お忍びデート2
サディクとアルメダは、下働きやメイドなどの使用人たちが王宮に出入りする裏門に向かっていた。
王宮正門から出てしまうと、それなりの身分だと思われてしまうため、カモフラージュのために使用人の通用口から街へ降りるのだ。
裏門へ向かう廊下は、王族の居住スペースとは異なり、通路の幅は狭く、装飾などもほとんど無くて簡素だ。すれ違う人々も、使用人か、食材や備品などの搬入業者の人間ばかりだ。
サディクは、何度かガザルの街へ行っていると言っていた通り、慣れた様子で使用人が行き交う廊下を歩いていた。
「殿下、本日はどこに行かれるんですか?」
アルメダは、ずんずんと進んで行くサディクの後を追いながら、気になっていた本日の予定を確認した。
「これからお忍びだよ。『殿下』とは呼ばないでくれるかな?」
「それでは、どうお呼びしましょうか?」
「サディクで」
「はいっ。『サディク様』ですね」
「呼び捨てでいいのに……」
「それはさすがに……」
サディクが少し困ったように曖昧に微笑むと、アルメダは眉を下げた。お忍びとはいえ、王太子を呼び捨てする勇気は彼女にはなかった。
「この前の歓迎会では『サディク』と呼んでくれたのに?」
サディクは軽く首を傾げると、アルメダの瞳をじっと覗き込んだ。
「えっ!?」
アルメダは目を丸くして、思わず小さく跳ねてしまった。
(私、この前の歓迎会でそんな失礼なことしてたの!?)
アルメダは、先日の歓迎会では誤ってお酒を飲んでしまったため、それ以降の記憶は曖昧だった。サディクのことを呼び捨てしたかどうかは、もはや覚えてなかった。
歓迎会の翌日は、魔力酔いで兵士の訓練は休んだ。その日は酷い頭痛がする中、ルーファスにしこたま叱られて、「魔力が安定するまで、お酒は飲みません」と誓わされることになったのだ。
「……そうでしたっ……け?」
アルメダは、歓迎会当日のことを拙い記憶をたどって思い出そうと努力はしたが、ルーファスのお叱りの方が印象が強すぎて、そればかりがやけに思い返された。
思わず言葉も曖昧になり、視線も、サディクから離れてどこかを彷徨う。
「だから、もう呼び捨てで呼んでくれて構わないよ。お忍びだし、周囲にバレるわけにはいかないから、『サディク』と呼んでくれるよね?」
「……かしこまりました……」
サディクはやけにきらきらしい笑顔で、アルメダに念を押してきた。
アルメダは記憶が曖昧なため、肯定も否定もできず、渋々頷いた。
***
「街の方にはよく来られるんですか?」
「時々ね。どうしても上がってくる報告書だけだと実感が湧かなくてね……実際に見た方が理解しやすいんだ」
王宮裏手の通用口から出ると、サディクとアルメダは王都ガザルの大通りに向かった。
そこには市場が広がっていて、食料品や装飾品、日用品など、ありとあらゆるお店が集まり、買い物客で賑わっていた。
メイン通りには、日干しレンガ造りの立派な店舗を構える老舗や高級店が立ち並んでいる。そこからオアシス・ガザルを渡る東と南の大橋に向かうにつれて、簡単なテント張りのお店や絨毯を敷いただけの行商人のお店が増えていく。
そういったお店では、本日とれた野菜や果物、魔魚などの新鮮な食べ物や、その場で食べられるような串焼きやパン、菓子などのお店が多いようだ。
サディクは、王都に慣れていないアルメダが逸れないようにと、彼女と手を繋いで歩いていた。
「市場では、何を見るんですか?」
「……そうだね、全体的にざっと、かな。値段もそうだし、今どういう物が売られてるのかとか、どこから来てるのかとか……」
「……へぇ……」
(……そんなことで、何が分かるんだろ??)
サディクの大雑把な回答に、アルメダはエメラルド色の目をぱちくりさせた。
アルメダのきょとんとした様子に、サディクはほろ苦く笑った。
「この国は土地のほとんどが砂漠で、物流はオアシスを通るのが基本だ。一旦、王都ガザルに品物の大半が集まるんだよ」
「そうなんですね」
「つまり、今ガザルで売られてる品物の状況から、いろいろ分かるんだよ」
サディクは不意に、近くにあった店の果物を手に取った。
「いらっしゃい! 本日の目玉は、サンディ産のザクロだよ!」
「じゃあ、これを一個貰おうか」
「七百オーロだ」
「少し高いね」
「最近、サンディの方ではほとんど雨が降らないんだ。それは、ここ最近採れた中では大きい方なんですぜ」
「そうなんだね」
サディクは納得したように頷くと、財布から七百オーロを取り出して手渡した。
「毎度あり!」
店主は笑顔で二人を見送った。
アルメダとサディクは、オアシス・ガザルが眺められる、市場近くのベンチに並んで座った。
椰子の木の下には、他にもいくつも同じようなベンチが据えられていて、人々はオアシスを眺めるように座ったり、木陰でゆったりと休んだりしていた。
淡い水の香りと、ちゃぷりと耳に優しい水音がベンチにまで届いていた。
サディクは、腰ベルトに付けたポーチからナイフを取り出して、手際よくザクロの皮に切れ込みを入れた。
さらにザクロを手でざっくり二つに割ると、アルメダに片方を手渡した。
「ありがとうございます」
ルビーのような深紅の粒を外して口に含むと、じゅわりと甘酸っぱい果汁が出てきた。かなり濃厚な味で、アルメダはむぎゅっと顔を縮こまらせた。
それを見て、サディクも小さく笑った。自らもぽいぽいっとルビー色の粒を口に入れて、同じくむぎゅっとした顔になる。
「水が少なめだからか、結構味が濃いね……さっきの店主が言っていたことと、サンディ地方から上がってくる報告書の内容に一貫性があれば、問題なしだよ。実際に、サンディ地方から雨不足の報告もあったし。もし、これで報告内容が違ってたら、どうだろう?」
「……どちらかが、嘘をついてるんですか?」
「まぁ、店主に嘘をつく理由は無いよね。とにかく、実際はどうなっているのか調べないとだね。国から援助を受けたくて報告書で被害内容を盛っている可能性もあるし、自分のミスを隠すために嘘の報告を上げてる可能性もある。もしかしたら、何らかの理由で報告が遅れていて、情報が古い可能性もある。酷い時には、嘘の噂がわざと広められている場合もある……」
「そうなると、店主さんのお話の方が嘘になっちゃいますね」
「そうだね。でも、本当に難しいのは、それが嘘だろうと本当だろうと、判断を下さないといけないことだね」
「……大変ですね」
「そうだね。でもね、そういうことは年中起きるし、都度都度、適切に対応していかないと、国が、国民が困ってしまうからね。完璧は無理だし、全員を満足させることもできない。でも、できる限りのことをしてこの国を、国民を守るのが僕の仕事だよ」
サディクは、オアシス・ガザルを眺めながら、ぽつりぽつりと語った。午後の光がオアシスの水面にキラキラと反射して、藍色の双眸を眩しそうに細めていた。ほろ苦いが、優しい微笑みだった。
「サディクは、そのお仕事が好きなんですね」
「……好きというか、生まれた時からこうなるように教育を受けてきたし、このぐらいしか取り柄がないんだよ。父上のように威厳があるわけでもない、ダズのように立派な体格をしているわけでもない、弟たちのように、魔術が上手く扱えるわけでも、一芸に秀でているわけでもない。僕ができるのはこれぐらいだし、他に何がしたいのかもよく分からない……だから、とりあえず今目の前にあることをやってるだけだよ」
サディクは少し声のトーンを落として語った。藍色の相貌も重く伏せられる。
(私もそうだったなぁ……)
元の世界では、アルメダ、ことレイも少しだけ社会人をしていた。
他の人と同じように、普通に学校に通って卒業して、とりあえず入れた会社に勤めていた。
勤めたら勤めたで仕事が忙しくなって、とにかく目の前のことをこなすこと、慣れることで精一杯だった。
(あの時は、何もかもが一生懸命で、本当にやりたいこともよく分かってなかったかも。考えてる時間も無かったし。他の誰かと比べて、「自分はできない」とか考えちゃう気持ちもすっごくよく分かるし!)
こちらの世界に来て、今まで築き上げてきた全てを失った。自分の身一つで来たのだ。どうしようもなかった。
その分、自分にとって譲れない大事なものだけが残った感じもしていた。
三大魔女になったのも、剣聖になったのも、今、冒険者をしていて、王宮で兵の指南役をしたり、クリフの助手をしているのも、全ては外側から与えられたことだ——「目の前のことをこなすこと」は以前の生活と変わっていない。
それでも、ただ一つ、変わったことは——
(どうせ来ちゃったんだし、楽しもうって決めて吹っ切れちゃったからかな? 以前の自分に比べたら、充実してる気がする)
アルメダはチラリとサディクの方を見た。
彼の横顔を見ていると、自分と他の人を比べて自信を無くして迷っているようだけど、「それだけではない」感じがしたのだ。
「でも、サディクは『このぐらいしか取り柄が無い』って仰ってますが、それでも誰かのためを思って何かを続けられることは、とても素敵で、きっと心が強くないとできないことですよ。サディクは強い人ですよ」
アルメダはオアシス・ガザルを眺めながら、いつもの声のトーンで語った。
サディクは、パッと顔を上げて藍色の瞳をまん丸に見開くと、隣に座るアルメダを見つめた。
「それに、『何がしたいのか分からない』って仰ってますが、サディクの言葉からは、ご自身のお仕事に誇りを持っているように感じました。『この国を、国民を守るのが僕の仕事だ』って」
アルメダは素直に、真っ直ぐに、サディクを見つめ返した。
「……そういうことを言われたのは、初めてかな。でも、そう言ってもらえると、なんだか嬉しいね。周りからは、誰よりも強く、賢く、正しくあれと言われてきたし、国や国民のことを考えるのはずっと当たり前のものだと思ってきたからね」
サディクは、はにかむようにくしゃりと微笑んだ。
「全然、当たり前じゃないですよ。それに、そうやって誰かを、何かを守ろうとするのは、サディクが真面目で優しい心を持ってるからですよ」
「……君は、全く……」
サディクは、気合を入れ直すようにパシパシと両手で自分の両頬を軽く叩いたかと思うと、勢いよくベンチから立ち上がった。
隣に座っていたアルメダは、サディクの急な行動に少しびっくりして、彼を見上げた。
「そろそろ次のところに行こうか!」
初めて見た吹っ切れたように明るい笑顔で、サディクはエスコートをするようにアルメダに手を差し伸べた。
「はいっ!」
アルメダも、彼につられて元気良く笑いかけると、彼の手に自らの手をのせた。




