英雄劇1
今日は英雄劇の観劇の日だ。
せっかくだからということで、ニールが個室を予約してくれたそうだ。
本日のレイは、ニールが用意してくれた白いワンピースを着ていた。真っ直ぐな黒髪は捻りを入れてハーフアップにし、小粒のパールが付いたバレッタで留めていた。まさに、良いところのお嬢さんだ。
ニールも黒く艶やかな正装姿だ。胸元には、レイが以前贈ったアクアマリン色の魔石が付いたブローチが輝いている。
濡羽色の前髪は、掻き上げるようにまとめられていて、貴公子然としている。
レヴィもニールに正装を借りて、きちりとまとっている。真面目な整った顔立ちのため、いつも以上に良く似合っていた。
レイたちがレグリア歌劇場に一歩足を踏み入れると、黒服をまとった歌劇場のスタッフがすぐさま近づいて来た。
「ようこそいらっしゃいました、バレット様。ご無沙汰しております」
彼は恭しく礼をして迎え入れてくれた。
情熱的な赤い髪はなでつけられ、品の良い唇は、三日月型ににこりと微笑みを湛えている。
「ええ。お久しぶりです。本日も楽しみにしてますよ」
ニールもにっこりと微笑んで返す。
黒服の男性は、「こちらです」と案内を始めた。
「彼はこの歌劇場の妖精で、支配人だ。人外がこういった場を切り盛りする方がいいんだよ。どうしても人間には分からない高位の者が訪れるからね」
ニールがそっとレイの耳元で囁いた。
「そうなんですね」
レイはチラリと支配人の方を見た。支配人というには若く、二十代半ばぐらいに見えるが、妖精は見た目では年齢は分からない。
高位者の扱いを間違えると「すまなかった」で済むことは少ないため、人外事情に疎い人間よりも、人外が担当した方が無難なのだろう。
歌劇場の支配人に連れられ、豪奢なシャンデリアが煌めくロビーを渡り、二階のボックス席へと案内された。
「わぁ! 素敵ですね!」
通された個室は、情熱的な赤に豪華な金の装飾が施された煌びやかなものだった。
個室の壁には、魔術刺繍が施された真紅の布張りがされており、役者や歌手の声が心地良く響くような魔術が込められていた。
舞台を向いたバルコニーの手摺りには、腕を置いて寛げるよう、真っ赤なビロードのクッションがてっぺんに付いている。
座面と背面に真紅の布張りがされた椅子は、金糸で細やかな刺繍が入っていて、重厚な赤いカーテンは、黄金色のタッセルでまとめられていた。
天井には花を象ったような小さなシャンデリアが煌めき、真っ赤な玉型の精霊が、歓迎するようにチカチカと点滅して浮かんでいた。
「この子は、この部屋付きの精霊です。もし何かございましたら、申しつけていただければ、ご対応いたします」
支配人が紹介をすると、真っ赤な玉型の精霊もお辞儀をするように、空中でくるりと上下に一回転した。
ニールは早速、三人分のドリンクを注文した。
真っ赤な玉型の精霊は、頷くように小さく上下に動くと、ポンッと消えてしまった。これから持って来てくれるようだ。
支配人が「ごゆるりとお楽しみください」と下がっていくと、レイはバルコニーから舞台を眺めた。
まだ開演前のため、舞台には重厚な真紅のカーテンが垂れ下がっているが、ここは舞台全体を正面から眺められる良い席だ。二階席のため、舞台や役者が見切れてしまうこともなさそうだ。
階下には百席以上の座席があり、すでにぱらぱらと人々が席に座ったり、近くの人とおしゃべりをしたりして、開演を待っていた。
客席の天井の真ん中では巨大なシャンデリアが光り輝き、その周りを小さな妖精や、色とりどりの玉型の精霊が遊び浮かんでいた。
「あのシャンデリアの周りにも妖精さんや精霊さんたちが!」
レイが瞳を輝かせ、珍しい物を見つけたように指差した。
「ああ。小さな妖精や精霊向けの飛び見席だね。特に人気の演目だと、玉型の精霊の明かりや妖精の鱗粉で、シャンデリアよりも美しく輝くんだ。あれだけ位置が高い席だと演技自体は見づらいから、特に音楽や歌系の妖精や精霊に人気らしいね」
ニールがチラリとバルコニーから顔を覗かせて、シャンデリアの方を見上げた。
ニールがその艶麗な美貌を出したためか、個室からオペラグラスで周囲を眺めていた貴婦人や令嬢たちが、何人かくらりとよろめいていた。
「へぇ〜。あまりにも綺麗だと、舞台そっちのけで気になっちゃいますね」
「それもこの歌劇場が人気の理由だよ。飛び見席が美しいと劇自体も話題になるからね。彼らは純粋な者が多いから、正直に演目の出来不出来が見えてしまうんだよ。演者の中には、目の前の観客よりも、飛び見席の評価を気にする者も多い」
「斬新な評価の仕方ですね」
「そうだね。今回の劇はどんな色に染まるか楽しみだね」
レイとニールがおしゃべりしていると、部屋付きの精霊が戻って来た。
ポンッと小さなテーブルを空間収納から出すと、その上にドリンクを並べていった。
ニールは赤ワインのサングリアだ。グラスの縁にオレンジが飾られている。
レヴィは一応護衛のため、ノンアルコールなジンジャーエールだ。こちらはライムがあしらわれている。
レイはシンプルなオレンジジュースだ。
最後に、一緒につまめるようにと、クリームチーズに生ハムやオリーブ、レーズンなどが載ったカナッペが置かれた。
「わぁ! ありがとうございます!」
レイがにっこりとお礼を言うと、部屋付きの精霊は、恥ずかしそうにより真っ赤になって、ぽわぽわと明滅した。
ニールが下がっていいよ、と手を振ると、部屋付きの精霊は花型のシャンデリアの上に止まった。
(そこが定位置なんだ!?)
レイは目を丸くして、精霊を目線で追った。
「さて。開演前だが、乾杯するか?」
「はいっ!」
「ええ」
ニールに訊かれ、レイとレヴィは相槌を打った。
「「「乾杯!」」」
キィンと小さくガラスを打ちつけ合う音が響いた。
「おいしい〜!」
「ふむ。なかなかですね」
「こちらも美味しいですね」
レイはほっぺに手を当て、ニールは小さく頷くように、レヴィは早くもぱくりと一口でカナッペを頬張って言った。
「そういえば、この劇にはニール役も出演するんですよね!?」
レイは期待からキラキラと瞳を輝かせて、ニールを見上げた。
フッ、とニールが自嘲気味に笑った。
「期待しても、俺の役は大したことないよ」
「えっ、でも、ユグドラで聴いた防衛戦の話ですと、ニールが大活躍したって……」
(「黒竜がそのブレスと魔術と巨体を使って敵兵をなぎ倒し」って……)
レイは小首を傾げた。
「それは開演してからのお楽しみだな」
ニールはただニヤリと笑っていた。




