雨の回廊7
一夜明けて、サディクとダズ、レイは、サハリア王宮を訪れていた。——レイはもちろん、十代目剣聖の姿に変身していた。
通された控え室には、ラヒムだけでなく軍関係者が数人、待機していた。
「私の側近や身の回りの者たちにも、君が影武者であることは伝えてある。すまないが、細かいことは、彼らに訊いてもらいたい」
ラヒムは従者のような格好をしていた。淡いグレー色の髪は適当にまとめられ、使い古したようなケープのフードには、認識阻害の魔術がかかっていた。
「分かりました」
サディクは、王宮の侍従に王太子らしい上等な鎧に着替えさせて貰いながら、しっかりと頷いた。
「本当に、ラヒム殿下にそっくりですな。お顔立ちも、声も、背格好も……こんな人材をいったいどこで……?」
感心してサディクを覗き込んでいるのは、立派な鎧を着込んだ大柄の男性だ。
「私も偶然に出会ったんだ」
「それに、他の二人もなかなか見込みがありそうだ」
大柄な男性は、ダズとレイの方も見て、ニヤリと笑った。
ダズとレイも歩兵の軍服を支給され、早々に着替えていた。
「お待たせしました」
サディクは準備が整い、ラヒムたちに声をかけた。
背格好が同じためか、ラヒム用の鎧もピタリと着こなしている。
「いかがでしょうか?」
サディクが曖昧に微笑んで尋ねる。
「おぉ……これは、これは。殿下にしか見えませんな」
大柄の男性が目を丸くして、サディクを見つめた。
「大丈夫! 君は私よりもずっと立派な王太子だ!」
ラヒムはバシリと、力強くサディクの肩を叩いた。
サディクは、こんな状況ではあるが、少し嬉しそうにはにかんでいた。
「……なんだか、あの方はどこかダズやアッバスに似てませんか??」
「やっぱり、そうだよな。たぶん、俺のご先祖様だ。母上は軍人の家系の出で、何人も将官を輩出してる家柄なんだよ……」
控え室の壁沿いに立ちながら、ダズとレイはこっそりおしゃべりをしていた。
「アダウィー中将は、古くより王家に仕えている家系の出身だ。忠義厚く、頼りになる人物だ。もし何かあれば、彼に相談してもらいたい」
ラヒムがアダウィー中将を、サディクに紹介していた。
サディクも「よろしく頼む」と鷹揚に頷く。
アダウィー中将も「おお。仕草や言葉遣いも完璧ですな」と驚いている。
「正解だ。母方の姓だ」
「やっぱり」
ダズとレイは小声で囁きあった。
***
「兄上、大丈夫ですか?」
出陣式のために廊下を移動中、ダズはサッとサディクに駆け寄り、さりげなく確認した。
「ああ。大丈夫だよ。影武者といっても、普段通りにしていればいいだけだしね」
サディクは王太子らしくにこやかに、余裕たっぷりに頷いた。
(王太子殿下の王太子役……)
完璧である。
むしろ、周囲の「今日の王太子殿下は威厳があるぞ!」「やはり出陣式の日ぐらいはしっかりされるのか!?」などの言葉を耳にすれば、期待以上の出来栄えであることが想像できた。
レイは、周りの声は聞き流すことにして、無言で二人の後について行った。
王宮正面の庭に出ると、すでに兵士たちが集結し、前庭を埋め尽くしていた。
いつでも行進できるように、列に並んで待機している。
サディクは、兵士たちの前、壇上へと案内された。
ざわついていた兵士たちが、一気にシーンと静まりかえる。
サディクは壇上から、兵士一人一人と対面するかのように、王宮前に集まった者たちを見まわした。
「今、我々は不届な隣国より侵略を受けている。私は、私が生まれ育ったこの国を、民たちを愛している。エスパルドは、敗戦国の民を奴隷に貶めているという。奴らにこの国を、民を蹂躙させてはならない。勇敢なる英雄たちよ。愛する国のため、故郷のため、家族や恋人、仲間たちのため、私に力を貸して欲しい。そして、愚かな帝国兵に血の鉄槌を下してやろうではないか! サハリア兵の勇猛果敢な姿を、奴らに刻みつけてやろうではないか!!」
サディクの普段の優しげな雰囲気とは全く違った、力強くて猛々しい演説だ。
彼のこの国や民への揺るぎない静かな想い、そして侵略者への憤りが、集まった兵士たちに伝染していった。
ウオオォォォッ!!!
サディクの演説に呼応して、兵士たちの野太い歓声が王宮中にこだました。
「開門! 進め!! 勝利を我らが手に!!!」
サディクは、準備されていた王太子用の白馬に跨ると、スラリと腰の曲剣を抜いて天に掲げ、力強く号令をかけた。
王宮正面の大扉が、軋みをあげて開かれる。
出陣のラッパの音が、高らかに王都ベリアに響き渡る。
前サハリア王国の旗がバサリと風にたなびき、ザッザッと歩兵の足音が規則的に鳴り響く。
住民たちの歓声は、割れるほどに最高潮に達していた。
サディクの横顔は、覚悟の決まった引き締まった顔をしていた。
街の住民たちの歓声に応える笑顔も仕草も、サディクらしい優雅さだけでなく、腹が決まった者特有の、自然な落ち着きと力強さがうかがえた。
(むしろ、ラヒムさん本人の時よりもかっこいいかも……)
レイは、馬上のサディクの横顔を見上げて、彼の晴れ姿に目を見張っていた。
「頼もしい限りだ。殿下よりも、殿下らしいな」
レイの耳に、アダウィー中将の満足げな呟きが入ってきた。
***
「これほどまでとは……」
アダウィー中将が息を呑んだ。
——平原を埋め尽くすほどのエスパルド兵だ。
ここは、サハリア王国にあるジャフィ平原が一望できる崖の上だ。
サディクと、ダズ、レイ、アダウィー中将、と少数の近衛兵たちで、敵兵の様子を見に来ていた。
平原との間には崖が広がっており、すぐにはここまで到達できなそうではあるが……
「平原では迎え撃たないよ。ただぶつかっていっても、兵力差で粉砕されるだけだからね。ここまで誘い込む。罠を仕掛けて向こうの戦力を削ぐんだ」
サディクが落ち着き払って静かに命令する。
サディクが率いるサハリア王国兵は、平原ではなく、エスパルド帝国兵を地理的に優位に立てる谷や崖などで迎え撃つ予定だ。
サディクは、何度も何度も中将たちと話し合い、奇襲戦や罠を駆使し、地道に敵兵の数を削っていくことを提案した。
相手の意表や隙を突く作戦は、将官の一部からは「王族らしくない」との意見も出てきたが、兵力差がかなりあることと、面目よりも生き残って国を守ることが大事であると、その度に根気よく説き伏せていった。
「これでも、何度もシュミレーションしてきたんだ。もし、自分がラヒム陛下だったら、エスパルド防衛戦をどう切り抜けただろうか、って……」
フッ……とサディクから静かな笑いが漏れていた。
夜の陣営で三人だけでいる時に、レイに防音結界を張らせて、こっそりと教えてくれた。
「かの不敗伝説の武王——王家に生まれた者として、憧れない者はいないからね。王太子教育の授業でもあったし、よく考えたものだよ」
「俺は戦略が苦手だから、途中で諦めました」
「ダズは直感派だからね。せっかくだから、どこまで通用するか試してみたくなってしまってね」
焚き火を囲んで、サディクとダズは、王子教育の昔話を語り合っていた。
「それに、今回はここでの戦の結果は、現実世界には反映されないからね。やれるところまで、やらせてもらうよ。たとえ、ここが記憶の中の世界だとしても、この国に手を出したことを後悔させてやりたいからね」
サディクが珍しく挑戦的にくすりと笑う。普段は優しく穏やかな質だが、大事なサハリア王国を攻撃されて、怒っているようだ。
「この世界は不規則に時間が飛びますし、攻撃されれば、お怪我もします。戦闘中は結界を張らせていただきますが、ご無理なされませんようお願いします」
レイは不安げにサディクを見つめた。
「君がいてくれて良かった。よろしく頼むよ」
「かしこまりました」
サディクは優しく微笑んで、レイを労った。
レイは結界と身体強化魔術で、サディクとダズ、主戦部隊の強化を担当する。
ダズはサディクの護衛だ。
その時、ぞくりとレイの肌が粟立った。
反射的に十一代目剣聖を口寄せしていた。意識もしないうちに剣を抜き、刺客を一人、切り伏せていた。
ダズはすでに動き出していて、彼の大剣でサディクを狙った刺客の攻撃を防いでいた。腕からは赤い血が伝っている。
「敵襲!!」
ダズが声を張り上げる。
サハリアの兵士たちも異変に気づいて、陣営がざわりと起き出した。
サディクは自らも剣を抜き、刺客の攻撃に耐えていた。「アルメダに習っておいて良かったよ」と強がりを口にする。
「殿下!」
レイがサディクのサポートに向かおうとした瞬間、全ての刺客が砂となって音もなく崩れ落ちた。
いつの間にか、不穏な魔力圧を放って、ここにいるはずもない人物がいた。
たおやかな淡いローズ色の髪が、夜風に揺れていた。




