととも違う。でも、これはこれでいい」
「……それはどういう?」
(人間が観たい物語じゃなくて、ユグドラが見せたい物語???)
「レイにもそのうち分かるよ」
ニールは色鮮やかな黄金眼を緩めて、ぽんっと彼女の頭を撫でた。
***
レイはぼーっと馬車の窓の外を眺めていた。
(「ユグドラが見せたい物語」……劇だから、多少の脚色があるのは普通だけど……)
ニールの一言をずっと考えていたのだ。
ホテルへ向かう馬車が、英雄広場をぐるりと迂回しようと走り始めた時、英雄レグルスの銅像が目に入った。
レグルス像の視線の先には大きな噴水があり、その噴水の中央には、ユニコーンに横坐りで乗っている美しい女性の石像が据えられていた。彫刻特有の端正な顔立ちで、真っ直ぐな長い髪を靡かせ、ユニコーンの首にしなだれかかるような肢体は、悩ましいほどにスタイルが良い。
「あ……あれってもしかして、乙女の像ですか?」
レイは噴水の女性像を指差した。
「……ああ。そうだね。英雄はずっと乙女を想ってる、てことらしいけど…………全く、死んでまでもクソいけすかない奴だ」
「えっ? 何ですか?」
ニールの言葉は、最後の方はボソリと低い声で呟かれたので、レイはガラガラと鳴る馬車の音もあり、よく聴き取れなかった。
「いいえ、何でもないですよ」
ニールはしれっと笑顔で答えていた。
レイは却って、じと目で隣のニールを見上げた。彼がこんな風に良い笑顔で笑いかける時は、何かしら隠したい時だ。
「レイ。そういえば、観劇後に楽しもうと思って、ホテルにケーキを届けさせたんだけど、一緒に食べる?」
「あっ! 食べます!」
ニールの誘いに、レイは一瞬でぱぁっと顔を輝かせた。
「我が乙女は食い気が勝るようで」
「いいじゃないですか! 美味しいものに罪はないです!」
ニールがフッと笑って軽口を叩くと、レイはパシリと彼の肩を叩いた。
レイは、これはもう謝罪のためにも、ニールの分のケーキは半分わけてもらおうと画策するのであった。




