禁書架5
レイは今日も、クリフとジョセフの共同研究室に来ていた。
水の魔術師誘拐グループのアジト掃討作戦に参加してからは、ここに来たのは初めてだ。
クリフが、随分と難しい顔をして彼のデスクに座っていた。それに、心なしか少し疲れているようだ。
「クリフ、お疲れさまです。どうかされました?」
「レイ、久しぶりだな。無事に回復したようで良かった」
クリフは親指と人差し指で眉間を押さえて揉み込むと、ペラリと一枚の報告書を手渡してきた。
レイも反射的にその報告書を受け取る。
「『魔術式の解析結果と報告』……この前の、魔術師の腕に彫られてたものですか?」
水の魔術師誘拐グループにいた魔術師二人には、両腕に魔術式が彫り込まれていた。命を魔力に変換するものらしいが、それの詳しい解析結果が届いたようだ。
「腕もそうだが、奥歯の方もそうだ。魔術式は、魔術新興国ラ・ハイネスの流れを汲んでいるようなんだ」
「ラ・ハイネス……?」
(あれ? どこかで聞いたことがあるような……?)
レイは小首を傾げた。
「あの国は、魔術による国の発展を掲げて、世界中から優秀な魔術師をかき集めているんだ。国によっては危険性や倫理的な観点から研究が禁止されている分野でも、かの国では解放されてるためか、危なっかしい魔術式や魔術道具が多い……今回のもそうだ」
「うぅっ、なんだか怖くてお近づきにはなりたくない国ですね」
「近づかない方がいい。レイならどんな実験に付き合わされるか分からないからな」
クリフは真剣な眼差しでレイを見つめると、そう言い切った。
(こわっ!! 絶対に近づかないようにしよう!)
レイは、かの国には行くまいと心に誓った。
「元々、命を魔力に変える術は昔からあったんだが、今回みたいに人体に直接彫り込むものは初めて見た。考えてもみろ、彫る術式を一つ間違えただけで、強制的に命を魔力に変換されるんだ。間違えたからといって、腕を切り落とすわけにもいかないだろ? ……こういった魔術式はスクロールや他の媒体に刻まれるのが一般的だ。人体向けに魔術式を組み直し、しかも小刻みに何回でも使える……魔術奴隷向けの魔術式だ」
クリフの説明に、レイの背筋にヒヤリと冷たいものが走った。
(それに、クリフが怒ってる?)
レイがじーっと見つめていると、クリフはハッとなって気付いたようで、気まずそうな顔をした。
「復帰早々にすまないな、こんな話しで。俺の元になった魔術書が、どうも変人だがやけに高潔な魔術師が記したものらしくてな。こういった魔術の使い方は好まないんだ……俺たち物から派生した妖精の性だな。その物を作った者、愛用した者の影響をどうしても受けてしまう」
クリフには珍しく、少し参ってしまっているようだ。普段は何事も丁寧なはずの彼が、少しイラついた口調になっている。
「ジョセフの方は大丈夫なんでしょうか?」
クリフは古い魔術書の第一巻から派生した妖精だ。彼の弟のジョセフは、第二巻の方から派生した。著者が同じであれば、ジョセフもこの手の魔術の使い方には我慢ならないだろう。
「すでに気持ちを発散させるために、兵の訓練場に行っている。訓練とはいえ、八つ当たりされる兵が可哀想だ」
「そうなんですね……」
応用魔術しか使えないジョセフは、普段の戦闘用に筋肉を鍛え、剣術や杖術などもマスターしている。妖精で長生きなため、その鍛錬は百年近くにものぼるという。
レイはいつも剣術指南している新兵たちを思い、遠い目をした。
「そろそろ、前回の続きを始めるか」
クリフは席から立ち上がると、チェストの中から一冊のファイルを取り出した。
日焼けしないよう、壊さないよう、丁寧にしまわれていた紙片を、魔蚕の絹の手袋をはめてファイルから慎重に取り出す。
『北の庭、夜九時』
デスクの上に置かれたのは、禁書架の最奥から持ち出された、現サハリア王国の建国当初の手記だ。
七百年もの年月が経ち、走り書きのインクは薄く茶色に変色している。何かの切れ端のような紙の形状、乱雑に折られた跡などから、急な呼び出しで使い魔に持たせた手紙と推測されている。
「……それでは、行ってきます」
「ああ、気をつけて」
レイは慣れた様子で自身も魔蚕の絹の手袋をすると、手記に手を伸ばした。
ぐわんと世界が回って、レイは記憶の世界へと引き摺り込まれていった。
***
レイが記憶の世界で目を開くと、そこは真夜中で、鬱蒼と繁る木々に囲まれた庭園だった——おそらく、ここが北の庭なのだろう。
「アイシャ皇女? このような刻限に何のご用ですか? 我々はまだ婚約者であって、このようなことはあまり……」
小さなランプを手に持ち現れたのは、サディクにとても良く似ているラヒムだ。普段は優しげな面持ちだが、今夜は少し強張っているようだ。
あまり目立たぬよう、濃い色のマントを羽織っている。
「ラヒム殿下、とぼけないでください。今日の昼間、ワルダの庭園であなたが他の女性といるのを見かけました。ローズ色の長い髪の、とても綺麗な方ね」
アルトのやや低い声。言い方は少し軽いが、しっかりと問い詰める口調だ。
今回の待ち合わせの相手は、砂竜女王ガザルではないようだ。
アイシャ皇女のウェーブがかった白い髪は、皇女にしては珍しく、短めのボブヘアだ。
琥珀色の肌はランプの灯りに照らされ、艶やかだ。アーモンド型の瞳は、意志が強そうに煌めいている。
女性にしてはやや背が高いが、スタイルが良くてしなやかな体型だ。
(この人、剣を嗜んでいるのかな?)
レイはまじまじとアイシャを眺めると、普段の指南役としてのクセで、いつの間にか分析していた。アイシャの所作は、剣士のそれだった。
「…………」
ラヒムは急に無言になった。その顔には薄っぺらな笑顔が貼りついたままになっている。
「……へぇ。あれが噂のお姫様かな? あの方って、絶対に人間じゃないでしょ? 私も王族だから、どこかの国に嫁ぐのは昔から覚悟してる。でも、これから嫁ぐ国に高位の魔物が影響してるなら話は別——殿下は、魅入られてませんよね?」
「まさか、そんな」
「それなら、別れていただけますよね?」
「…………」
二人の間に沈黙が走った。
「高位の魔物は気まぐれで、寵を与えたかと思えば、すぐに手の平を返す。かと思えば、謎の理論で訳の分からないことを要求してきたりもする。それで、いくつ人間の国が滅んだというの?」
アイシャは一つ溜め息をつくと、静かに語り出した。
「彼女はそんな……!」
ラヒムは、否定しようと言葉を紡ぐ。だが、その先が続かない。はくはくと口のみが虚しく動く。
実際に、魔物の気まぐれで滅んだ国など、歴史上、数え切れないほどあるからだ。
「サハリアもザミルも、帝国に狙われてる。帝国に対抗するために、私たちは手を結んだわ。それなのに、そんな時に、何をしでかすか分からない、しかも、たった一夜でこの国を滅ぼせるような力を持つコントロールもできない存在がいたら……守れるものも守れないし、命がいくつあっても足りない……国同士の友誼も何もないでしょう? だって、こんな後出しでこんな重大なことが分かっても、手の施しようが無い……殿下は国と彼女、どちらを取るおつもりですか?」
アイシャの問いかけは、重々しく北の庭に響いた。
アイシャの眼差しは力強く芯があり、彼女から発せられる存在圧は、むしろ彼女の方が為政者としての力量があるようにも感じさせた。
「…………」
ラヒムも、彼女の勢いに呑まれたように、核心を突かれたように、身じろぎ一つ取れないでいた。
「殿下と彼女の関係は、国王様や父上に言うつもりはありません。その代わり、彼女とは別れること。高位の魔物なんて、手に負えるものじゃないわ……殿下の英断を、切に願います」
「…………」
「……出過ぎた真似を、失礼しました」
小さくサハリアの礼の姿勢を取ると、アイシャはくるりと踵を返して戻って行った。
その背中は凛としていて力強く、戦士のような雰囲気を醸し出していた。
(おぉ……苛烈! でも、こうでもしなきゃダメな時代だったんだよね……)
レイは、呆然と立ちすくむラヒムをじっと眺めていた。
こちらの方は、くしゃりと縮こまって、少し情けない感じがした。
***
「今回はどうだった?」
レイが目を覚ますと、クリフが冷たいミントティーを淹れてくれた。
「待ち合わせの相手は、砂竜王様ではなくて、アイシャ皇女殿下でした」
「アイシャ……初代国王陛下を支えた賢妃のお名前だ。現サハリア王国の建国当初の動乱の時期を、影ながら支えて安定させたと言われている」
「そうだと思います。ラヒムさんに、砂竜王様と別れるようズバッと意見してました」
「……なるほど……」
クリフが言葉を詰まらせつつも、頷いた。
(……ラヒムさん、きっと尻に敷かれてたんだろうな……)
レイはミントティーをグビグビッと飲むと、遠い目をした。
「これまでの話を整理すると、初代国王陛下と恋仲だったのは、砂竜王で間違いなさそうか?」
クリフは、これまでの調査の記録書をペラペラと眺めて、レイに尋ねた。
「そうですね」
「では、この国を呪ったのも?」
「……そこまでは、分かりません。誰が呪ったのか、そのシーンは出てきてませんから」
「確かに、そうだな。他に気になったことは?」
クリフの問いかけに、レイは腕を組んで考え込んだ。
(う〜ん……あっ、そういえば!)
「『ワルダの庭園』って、今はどこにあるか分かりますか? 記憶の世界の中で、よく登場した場所なんです。そこに行ければ、また何か分かるかもしれないです」
「一番最初に見た手記に書かれてた場所だな。残念だが、研究者の話だと、今はオアシス・ガザルの水底に沈んでいる」
「……そうですか。それならそこに行くのは難しそうですね」
レイはぐったりと、応接室のソファの背もたれに寄りかかった。
本日の調査はこれまでとなった。




